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シルスティアの産声


 工事が開始されてから一年あまりが経過した創暦九〇八年五月一八日、シルスティア市の創立が宣言された。

 創立式はそれほど形式ばったものでなく、あらかたの工事終了の目処が立ったので、それでは挨拶程度に設けようかという程度の気持ちで決まったことだった。

 決まった日程も向こう数日は晴れが続きそうだというくらいの理由で、言い出された席から三日後とされた。

 当日は予想がやや外れて雲が空を覆っていたが、これなら雨は降らなさそうだと誰もが思った。

 これからシルスティア市民となる者たちで手の空いている者は皆連れ立ってチェモーニ広場に集まり、もうすっかり顔なじみとなった者同士で式典が始まるまでお喋りに興じていた。

 目ざとい者などは家で焼いてきたのであろう、焼菓子を売り歩いている姿まで見られた。


 やがて簡単に用意されていた演説台の付近にニールやトゥホールが顔を出すと、台に近い者たちからお喋りが小声になっていき、それは短い時間で全体に伝わっていった。

 カイは今ではもはや当然のようにニールの背後に付いている。

 この広場のどこかにマウナルドとティアもいるはずだった。

 演説台には、まずはトゥホールが上った。

 聴衆から暖かな視線が送られ、それを一つひとつ丁重に受け取るように、壇上の男は目を細めてしばらく広場と人々を見回した。

「皆さん、私はクリッジで市長を務めていたアンドレア・トゥホールです。まずはクリッジ市民だった方々にこれまでの私の不甲斐なさと、それでもここまで付いてきてくださったことを深く謝したい。そして私の愛する人々を受け入れてくれた方々にも心から感謝を申し上げたい。今日をもってクリッジ市はこの世界から消え、一部の人々の記憶に残るのみとなります。しかし、そこで一度掲げられた、より心豊かに、幸福に過ごしたいという人々の願いは、これからこの地で実現されるのです。どうか皆さん、今日この日を胸に刻み、刻まれた者同士で助け合いましょう。そして我々の子孫にも語り継ぎ、永遠にこの街を栄えさせる心の灯火としましょう」


 語り終えたトゥホールが頭を下げると、聴衆から拍手が起こった。

 それは熱狂的なものではなかったが、同意する気持ちを伝えようとする優しい音であり、それはその場の誰からも捧げられた。

 もはやクリッジ市民であったかなど、ここに集う人々には些細な事となっているのを感じたトゥホールは、胸に熱いものを感じながら台を降りた。


 トゥホールが降りると入れ替わるようにアムテッロが台に上り、それに伴いトーニとロッカも台へと上った。

 二人はそのまま手に持った青い布を広げると、聴衆はその布に刺繍された絵柄に目を奪われた。

 そこには書物に足を掛けながらも跪く馬と、その下にエタールア語で「正義により団結し繁栄す」と書かれた刺繍がされていた。

「皆さん、我々の街を表す旗を作りました。この街は正義によって今から成り立ちます。正義とは我々が我々自身で団結し、各人を尊重し、皆で幸福を追求することです。不正による支配や抑圧を我々は許すことはありません。誰もが正当に自分の権利を主張し、義務を果たし、そして得られる利益を公正に分配されるべきです」

 これにはまずアムテッロと苦楽を共にした工夫たちが歓声を上げ、それにつられて賛同の声が広場を包み込んでいった。

 クリッジにいた者たちもコアディ家からの抑圧から逃れてきた者であるため、旗に縫い取られた言葉は自分たちの理想とするに相応しいものに感じられたのである。



 次にマディが顔を紅潮させながら登壇した。

 この大男は力も体格も常人とかけ離れているのだが、どうやら大勢に注目を浴びることは苦手であるようだった。

「兄弟たち、これから新しい街の議員を選出したい。これから読み上げる者に議員としての資質があると思えば拍手でそれを伝えて欲しい。その資格なしと思えば足で地面を踏み鳴らしてくれ」

 そしてまず彼が読み上げた名は今日これまでの事だけでも拍手間違いなしの人物であった。


「トゥホール、アンドレア!」

 その名が呼ばれるや一斉に聴衆から拍手と、それがあわや聞こえなくなるほどの歓呼の叫びが巻き起こった。

 彼を慕う元クリッジ市民はもとより、中州へ移住してからの彼の穏やかでありながらも工事に参加する人々を激励して回る姿勢に中州の人々も感服していたのである。

「チェモーニ、アムテッロ!」

 これも先に負けず劣らずの大拍手と大歓声であった。

 彼もまたその誠実さで移住してきたクリッジ市民に人気を博していたのであった。

 さらにそれらの人々の中の幾人かはクリッジへ駆けつけた際の彼の凛々しさを口々に説いて回っていたため、アムテッロをはじめとしたあの夜の面々はすでに元クリッジ市民の人気者となっていたのである。

