後悔しないような
大学に入学して4ヶ月。ついに、恐れていたあいつが迫ってきた。学生なら誰もが必ず避けることのできないあいつが。そう、それは…
「期末試験だあああ。」
有紀はシャーペンをマイク代わりに悲愴感をただよわせた顔でそう叫んだ。大学の講義室の一角、私たちは期末試験に向けて試験勉強をしていた。
「何で休みの日にまで大学来てんだろうあたしら。まあ、大学じゃないと勉強する気にならないからだけどさー。勉強したくねー。」
「はいはい、もう分かったから。とにかく今は頑張ろう。大学入って初めてのテストなんだから、いい成績残さないと。」
絢は有紀をなだめながらもせっせと手を動かしていた。さすが絢、勉強熱心だな…頭もよさそうだし。私は感心した目で絢を見つめた。
「そうそう、それにテストが終わったら楽しい夏休みなんだよ!夏休み楽しむためにもせめて単位は絶対に落とさないようにしないとね。」
教科書を見ながらそう言った夢美に、私もうなずいた。
「確かに、今頑張ったらいい夏休み過ごせるだろうし、初めが肝心って言うしね。みんな頑張ろう。」
私がそう言うと、みんなも頷いた。やるからには頑張らないと!私のシャーペンを握る手にも思わず力が入った。
「そうだな!あと2週間後には夏休み入ってるし、テストまでの勉強もあと1週間頑張ればいいだけだし…あれ、今年の花火大会ってもうすぐじゃね?」
有紀の疑問に、一同の手が止まる。一瞬の沈黙の後、夢美がきゃっと叫んだ。
「うそ、今日じゃん!8月3日の土曜日って今日だよね?すっかり忘れてた。」
まじで?有紀は大慌てで帰り支度を始めた。
「みんなすまん、あたし彼氏に花火大会は浴衣で来いって言われてるから今すぐ帰るわ!」
有紀はそう言い終わると同時に講義室を飛び出した。
時刻は午後1時。確かに、早く帰って着付けをしたほうがいい。
着物を着て花火大会に行くには、午後8時から始まる花火大会までに着物を着て早めに会場に行かなければならないのだから。
「でもよかったね有紀。もしみんなで集まって大学で勉強してなきゃ、夢美が花火大会が今日だって気づくこともなかったかもしれないよ。でも、せっかくの花火デートを忘れてるなんてね…有紀らしいけど。」
夢美が笑い交じりにそう言うと、私たちは声を立てて笑った。
「いいなー花火大会。きっとカップルはみんな行くんだろうなー。ていうか、優梨愛は笹野さんだっけ?とは行かないの?」
夢美の突然の質問に私は思わず勢いよく顔を上げた。
「ま、まさかー、行けるわけないよ!ていうか、笹野さんが彼女いないかもまだ分からないんだから…。」
私はそこまで言って言葉を詰まらせた。そう、そうなのだ。笹野さんは最近、女の店員さんと同じシフトで入ることが多い。
その人たちとも一緒に仕事して、会話して…きっとあたしといる時と同じ笑顔や優しさを、その人たちにも見せてるんだろうな…ちょっと嫌だな…。
私はそこまで考えて首を振った。何考えてるんだあたし。バイトで働いてるんだからしょうがないじゃない。そんなこと当たり前なわけで…
でも、もしそのなかの一人が笹野さんのことを好きだとしたら…いやもう既に告白して彼女になっているとしたら…ありえなくもないよな…
「…りあ?優梨愛!」
わあ、と声を上げてふと我に返ると、夢美と絢が心配そうな顔で私を見ていた。
「優梨愛、考え事してたの?急に黙っちゃうからびっくりしたよ。」
絢にそう言われて私はぎくっとなる。
「だ、だだ大丈夫だよ!夢美に笹野さんと花火大会行くか聞かれて、花火大会のこと少し考えてただけだし。」
私がそう答えると、夢美はうーんとうなってから口を開いた。
