変事
1
駆け寄る最中、まだ遠目にしか見えていないころから、馬の首はせわしなく上下しているようだった。
もう少し近寄ると馬上の人影も同じように肩を上げ下げしており、相当急いだ道中であったことが窺える。
風が人馬の背中越しに吹いているので、一人と一頭の白い吐息が一瞬宙にとどまっては虚空へ吸い込まれてゆく様を、囲んだ男たちはしばらく何も言えずに見守る格好となっていた。
カイが人だかりの中へ入り込んだころ、馬はまだ荒い息のままだったが、乗り手は幾分か呼吸が整ってきたらしい。
両手にぐるぐると巻きつけた手綱を解き、目深に被った外套のフードを脱ごうとする。
ぶかぶかの手袋をしているらしく、何度かフードを掴もうとしては掴みかね、とうとう両方の親指を引っ掛けて後ろへ放り投げるように取り去るのだった。
そして風になびきながらこぼれ出た髪は、間違いなく見覚えのある少女のものであった。
2
すぐにでも声を掛けようと思ったのだが、顔をあらわすや何かに急き立てられるような表情で周囲を見回す少女を前に、カイは形容しがたい予感に襲われた。
きっとクリッジで何かあったに違いない。
それも相当重大な、そして悪い出来事が。
その気後れに囚われた瞬間、馬上の少女と群集の中の少年は視線が交錯した。
少女が必死の形相で捜し求めていた人物は、やはり自分であるようだった。
「カイ、あなたでしょう」
その問いかけに少年が答えるより早く、少女は馬から滑り降り、あと数歩というところまで近づいたかと思うと胸へ目掛けて飛び込んできた。
慌てて両手を広げて受け止めると、ティアは恐怖と安堵がごちゃ混ぜになったように目を閉じて歯を食いしばり、カイの方へ身体を預けてしまった。
その震える身体をマントの中へ包み入れてやると、初めてこの少女に触れた事実に気づき、否応なく頬が染まるのを感じてしまうのだった。
「ティア、こんなになってどうしたの。お兄さんは変わりないかい」
とにかく落ち着かせようとした言葉であったが、それが核心を突いてしまったらしい。
ティアは急に顔を上げ、その瞳には涙が浮かんでいた。
「助けて。兄さんが、街の人たちが殺されちゃうかもしれない」
3
取り乱しつつあった少女を宥めながらもひとまず小屋へ向かうこととなったのは、集まっていた中にいたメルジが無言でその方角を指し示したからだった。
ティアを直接知らない者たちも、この少女の身の上に重大事が起こっている事は把握したらしく、全員が心配そうな面持ちで抱き合う二人を見つめていた。
駆け通しだったらしい馬は今にもへたり込んでしまいそうなのを、工夫の一人が厩舎の方へ引いていった。
ぺリアー種やシャルシュ種よりさらに小型の乗用馬だが、アグラム種だろうか。
とにかく今日はもう誰も乗せられまいということがはっきりとわかるほど疲弊している様子だった。
その弱々しい歩様に、いよいよ余程の一大事である予感が増す思いがする。
小屋へ着くと、これはもういつものことではあったが、まずはアムテッロが出迎えてくれる。
毎日のように玄関に近い食堂でパエトリウスやマディらと今後の工事の予定を詰めているからである。
そして二階からはニールとクラウティーノが顔を出し、同じころ外から騒動を聞き付けたトーニがカイたちに追いついていた。
食堂では何事か、と図面を丸める音がしているので、予想通りパエトリウスらが中にいるのだろう。
さすがに居残った者たち全員を収容するほどではないが、主だった者たちと来客が一人くらいであれば十分な広さがある食堂は、会議室としてもよく使われている。
そこへ集まった者たちを前にして、今更ながらティアは少し緊張したような表情でもあった。
それでも、カイに促されて話し始めた少女の口から語られたのは、彼女の慌て様にも納得のゆく変事であった。




