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二人の会話


 冷や汗をかく暇さえ与えられない間の出来事だった。

 居間は玄関からは最寄りの部屋の一つで、家自体がそれほど大きくないのも相まって、迷いなく向かえば大人の歩幅で四、五歩といった近さなのである。

 そして、やはりカイは久方ぶりの少女との語らいの一時に心が緩んでいたのだろう。

 ドアが開く音がしてからは、いくら短いとはいえ数秒の猶予があった。

 だが、目の前の少女の瞳が輝きを増したのに、自分の状況に思いをいたす事を忘れてしまったのである。


 ティアはともすれば敵でさえある自分を受け容れてくれているが、その兄がどうかまでは判らないではないか。

 加えて、この兄妹のどちらかから逃げおおせねばならないとすれば、間違いなく兄の方が手強い追手となるだろう。

 それらの事実に気が付いたのは、彼女の兄が、マウナルドが居間の出入口から顔を覗かせた後のことだった。


 もし、玄関の扉が開いた瞬間に逃げ出していたならば、今頃どうだったろう。

 剣はすぐ手が届くようテーブルの脚に立て掛けておいてあるが、それで有利な状況を創り出すのが不可能に近いのは身を以て承知している。

 ここは相手の出方を窺うべきだろう、なに、ただ身動きが取れないだけのことなのだが。

 などと考えながら男を見上げていると、だが男の方ではこちらをさして気にする風でもなく、彼の妹に帰宅した旨をぼそりと伝えるのだった。


「兄さん、カイだよ。覚えてるでしょ」


 それとは反対にいよいよ興奮の色を隠し切れない様子の少女は、兄から剣を受け取りつつも、交互に二人の顔を見比べようと顔をせわしく動かしている。


「昼に東地区の酒場の前で会ったの。だから連れてきちゃった」


 そこまで聞いてようやくマウナルドは来客に気付いたとでもいうように、ちらりとこちらを見やった。

 やっと目が合ってカイは、心臓が止まるか、というほどの緊張を感じる。

 最後の意地で外見だけは落ち着いていようと思うのだが、どうしても拳が両膝の上で固くなって動かない。

 しかし、それさえもマウナルドの心には大して響かなかったらしい。


「ああ、覚えているとも」

 と言って、そのままカイの真向いの席に腰を下ろしてしまったのだった。

 いよいよ顔が強張る少年に対して、少女の満面の笑みが滑稽なほどに対照的である。

 そして、二人をまったく問題にしない様子でマントを外し終えた青年が、それを横の椅子に掛けるついでとばかりに口を開いた。


「とにかく飯だ。二人が三人でも、今日の分くらいは何とでもなるんだろう」

「もちろん。ねぇ、カイも食べていくでしょ」


 それは少年にとって、頷くより他に選択の余地はない提案なのであった。



 カレージオ家においては、少なくとも料理に関してはティアの領分であるらしい。

 カイが力無く首を縦に動かしたのを見届けるや、彼女は台所に懸かりきりになってしまった。

 すると必然的に、居間ではその兄と二人きりにならざるを得ない。

 しばらく互いに沈黙していたが、それを主体的に続けていたのはマウナルドの方で、破ったのもまたマウナルドであった。


「剣が長すぎるんじゃないのか」


 とりわけこちらを見つめて言ったわけでもなかったために、最初は他人事のように聞こえた言葉だった。

 自分の事か、と相手を見つめた時でさえも、それほど返事を期待している様子には見えなかった。


「養父の形見なんです。それに、いずれ合うようになりますから」

「そうか。それならばいいんだ」


 また会話が途切れ、重々しい空気がまとわりついてくるように感じられる。

 目のやり場も、腕をどこへ持っていっていいかさえも答えが出ないようだった。

 しかし、事ここに至っては、どうも即座に斬られるような心配はしなくてもよいらしい。

 それは目の前の男の言動からも、そして雰囲気からもそう思えるのだった。

 たまにコツンという音が聞こえる。

 ティアが鍋を混ぜているのだろう。


「あの、今日ここに来たのは」


 思い切って口を開いてはみたものの、言いかけて言葉を失ってしまう。

 自分自身でもその先を何と言いたいのかわからない。

 本当の事を打ち明けるのか。

 それとも取り繕いたかったのか。