「彼女いないかどうかは、やっぱ一番気になるとこだよねー。」
「え?あ、う、うん…そうだよね。てか何であたしの気持ち分かったの?」
「もう、優梨愛の考えてることなんてすぐ分かるんだから。ごめんごめん、ちょっとからかおうとしただけ。」
夢美に肩をすくめながらそう言われて、私は思わず苦笑いをこぼした。
そういえば笹野さんとは1週間以上顔を合わせていない。試験が近くてバイトが入れられないのはしょうがないけど、やっぱり会いたくなる。
少しでもいいから会って、顔を見て、話をしたいな。
「よし、疲れてきたしそろそろ休憩しよっか。みんなも疲れたでしょ?」
絢の一言に、私と夢美は大きくうなずいた。
「そうだね…朝から集まってるからもう4時間も勉強してるよ。お昼もまだだし。どっか食べに行こうか。」
「さんせーい!ゆみおなかすいたー。」
「よし、じゃあ駅前のオムライス屋にしよう!車は絢が出すよ。」
「ありがと!」
私たちはそう言いながら絢に飛びついた。
「んー!美味しいね。」
オムライを食べながら、夢美は幸せそうな表情を浮かべた。勉強して疲れていたせいか、オムライスがびっくりするほど美味しく感じた。
私が頼んだのはクリームソースのオムライス、夢美がトマトチーズインオムライスで絢がデミグラスソースのオムライスだ。
3人とも違うオムライスを頼んだが、満足度は同じなようだ。3人で食べ比べをしたり、おしゃべりに花を咲かせたり、楽しい時間を過ごした後、私たちは黙々と勉強に励んだ。
「…ふー、だいぶ頑張ったねあたしたち。今日だけですごいはかどった気がする!」
絢の言葉に、時計で時刻を確認すると、もう6時を回っていた。ほんとだ!全然気が付かなかった。
「いやー、頑張った頑張った!2人ともありがと!テストまであと少しだし頑張ろう。」
夢美の言葉で解散し、私たちは店を後にした。だけど、私はまだ帰りたくない気分だった。
だって、勉強してないと、何かしてないと、笹野さんのことを思い出してしまうから。会いたくなってしまうし、不安が頭をよぎる。
花火大会、笹野さんは誰かと一緒に行くのだろうか、彼女はいるのだろうか…。
絢と夢美を見送った後、結局帰る気になれなかった私は近くのカフェで勉強することにした。
駅前にはたくさんカフェがあって本当に便利だ。私はアイスコーヒーを頼んで席に着いた。と、その時。
「優梨愛!」
突然名前を呼ばれてびっくりして顔を上げると、そこには有紀が立っていた。しかも着物姿の!
「有紀、めっちゃかわいいよ!すごい着物似合ってる。そうだ!写真とらせてよ写真!」
「ちょ、おいやめろ優梨愛、こらっ」
困りながら抵抗する有紀に構わず、私は有紀を連写した。どの写真も正面を向いてないが、照れ笑いしている表情がすごくかわいかった。
「よーし、待ち受けにしよ!有紀、彼氏さん待ちなの?」
「お、おう。早く着きすぎたからだいぶ待たなきゃなんないんだ。」
「そっかー、早く見せたいのにね、着物姿。」
「まあねーって、うるせーだまれっ」
反抗する有紀が可愛くて私は思わず笑ってしまった。
「ほんとはうち、バイト先にシフト表もらいに行かなきゃなんねーんだよな。ほら、月初めだろ?けど、こんな格好で行けないよな。絶対からかわれるし。」
「シフト表?あ!あたしもだ。最近全くバイト入れてないからシフト表もらえてないんだよね。やっぱみんなそうなんだ…てか、その格好でも行けばいいのに。」
「ばか、無理に決まってんだろ!恥ずかしいだけ…あれ、あいつ来た。何だあいつも早く来たんじゃん。ごめん優梨愛、うち行くね。またな!」
「おお!彼氏さん登場やね。いってらっしゃい、楽しんできてね。」