「ボナテッリ、マディラッツォ。これは俺だな」

 紅い頬をもう少し染めながら言う大男にも、惜しみない拍手が捧げられた。

 マディはもうこれ以上ないくらいに顔全体を真っ赤にしながら、それでもまだ名簿を読み上げ続けるのであった。

 こうして何人もの名が呼ばれ、その度に聴衆は全員が拍手で応えた。

 議員には、中州からは他にもパエトリウスやロッカが選ばれ、マプロからヴィンタリへ移住してまで支援を続けた商人たちも四名全員が選ばれた。

 そしてクリッジ側からも有力な人々が数名選ばれ、その中にはダライランの名もあった。

 それまで表情に感情を一切見せず一心不乱に工事へ取り組んでいた男は、自身の名が呼ばれると何が起こったかまるで理解できないようであった。

 そのすぐ後に優しい拍手の音に包み込まれているのが分かると、その瞳からは止めどなく涙が溢れ出していた。


 新議員は総勢で二十名となった。

 まだ議事堂さえない議会だったが、その選出の過程で市民からの支持は絶大であることだけは疑いようがなかった。

 そしてそれら議員候補の名を読み上げ終えて、マディはさらに述べた。


「兄弟たち、これで議員となる者は決まったのだが、最後に我らの市長を決めたい。そこで、市長の選出を議会の初仕事としたい。これから議員一人ずつに登壇してもらい、各人がこれと思う人物を言ってもらう。そこで最も多く選ばれた者を市長とすることに異論はないだろうか」

 この言葉にも、市民たちは拍手でもって応えた。

 その光景に満足そうな表情を一瞬浮かべたマディだったが、すぐに真剣なものへと戻し、胸を張り上げて朗々と言った。

「よろしい、まずは俺からだ。ニール・チェモーニ!」

 そして広場は静まり返った。

 これからは次々に議員が登壇し、自分たちが意志を表示するのは最後の議員が名を呼び終えてからだと誰もが理解していた。

 多数決らしいのでもう少し早く結果は判明するだろうが、それでもその瞬間まで緊張が続くのだ。

 先ほどまでと打って変わった雰囲気が立ち込める広場の中で、次に登壇したのはアムテッロだった。

 アムテッロが誰を呼ぶかは、広場の誰もが予想の一致をみていた。

 きっと彼の弟の名を呼ぶだろう。

 しかし、彼は穏やかな声色で人柄を誰にも感じさせながらその期待を裏切った。


「アンドレア・トゥホール」

 その言葉は静まり返っていた広場に一石を投じたかのようだった。

 意外な言葉であったことはもちろんのこと、特に元クリッジ市民は新しい街の市長にも我らが市長を戴けるかもしれないという興奮を感じる者が多かった。

 それらの様々な想いを前に、続いて登壇したトゥホールはまるで優しく諭すかのように落ち着き払った様子であった。

「私を指名してくれてありがとう、アムテッロ。しかし私は一度失敗した人間なのだから、次は若さと能力に溢れた者に道を譲りたい。そしてその行く末を見てみたい。この後に私の名を呼ぼうと思ってくれていた方には、どうかお願いだから私と同じ者の名を呼んで欲しい。そして、彼の歩む道をできれば私より長く、ともに歩んで欲しい」

 そこで一息ついて皆を見回す表情は、その場に集う一人ひとりへの慈愛を伝え、同時に自分の強い意志を伝えるものに見えた。

 そして彼は特に気負う様子もなく、当然のことを口にするだけといったようにさらりと言った。

「ニール・チェモーニ」


 澄ました顔のトゥホールに続いたのは、こちらはやや強ばった表情のナタルーゴであった。

 これまで開店休業状態の商人から、一足飛びに市議会議員になったのである。

 眼前に広がる聴衆は彼にとって見たこともない人数なので気後れも相当なものだった。

 それでも、彼も自分が何を言わねばならないかはしっかりと判っており、それを実行に移す胆力も持ち合わせていた。

「同じく、ニール・チェモーニ」


 その後も登壇する者は誰もがニールの名を呼び、そのことに広場の誰もが異議を抱く様子もなかった。

 人前にあまり出ないので元クリッジ市民にはニールを知らない者も多かったが、彼らも新しく市議会議員に選ばれた者たちが、特にトゥホールが強く推す人物ならば問題なかろうと思っていたのである。

