越冬
1
クリッジ市からダライランが追放されて三ヶ月が過ぎようとしていた。
あれ以来、カイはクリッジへは足を運んでいなかった。
もはや公に赴く目的のなくなった街であったし、あったとして真冬の平原を日帰りで歩く気にはなれない。
馬に乗ればあまり寒さも感じずに行き帰りができたのだが、特に用事もないのに中州の重要な戦力であるぺリアー馬を借りるのも気後れがした。
ティアは元気だろうか。
今頃はあの寡黙な兄と二人で、この寒い冬が明けるのを待っているのだろう。
まだ羽の形をした髪留めは渡せずに持っている。
足繁くクリッジへ通っていた頃も、マウナルドの眼が気になるように思えて、結局毎回手に取っては小屋へ置いていくのを繰り返していたのである。
きっと春になれば歩いて行ける日が訪れるだろう。
その時にでも改めて訪ねて行って、何か理由を探して渡せるだろう。
カイは冬という季節の持つ雰囲気以上に静かな中州を歩きながら、そう考えていた。
二千人の工夫たちも、この時期はほとんどがマプロの家族の下や、他の街に親類を頼って出払っているのである。
いかに世間のはみ出し者の集まりといえ、多くが家族を持つ者たちであったからには、工事が中断される季節は帰省にうってつけだった。
さらには、小屋の中ならまだしも、彼らの多くが寝起きしている天幕では、さすがに冬を越せるとは思えなかったからでもある。
こうして多くの工夫が帰省兼避難のために、今は中州を離れているのであった。
残ったのは元々小屋で寝泊りしていた者たちの他には、マディやロッカら二十人程度が食堂に集まっているのみである。
当初の予定では工夫の半分は収容できるだけの小屋を作る木材が用意してあったのだが、思いがけず中洲の排水工事に使ってしまったため、工夫たちの他の街での越冬は、随分前から決まっていたことでもあった。
2
小屋に残った者たちは、いかに力が有り余っていても作業のできる人数ではないため、皆それぞれのやり方で日々を過ごしていた。
残った工夫たちはトーニに剣術を習うことに決めたようで、小屋の外の広場は冬の間中、街中の剣術訓練所を思わせるようだった。
工夫たちで立ち会う場合にはどちらが勝つかを賭けて盛り上がるところまで、訓練所さながらではあった。
パエトリウスとアムテッロは、マディと共に春からの工事の仕上げについて詳細な打ち合わせをたっぷりと行っていた。
彼らの試算によると、三月の頭から工事を再開して、順調に進めば四月の半ばには大運河に水を通せるだろう、とのことだった。
どうやらこれまでの作業は相当うまく運んでいたらしい。
その後はヴィンタリにいるペルデディカらの商人を呼び寄せて店や市場などを整備すれば、ここの立地であればすぐにでも活気のある商業都市になるだろう。
それらの話の合間には、二人はクラウティーノの教師となることもあった。
素直で賢く、話を聞くのが好きなこの幼児は、とても優秀な生徒であるように思え、それは教師の満足そうな顔つきからも事実であるらしかった。
ニールは兄やパエトリウスらとの話しに加わっていることも多かったが、やはりこの少年らしく、時々何を考えているのかじっと黙り込むこともあった。
ダライランを除いたというのに何が気にかかるのかとも思うが、それでも彼の考えねばならないことは多いのだろう。
そして時々、それらのすべてに疲労を覚えたように顔を上げて話しかけてくるので、その時に何と言うことのない会話をすることが、この冬の間の、カイの仕事らしい仕事だったかもしれない。
もちろんそれを苦に思うことは一度としてなかったのだが。
そしてカイの過ごし方はといえば、ニールが話し込んでいる時には剣術の稽古に顔を出したり、クラウティーノとおとぎ話を作って遊んだり、今のように一人で外を散歩したりと、まったく気ままな毎日であるように思えた。
一日一日が彼にとって、これ以上なく満ち足りた日々であった。
このままずっと冬が続いてもきっと不満など言うまい、と少年は確信していた。
薄く、しかし融けずに積もった雪に足跡をつけながら歩く少年は、茶色のマントの上に揺れる落ち着いた金色の髪が、遠目には畑で刈り残された麦の穂が揺れるように見えることには無頓着であった。
もう少し歩けば面白い話が浮かぶかもしれない。
今夜は彼がクラウティーノに話す順番の日なのである。
恐ろしい龍や儚げな妖精のことを考えながらも、そのうち、少女の顔がどこかで思い出されてしまう。
夕食までは、まだもうしばらくある。
少年は頭の中のどちらか一方に意識を集中させることをわざとせずに、そのまま纏まらない考えを弄びながら歩くのだった。
3
そうした、穏やかながらも充実した日々は、三月をもうわずか待つことをせず、終わりを告げることとなった。
まだ雪の融けきらない、冷たい風の吹く日のことだった。
暦の上では二月二十一日だったが、誰もそのようなことは気にせず始まって過ぎた、いつも通り静かな一日の終わる頃であった。
一人と一頭がどちらも息を切らしながら、中州へと駆け込んできたのである。
何事か、と人馬を囲んだ中にいたカイにとって、馬上の顔は見知った少女のものだった。
だが、その表情ならば、まったく初めて見るほど蒼ざめたものでもあった。




