ただいま
今年最後という日に僕は年越しそばを啜りもって妻と相対している。
「今年ももう終わりなのだし、今から今年の愚痴を言うわね」
有無を言わせない態度で僕を見る妻はこういうとき、僕の言うことが全く耳に入らないから何も言わずに話を聞く。しかし、僕が聞いたところで、どうしようもないことばかりで、妻もそれが分かっていながら話をしているようだった。
「なあ、頼むからお節に関する愚痴はやめてくれないか」
僕の見えない所で起きたことの愚痴ならいざ知らず、明日に、しかも元日、関わる愚痴は遠慮したかった。
「悪い、鍋温めてきてくれるか」
妻は何も言わずに鍋を持っていき、火にかける。
「あ、年越えたわね」
テレビの中で年越しのカウントダウンが終わり、あけましておめでとうございますが何度となく繰り返し叫ばれている。
僕は何も言わずにテレビの電源を落とし、鍋を持ってきた妻が座るのを待つ。
お互いに、あけましておめでとうございます、を言い合ったものの、どうにも年が明けた心地がせず、違和感が漂っている。
愚痴の無くなった食卓には、ずずずと二人がそばをすする音だけが生まれては消えた。
翌日の夜、余ってしまった年越しそば、文字通りの意味で、とこれまた余ってしまったお節を食べながら、
「今度の初夢はどうなるかな」
「前回はどんなだったの」
「とてもじゃないけど、言えないね」
「貴方は自分がどんな顔をしているのか意識した方がいいんじゃないかしら。そんな顔をしていたのでは想像がついてしまうわ」
「でも、君も似たような顔をしているよ」
それがこの夫妻の初笑いとなった。