不注意
そのうち人ごみの中で動く術をなんとか会得し、露店を冷やかすのに夢中になっていたカイも、腹の虫の訴えに気が付いた。
今朝は、もうマプロもすぐそこだから、と格別早起きしていたのが、もう太陽も真上に来る頃になっている。
陽が出るか否かくらいに簡単な朝食を採ったきりだったので、さすがにもう小腹が空いて不思議はない。
なにか食べようか。
露店の屋台には料理を出しているものも沢山あった。
ちゃんと見繕えば安くて腹のふくれそうなものだってあるはずだ。
そういえばさっき通り過ぎた、厚切りにしたパンに、これも厚切りのハムを挟んだだけのものは、たしか悪くない値段だったはずだ。
よし、それを食べながらミトーさんに教えてもらった宿屋を目指そう。
そう思うや、カイは今来た方向へくるりと向き直り、目的の屋台へと一目散に歩き出した。
大雑把な見た目だったが、あれはあれで旨そうじゃないか。
頭の中で思い描くと、胃もどうやらその気になってきたらしい。
早くそれを食わせろとばかりに、彼の腹をへこませて催促し始めたのだった。
引き返している間にも、幾人かそれを手に歩いているのとすれ違う。
見るにつけてやはり旨そうだ。
売り切れやしないかという危惧が一瞬脳裏をかすめたが、あんなに大きな肉の塊から切り落とすのだ、そうそうなくなってしまうこともないだろう、などと自分に言い聞かせて安心しながら、とにかく屋台を目指したのである。
そのうち平べったい刀のような包丁が振り上げられているのが見えてきた。
あれだ、あの屋台だ。
足も自然と早くなる。
前に着いてみるとハムの親玉は依然としてその威容を保ち、これは急ぐ必要もなかったな、と少年は心の中で苦笑したのだった。
値段の札が屋根から釣り下がっている。
どうやら三セステル銅貨らしい。
もう二セステルはずめば野菜だの卵だのが追加されるらしいが、そんな贅沢をする余裕などない。
今は一セステルどころか一アッス小銅貨すら惜しい旅路なのだ。
カイは迷わず銅貨を三枚出そうと懐の財布に手を伸ばした。
ところが懐に手を伸ばせど、おかしなことに手ごたえがまったくない。
財布とは名ばかりの、銅貨と少しばかりのデナリア銀貨が入った袋が、どこにもないのである。
馬鹿な、そんなはずはないのだ。今朝身支度をしたとき、確かに懐に入れたし、馬車から飛び降りるときもわざわざそのあたりに手をやって、着地したはずみで飛んで出ないよう押さえたはずだ。
あの時も確かにあった。
では、その後は。
カイは血の気が一斉に退いていくのをはっきりと感じた。
人ごみの中で何度かぶつかった。
あの中に掏りがいたのだ。
懐といっても、そうしっかりと身に引き付けておいたわけではない。
シャツの上から羽織っている麻の簡素なベストの、内側のポケットにひょいと入れておいただけだ。
それを生業にしている掏り師にしてみれば、取ってください、と言わんばかりの簡単な仕事だったことだろう。
今となってはいくら悔やんだところで後の祭りなのだが。