私は、はにかむ有紀に笑顔で手を振った。有紀、かわいかったな。ちょっとうらやましいな…
そういえばシフト表、どうしよう。まだもらってないし、もらいに行こうかな。今日は笹野さんが早番で入ってる日だ。7時までだし今行ったら会えるかも。
でも、どうしよう…なんか緊張する…。でも、
「このままだとなんかモヤモヤするし、シフト表もらってくるか!」
私はそう言って勢いよく立ち上がった。まだ半分くらい残っているコーヒーを一気に飲み干し、勢いよく舌を刺激した苦みにむせながら店を出た。
「お、おはよーございます。」
「あれ、宮瀬さんおはよう。どうしたの?」
「あ、あの、シフト表まだもらってなかったんでもらいに来ました。」
久しぶりで緊張したけど、なんとか笹野さんと普通に会話することができた。顔が赤くなっていないことを祈りながら、私はフロントにあるシフト表に手を伸ばした。
「そういえば、今日は花火大会ですね!駅前に着物を着た人たくさんいましたよ。」
「そうそう。だからここにくるお客さんも着物の人ばっかだよ。あと、部屋で着替えだす人もいたし。」
「そっかー、そういう人もいるんですね!ちょっとびっくりしますね。」
「うん。びっくりした。」
そう言って屈託なく笑う笹野さんにつられて、私も思わず笑ってしまった。なんかこの感じ久しぶりだな。やっぱり楽しい。
「宮瀬さんは、行かないの?花火大会。」
突然の質問に、私は思わずはっとする。一瞬の静かさが気まずくて、私は思わず慌てて口を開いた。
「い、行かないですよ、あたし。テスト…大学のテストが近くて勉強しなくちゃいけないので。」
「そっか、そうなんだね。」
「あと…まあ、行く相手もいないですしね。」
「それ、俺もだよ。行く人いないんだ。だから行きたいとも思わないよ。」
え、今なんて?私は思わずはっとしてしまった。
確かにいま、行く人がいないっていったよね?ほんとに、いないって…。
私は思わず笑顔になってしまう。嬉しすぎて持っていたシフト表を持つ手に思わず力が入ってしまった。
私はその後少しだけ笹野さんと話をし、有紀の着物姿の写真を笹野さんに見せてから店を後にした。
有紀、笹野さん有紀のこと可愛いってさ、よかったね。私は心の中でそうつぶやいて1人で笑みをこぼした。
家に帰っても、私はまださっきの余韻に浸っていた。
ずっと気になっていたことがやっと分かった。そしてそれは待っていた答えだった。ほんとに嬉しい。すごく安心できた。この喜びを誰かに伝えくなって思わず絢にLINEした。
“あやー!笹野さんに会いに行った!花火大会行くの?って聞かれて、相手いないから行きませんって言ったら俺もいないって言われた!”
“笹野さんに彼女いないって分かっためっちゃ嬉しー!”
私が送ってからすぐに既読がつき、絢から返信が来た。
“おおー!よかったじゃん。これで一安心だね”
“ていうかさ”
“いないって分かったなら花火大会誘えばよかったのに”
絢の返信を見て、私は思わずえっと声を上げてしまった。
“誘えるわけないよ!そんな勇気ない”
絢からの返事
“その時のノリで行けたかもしれないのに。チャンスは逃さないようにしないと!”
“お互い、後悔しないような恋をしなきゃね!”
後悔しないような、か…。ヒュー…ドン…ヒュー…ドン…花火の音が外から聞こえてくる。
もうそろそろ花火が始まる時間だもんな。二階の自分の部屋から外を覗くと、少し遠くで黄色いすだれ模様の花火が上がっているのが見えた。
いつか笹野さんと、一緒に花火を見られる日が来ればいいな…。いや、来るようにあたしが頑張んなきゃいけないんだよな…。