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ブラーオ・ロメリーニ


「事態はあまり良くないようですな、キオッゾ」

 先ほどまで無造作に投げ出されていた手紙を丁重に捧げ持ち、ブラーオ・ロメリーニは言葉を選びえらびに口にした。

 二月二十日付の手紙はマプロの商館から送られたもので、現地でのコアディ家を弾劾する風潮を告げていた。

 そして、それがクリッジ市建設の強引さを声高に叫ぶものが中心であるとも書いていた。


 彼は普段ならばもっとぶっきらぼうに感想を切って捨てるのだが、部屋に招じ入れられた際の主人の機嫌が思わしくなかったので、まずは儀礼的に接することとしたのだった。

 彼の主人と取るに足る会話をするようになって五十年近く経つが、すでに満杯の器に溢さぬよう水を注ぐような緊張感を覚えさせられることには変わりがない。

 どれほど近しくとも、その器を溢れさせる無礼をはたらいた者の末路は、年齢と同じほどの数を見ていた。

 コアディ家の執事を務めていることとなっているロメリーニ家の家長は去年の中頃に六十二歳になっていた。


 努めて冷静な声色に少し溜飲が下がったかのように椅子へ深く座りなおしたキオッゾは、年がそう離れない甥を、それでも眼光鋭く見つめた。


「黙らせられなかった、ということか」


 ブラーオはこの眼光と、耳の奥へ直接言葉を彫り込まれるような感覚を幾度も味わってきた。

 そして、これに対しては自らの才覚の全てを差し出すことしか手立てがないことも知っていた。

 まずは臆せず、主人の持つ情報を正しいものとすることに心を砕くべきであった。

 この類の努力については、キオッゾ・コアディは一度も腹を立てたことがないのだった。


「前触れもなく沸き上がった話だと聞いております。裏があるのでしょう」

「察しはつくかね」

「つきますが、多すぎます」


 その言葉に、やっとコアディ家当主も平常心に戻ったと見え、大きな溜息を吐くと、天井を見上げながら腹の上で手を組んだ。

 その所作に、ブラーオは一瞬だけ、この男に年相応のものを感じたのだった。


「何もかも疑わしい。サーニウスがうろたえる顔が目に浮かぶな」

「当主なのだから泰然自若としていればよろしいものを。小物の遠吠えに一々顔色を変えているからこうなるのですよ」

「そう言ってやるな。あれには荷が勝ちすぎるのだ。ディニウスもあれを学者にしておいてやればよかったかもしれないな」

「まあ、よいでしょう。それで、どうなさるおつもりですか」

「魅力的な街ではある。だがこの手紙にも一理ある。どうしたものかな」


 そう言うと、またもキオッゾは溜息を吐いた。

 気弱になっているのでないことは判るが、それにしても珍しいことだった。



 二月二十三日のコンクデリオは、冬にしては暖かみを肌に感じる日であった。

 ここへ来るまでの廊下に陽の光がたっぷり差していたからだろう。

 コンクデリオは彼らが生まれた街からは南にあたるから、尚更そう思えるのかもしれなかった。

 ブラーオが物心ついた頃は北にハクサ山脈の西端が見えるほどの田舎にいたものだったが、そこから随分遠くに来ている、と彼は日に日に思うようになっていた。

 自分自身が老いたせいもあったろうが、昔からキオッゾのやり方の性急な部分に危うさを感じてもいたのだった。

 彼が今までそのようなことを口に出さなかったのは、彼の主人がそれを微塵も許さないほどの生命力を発していたからだった。それが今日はどうにも違っているようだった。


 キオッゾ・コアディはその人生において、常にある種の自然さを見せる男であったと、ブラーオには思えていた。

 若い頃は春の陽気に似て、長じれば夏の暑さも秋の調和も思わせた。

 そして、今は老いて冬の静けさで周囲の畏敬を集めていたが、これに暖かみを感じるならば次の春が近いということか。

 それはつまり、この老人の人生の終焉を意味するようにも思われた。

 そうであれば、キオッゾが世を去った暁にはコアディの長老格として次の世代を守らねばならない彼には、争いの種は少しでも減らす必要性が強く感じられたのだった。

 キオッゾ亡き後のコアディ家が、彼と同じ感性でもって他と渡り合える保証がないのならば、ブラーオは慎重になるべきだと判断したのである。

 それだけキオッゾ・コアディは当代に並ぶもののない傑物であった。


「手を引くべきです」


 平静を装ったが、勇気のいる一言だった。

 二の句を継ぐなど考えられないことでもあった。

 後はいつものとおり、主人の判断を待つのみである。

 しかし、その返事に彼は安堵し、ほんの僅か、寂しさを覚えたのだった。


「そうだな、少し惜しい気もしなくはないがな」

「もうジェーリオには十分すぎる財産を遺しました。あなたが引き継いだものを思い出してご覧なさい」

「うん、十分か。そうだな、そうだな・・・」


 その口ぶりの穏やかさは、巨大なろうそくが消え入る直前に、灯火の大きさを保ちながらも儚く揺らぐ風を思い起こさせた。

 この老人はもう永くないだろう。

 そう直感したブラーオは、自分もそう長くはない生命であることを思い、これからのコアディ家を案じずにはいられないのだった。

 彼らが一代で成した繁栄は果たしてどれほど続くだろう。

 それを口にしないのは忠誠心や保身などではなく、もはや彼と彼の主人の考え方の違いによって、口に出しても甲斐のないことだろう、と思ったからである。


 スカラー家からクリッジ市に係る債権を買い取る用意がある旨の手紙が来たのは、それから数日の後のことだった。

 買い取るのは、リコローニ家ならば穏便に事が運ぶだろうとも記されていた。

 それについて、特段キオッゾ・コアディは何も言うことはなかった。

 話はまとめられる方針で、その後も両市で数通の書簡が交わされた。

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