仕返しの兆し
1
ティアの料理は、カイにはとても上出来に感じられた。
普段なら工夫たちが当番制で作る食事なので、簡素で塩辛いものを食べている時間なのである。
それが彼女の作ったスープは、材料なら豆といくらかの野菜といったように簡単なものだったが、味付けは余程気を遣っているように思えたのだ。
具をくたくたになるまで煮込んだだけの料理がいかに大雑把で味気ないものだったかと、今さらながら残念だとさえ思われてくる。
そんなことを考えてしまうほど、カレージオ家の食卓に上がった料理は、客となった少年を満足させたのであった。
しかし、彼が食後の余韻に浸っている間も、少女はどこか物憂げな表情なのが少年には気がかりだった。
それは食事の直前からそうだったように思われるのである。
食事中にも彼が料理についての賛辞を送れば、その時は笑顔で謝辞を返してくれたのだが、やはり口数は少なかった。
もしや、自分が何か不用意な事を口にでもしただろうか、と言葉を思い出してみるのだが、ついにこれといって浮かばない。
そうしているうちに、とうとうカレージオ家を辞す頃になったのだった。
兄が街のはずれまで送ってくれるとのことであるのに、カイはまた少しだけ緊張した。
だがそれは、もはや敵対する剣士に感じるようなものでなく、厳めしい年長者と二人きりでそこそこの時間を共に歩くであろうことに対する気持ちなのだった。
玄関でティアと別れた後、昼間に来た道を引き返していく。
夜になって周りの家々に明かりが灯っているのだが、やはり思っていたよりも暗い。
人が住んでいない家が多くあるのだろう。
元々住んでいたのが空き家になったのか、それとも最初からであるのかは判然としない。
しかし、どちらであろうとこの街に抱いていた寒々しい印象が強まることに変わりはなかった。
大通りにでても、冬のこととはいえ、人影はまばらとしても言い過ぎるほどに少ない。
「妹がすまないな」
急に横から話しかけられて、カイは素直に驚いてしまった。
もう随分一人で勝手に歩いている気分になっていたのである。
それほどに同道の青年は寡黙な雰囲気の持ち主だった。
「ティアはなんだか機嫌を損ねてしまったみたいでした」
「ああ、ホルトに行きたくないのだろう」
それで少女は塞ぎ込んでいる風であったのか、と納得のいく思いになる。
どうやら自分の不手際が原因ではなかったようだ。
これ以上彼女について負い目を感じるのは気が重いと思っていたので、驚きが引いたことと相まってか、安堵に胸が軽くなる。
「どうしてですか。きっとこの街より暮らしやすいのに」
「君と離れるのが嫌なのさ。あんなに楽しそうな顔を見たのは久しぶりだった」
「けれどこの街では・・・、なんだかおかしいです」
思えばできてさえいない街の人間が偉そうなことを言ったものだったが、並んで歩く男も同じ意見であるようで、ふむ、と頷いたきりだった。
二人はそのままで市庁舎をやや遠くに眺めながら、東地区へ辿り着いたのだった。
2
東地区へ踏み入れてからは、少し先を歩くようになった男は大通りへは向かうつもりがないらしく、市庁舎を囲むように広がる広場から一本の路地へと入っていった。
ここは大通りに面する酒場などの裏側になるようで、時折男たちの野卑な声の響きが聞こえてくる。
ただし、そのどれもが何を言っているかまでははっきりとしない。
音といえばそれらと二人分の足音だけの、静かな路地だった。
マウナルドがこちら側の道を選んだのは、大通りではしにくい話を道すがらするつもりであるかららしかった。
しばらく無言で歩いていると、不意に彼が口を開く。
「ロディーネという男がいる。ダライランの部下だが、ドゴノフになびいている」
それだけの言葉で、彼が何を言おうとしているのかは察しが付く。
カイは何も応えずに、ただ男の顔をちらりと見上げた。
男もこちらを見てはいなかった。
「ドゴノフに気に入られようと、奴の顔の傷まで真似したような男だ。口では硬骨漢を名乗ってはいるが、口だけの奴さ。少し脅せば何でも話すだろう」
顔の傷、そういえばトゥホール市長が中州を訪ねて来た時、そんな男がいたことを思い出す。
まさかあの男ではあるまいか。
しかし、そのことはこの際重要でなく、そのマウナルドが言う男を、確実に市長の前へと連れ出し、真実を語らせられるかが問題であろう。
ところでトゥホールがやって来たのは、あれは春の終わりのことだったか。
あれから一年と経たないのに、色々なことがあったものだ。
そう思うと、カイはおかしさと切なさが一緒になって湧き上がるのを感じるのだった。
「では、その男を捕まえればいいのですか」
「まあそうなのだが、あまり露骨にやると他の連中に勘付かれる。少しばかり慎重に動いた方がいいだろう」
その、少しばかり、慎重に、というのは如何なる具合にすればよいのだろう。
言った本人はきっと細部まで想定できているのだろうが、カイにはまだすぐにはピンとこない。
しかし、元はと言えば彼はこの話に関わる筋合いのない男でもあるのだし、詳しく聞くのも躊躇われるように思われた。
どの道今日は想定外のことが多すぎたので、一旦中州へと戻る必要があるだろう。
それからニールに報告して指示を仰げばよいのではないか。
そう考えているうちにも、隣を歩く男はまるで自分一人で散歩しているかのように、こちらの様子を窺うことはない。
カイが黙り込んでしまったので、二人はそれからは何も話すことなく、気付けば東地区の外れに差し掛かっていたのだった。
3
「この街に来る用があるならば、またうちに寄るといい。妹も喜ぶ」
別れ際のマウナルドの言葉は、少年を引き止めるでもなく独り言のように呟かれた。
月明かりに薄く照らされた道を進もうとしていたカイは、立ち止まって声の方に振り向いた。
相変わらずこちらを気にしているのか判然としない素振りではあったが、それでも男の好意が感じられたように思えた。
いい人なのだろう。
今日一日、短い時間のふれあいではあったがマウナルド・カレージオという男の人となりを総評すると、そういう風に思うのだった。
無愛想だが、暖か味がないわけではない。
もう踵を返して去っていく男の背中を見つめながら、彼の胸には快さが残っていたのであった。
4
その日以来、三日置きが常だった中州から出ては戻る人馬の影が、一日置きになった。
馬には二人の人影があったが、その内の一つは必ず小柄なものであった。
昼過ぎに出発しては夜遅くに戻ってくる少年の表情は、もはや雪がいつ混じってもおかしくない風に吹きさらされながらも、日を追うごとに自信に満ち溢れていくようであった。
彼の主人が目論む反撃が、いよいよ実現を迎えようとしていたからである。
本格的な冬が到来し、工事の手は寒さに止まったが、中州の男たちの心は再び熱く燃え盛ってきたようだった。




