一触即発の広場へ
1
なかば発作に見舞われるかのように馬車へ乗り込んだ男たちの中にあって、ニールは普段どおりの表情であるとカイには思われた。
ただし、常のことならば何よりもまず皆に落ち着くよう諭していただろうことを思えば、やはり父の仇の名はこの沈着な少年をも突き動かしたということか。
だがそれでもニール・チェモーニが考えもなしに危険へ身を晒すなどありえないことだ。
まだ不安げに伏し目がちな少女の肩を抱きながら、カイは自分が見つめる先の表情についてはそう考えていた。
そして、彼と同い年である主人は、若い剣士の期待を裏切ることはないようだった。
彼の主人の顎がふと動いたかと思うと、次の間には身体をひょいと前へ乗り出して、馬車の前方に陣取っているトーニや工夫たちに耳を貸すよう言った。
各々剣や棒を握り締めていきり立っていた男たちも、何事かと後ろへ振り返ってみると、普段と何一つ変わらない顔つきの少年に少しばかり空気を抜かれたような気分だったに違いない。
そしてニールが話しだした。
「今回こうしてクリッジへ向かうのは、決して殺し合いをするためじゃない。まずはそれを確認したい」
そう言って皆を見回す際に一度も眼が合わなかったことが、カイには嬉しかった。
その言葉にはティアもやや安堵を覚えたらしく、抱く肩から僅かに力が抜けたように感じた。
「旦那の仇討ちじゃないのかい、ニール」
不満気にトーニが言い返すが、これは抗う気のない言葉であることもすぐ分かる。
先ほどまでの殺気にも似た気配はもう誰からも感じられない。
この場の誰もが、ロンドバルドが死んだその日から新しい指導者に絶大な信頼を預けていた。
彼らの指導者が争わないというならば、そうするよりほかには彼らにないのである。
「クリッジについて、お前には考えがあるんだね」
アムテッロの穏やかな声色の問いに、彼の弟は頷いた。強い意志のこもった頷きであるように見えた。
「まずはトゥホール市長の無事を確保すること。すべてはそれからだ」
「すべて、それから・・・。一体何を考えているんだ。それでどうなる」
声は低く抑えていたが、マディの瞳でぎろりと睨まれたら自分なら堪るまい、とカイは思う。
しかし、ニールはといえばそれでも淡々とした表情を一切崩さない。
まるで体は馬車の中で共に座っているのに、心は遥か雲の上から自分たちを見下ろしているかのような落ち着きにも感じられた。
「実はずっと、少し前からこの日を心待ちにしていました。父さんの仇を討つつもりじゃない。けれど、もっと意味のあることが今日起こるかもしれないんです」
ニールは果たして誰に語りかけているのだろうか。
ここに集う全員であったかもしれないし、誰でもないかもしれない、とカイは感じていた。
ただ、この明晰な少年の見る未来を自分も見てみたい。
彼の言う意味のあることとは何か。
そう思うと、少なくともカイには彼が誰を相手として話しているかは大した問題でないのだった。
2
ニールはその後繰り返し無理をしてくれるなと、とりわけトーニに言い含めるように皆へ言いつけていた。
そうするうちに街の灯が遠くに見え、クリッジ市の外縁に到達していることが分かった。
道中で立てた作戦としては相手方の勢力に応じて二通りであった。
相手が小勢で自分たちが加勢すると安全が確保できそうな場合はそのまま追い払う。
もしくは相手が大勢だった場合は市庁舎へたどり着き、庁舎内への相手の侵入を防ぐ。
ティアが去り際に見た光景では向こうの人数は五十人程度とのことである。
これに対するはマウナルドを筆頭とする雇われ剣士が十数名と市職員が七十名ほどだが、こちらはどれだけが防衛側の戦力になっているかは疑わしい。
そもそも昼間の押し問答の際には、市庁舎の門の外へ出ていたのはマウナルドと他二名の剣士のみだったということである。