 最後に登壇したパエトリウスもニールを指名し、これによって指名多数で市長を選出したことをマディが告げた。


 いよいよ新市長が登壇することとなったが、カイはそこで不思議な気分を味わうこととなった。

 演説台の上に自分は付いていくことができないのだ。

 ニールと初めて出会ってからまだ一年が過ぎたところだったが、もう随分長い間ニールの影のように付き従ったものだ。

 その自分が付いてゆくことができない場所へ、今ニールが上って行く。

 誇らしさと寂しさがカイの足を自然と止めた。

 そして遠ざかる背中を祝福することだけが、今の自分の役割であると思った。



 演説台に上ったニールを見るのが初めてである者たちは、なんと華奢な少年が自分たちの市長になったものかという気持ちを抱いた。

 彼をよく知る者でさえ、大勢の前に立つとこれほどか細く見える男だったかと思い、心配する気分になってしまう。

 そのことを問題にしていないのは、唯一そう見られている本人だけであるかのように、壇上の少年は最初から落ち着き払った佇まいを崩さない。

 そうした態度に、時間が経つにつれて皆がやや安心したように表情がほころんでいった。

 自分へ向けられる視線の質が変わったことを感じてか、しばらく穏やかに微笑むのみだったニールが、やっと口を開いた。

 それはシルスティア市が産声を上げるために口を開いた瞬間でもあった。


「親愛なる皆さん、先ほど市長として選ばれたニール・チェモーニです。まずは皆さんが市議会議員を信任してくださったこと、そして彼らの初めての判断を受け入れてくださったことに感謝します。今こうしてここに集う人々は、最初に街を造ろうと思い立った時からは考えられもしなかった人数になっています。父と兄とその友人たちで始まったことに、実に多くの方々が力を貸してくれました。この流れは我々がそれを望む限り止らず、さらにこの街に多くの人が住み、発展させる力となるでしょう。その一歩目を踏み出した瞬間を皆さんと共有できたことはこの上ない喜びです」

 堂々と語り続ける姿に、もはや誰もがか細い少年であるという認識を捨てていた。

 そして自分たちの市長の初めての言葉を聞き逃すまいと、誰もが熱心に耳を傾けていた。

 聴衆として広場にいたカレージオ兄妹も、これがあのニールかという想いに胸を熱くしていた。

 マウナルドは左眼の傷から熱を出してしばらく寝込んでいたが、その治りがけをおして来ていた。

 そして、まだ長い時間一人で立つことが難しい兄を支えるティアの髪には、羽の形に見える髪留めが陽光に鈍く穏やかに輝いていた。


「この街は東西にマプロとウォニアを望む地にあります。マプロの先にはノイベルクもあります。南へは中央山脈を通らずにホルトへ達し、北へはハクサ山脈の難所を避けてラナホウンへ通る道があります。さらにこの街は水運も利用が可能で、下流でリドーテへ合流すればアグバールへもそのまま達せられます。現在金の道はこの街を北にややそれて通っていますが、その道をこちらへ引き寄せることは決して難しいことではないはずです。皆で力を合わせましょう。今ここに居合わせる人々、これから仲間に加わる人々、その誰もがシルスティア市民であり、市民は目的を一つにする家族です。皆で一つの目標を抱きましょう。水は各々小さな椀に入れていればすぐにこぼれて多くが失われます。しかし大きな樽に集めて入れておけば必要な時に必要とする者が十分な量を使えます。市民の皆で大きな樽に水を注ぎましょう。自分に出来ることでその役割を果たし、その見返りを誰もが公平に享受しましょう。常に明日を不安がらず、希望をつなぐ日としましょう。誰もが幸福を諦めることのない、機会を約束された街にしましょう。金の道をいずれわれらのものとし、繁栄を市民全員で心から喜び合いましょう。その日のために、そしてその日が永遠に続くため、ここにシルスティア市の創設を宣言いたします」



 ほんの一瞬、広場に静寂が訪れた。

 しかしそれは皆が新しい市長の言葉を理解した途端、歓喜の声によってもうしばらくは縁遠いものになりそうだった。

 いつからか風が吹いていることに気付いた者は多くはなかったが、それがいつの間にか雲を運び去っていたことに気付いた者は誰もいなかった。

 心地よい春風と雲間から差す陽光に、市民の声が長く響いた。

「シルスティア市万歳」

「チェモーニ市長万歳」

「正義により団結しよう、繁栄しよう」


 その日、そこにいた誰もが興奮に頬を赤らめながら同じ言葉を何度も何度も叫び続けた。

 まるで天上の神々に自分たちの想いを届けようとするかのように。

 やがて誰もが近くの人の手を取り、肩を抱き、涙を流しながら口にする言葉を誓い合った。

 カイも知らずのうちに周りの人々と肩を組み、考えるよりも先に口をついて出る言葉を愛おしく感じていた。

 それでもふと演説台の方を見やると、壇上のニールは高く空を見つめていた。

 それは皆の言葉と想いが空を昇り神々まで届くかを見守っているかのように、優しさに溢れながらも雄々しい姿に思えたのだった。


 こうして緑の海原にまた一つ、新しい島が生まれた。

 その島の産声は、その日の夜中まで激しく響き渡り、次の日になっても人々の心に刻み込まれて、もう鳴り止むことはなかったのだった。

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