とにかく今カイたちにできることはといえば、市庁舎が見えるくらいの建物の陰に馬車を隠して様子を伺い、争うまでに至っていないならば向こうを刺激しないよう群衆の振りをして庁舎へ近づくことだった。
争いがあるか人だかりができていることは近寄ればすぐにでもでもわかるはずなので、皆の緊張も一層増してきているかに見えた。
ティアも兄の身が案じられて仕方ないのか、先ほどまでは膝を抱いて小さくなっていたのが、今では細身の剣を両手に握り締めていた。
誰も死ななければいいが、そう考えて不吉すぎるとカイは頭を振った。
まだ今夜剣を抜くとも決まったわけではないのに。
ただこういう時の自分の直感は当たってしまうことを、カイは恨めしく思い出すとともに、覚悟とも諦めともつかない気持ちで受け止めるのだった。
3
市庁舎の尖塔が夜目にもはっきりと見える位置まで来た時、ちょうど馬も馬車も隠しておけそうな小屋を見つけたので、そこを間借りすることにした。
二人の工夫を留守番に残し、残りはただ市庁舎へと走る。
誰も一言も発さず、漏れる息さえ押し殺すように一ロンガほどを駆けた。
そしてとうとう広場までたどり着きそうになった頃合と同じくして、不安そうに彼らの行き先を見つめる人々も増えてきたのだった。
この人数では人目に付きすぎるかと思ったが、皆気が急いたらしく、誰も周りを気にせず走り続けた。
そして目的の市庁舎前広場に達するところで、まさに人の壁に突き当たったのだった。
一行はそこでやっと立ち止まり、息を整えながら深く安堵した。
まだ争いには発展していなかった。
いや、ドゴノフらがその気になれば、今頃想像することさえはばかられるほど凄惨な光景が広がっていてもおかしくないのである。
彼の手下はどれも荒事を生業とするごろつきばかりなのだ。
そのような男たちが一斉に押し寄せれば、いかにマウナルド・カレージオがいたとてどうしようもなかっただろう。
ただし、他より早く呼吸を整えたカイが人だかりをかきわけて見た光景は、その一歩手前に過ぎないものであるようだった。
マプロやヴィンタリで見るような神殿が二つは建てられようかというくらいの広場には、たしかに真っ当な仕事をしているとは思えない男たちが七十人ほど。
これでは乱入して追い払うのは到底不可能だろう。
そして、その先頭の二人はダライランとドゴノフだった。
ドゴノフは他の男たちとは別に十人ほど、彼の後ろに控えさせているようにも見えた。
対する市庁舎の方には、門より前にいるためまず五人が目に入り、その後ろにも数人いるようだったが、こちらは何とも頼りなく思える。
しかし、その中には間違いなくマウナルドがいたのだった。
さっと見回しただけのカイには互いの人数は関係なく、ただマウナルドと二人がにらみ合っているだけだという印象を受けた。
「もうずっとあのままですか」
「一旦引き上げたかと思ったんだがね、人数を増やして戻って来やがったんだ。昼にも同じことがあったんだが、あの時は大人しく引き上げると思ったんだがなあ」
観衆を装って隣の男に尋ねてみると、どこか他人事のような口ぶりの答えが聞けた。
彼やここを取り囲む他の人々は、一体どのような気持ちで見守っているのだろうか。
マウナルドと同じ気持ちを少しでも共有しているといい、とカイは願う思いを自らに感じていた。
気がつけばティアがシャツの背中を震える拳で握っていた。
何故彼女の兄がこれだけの人の代わりになって、これほどの人数の荒くれ者どもの前に立ちはだからねばならないのだろう。
カイは以前からこの街に感じていた例え様のない理不尽に、少しだけ形を得た思いになったのだった。
そんな少年の思いとは裏腹に、三人の男たちの間ではまるで時間が止まってしまったかのようだった。
このまま夜が明けるのではないかとさえ思える、張り詰めた緊張感と静寂であった。