「この間はすまなかった」


 意外な一言だった。

 詰められるか、と思っていたところへ聞こえてきたのは、謝罪の言葉だったのである。

 この間、が何を意味するのかは十分過ぎる程にわかっている。

 あの夜の出来事は、この男にとって引け目であったのか。

 ティアはともかくとして、この男は襲撃の中心的な存在であったはずなのに。

 それならば自分の胸の内を晒せるか。

 何も保障してくれるものはなかったが、しかしそれを知って、カイには彼が、卑劣な策を巡らすような人物に加担するとは考えられなくなっていた。


「あのすぐ後、こちらの指導者、ロンドバルド・チェモーニが暗殺されました。恐らくドゴノフという男の手によって。何か知っていることはありませんか」


 自分でも驚くほどに強い口調で言い放ったものだった。

 気付けばカイはマウナルドの眼を正面から睨むように見据えていたのである。

 それも、もはや隠せるものなどすべて失って、だ。

 だが、それでもマウナルドは一瞬眉間にしわを寄せたかに見えたが、またすぐに平然とした表情に戻っていた。


「ドゴノフか。まあ、奴らの考えそうなことではあるな」

「知っているんですか」


 二人の間は、もはや攻守ところを変えたような様相を呈している。

 カイはじれったささえ感じ始めていることに気が付かないでいた。

 それをいなすように、あくまで目の前の男の顔つきは変わらない。

 台所では、ティアが鍋に何かを足したのか、水が重たく跳ねる音がした。


「汚い手を好む輩がこの街にはいるということだ。そして、それを使う男もいる」

「ダライラン。コゾン・ダライランですね」

「話が早いな。そういうことだ」


 そう言うとマウナルドはおもむろに立ち上がる。

 何事か、と注視していたのだが、彼は暖炉の傍の薪を一つ掴むと、それをひょいと火の中へと投げ入れた。

 炭が動くのと同時に炎も揺らめく。

 それに一瞬目を奪われているうちに、男はまた座り直していた。


「俺を街から離したのも、もしかすると気取られないようにするためだったかもしれんな」

「どういうことですか」

「俺は奴らに煙たがられている」


 すると、初めて男の口の端が上がったのだった。

 微笑みとすら呼べないようなものだったが、その表情の変化の驚きは、彼の妹のものよりも鮮烈に思えた。



「それでどうする。ダライランらを追い込むつもりか」


 その言葉にまた、はっとする。

 そうだ、ダライランとドゴノフに繋がりがあるという確証を得たはいいが、それでどうしようというのか。

 結局マウナルドもこの街の雇われ剣士ではないか。

 口ぶりからは反目しあっているらしいが、それにしてもよそ者の、しかも一度剣を交わしたことさえある者に協力してくれるものだろうか。

 だが、この男を信じられるとも思えるのである。

 結局話が合わないということならば、そもそもここまで会話が続く相手ではないという気がするのだ。


「ロンドバルドは、こちらのトゥホール市長とは長年の付き合いだったようです。市長に告発して彼らを追放してもらおうと思います」

「そして今後は邪魔が入らずそちらの街が完成し、コアディからも見放されるこの街は決定的に寂れる、ということか」

「それは・・・、街ができてみないとわからないことです。共存できるかもしれません」

「そうなるかもしれないな。あまり聞いたことのない話だが」


 さらに言い返そうとしたその矢先、先ほど変わったことにただ驚いていた男の表情の中に、どこか悪戯っぽいものを感じたのだった。

 もしかすると自分はからかわれているのではないか。

 そう思うや、それまで身体が前のめりになっていたことにも気が付く。

 軽く咳払いをして座り直したが、この鋼のようにしなやかで重々しい男と「会話」をしていたのだと思うと、どこか面はゆくもあった。


「いいだろう。ダライランとドゴノフの繋がりくらいならすぐに、どこへでも突き付けられる。それが市長へ、であればいいんだろう」

「けど、コアディが手を引いたら、その、マウナルドさんの仕事は、なくなるんじゃ」

「元々気の進まない仕事に、愛着のない街だ。そうだな、今度はホルトへでも行ってみるさ。あそこはコアディとは犬猿の仲だから、意外と歓迎されるかもしれない」



 あまりに話の進み具合に、カイがまだ口を挟もうとした時だった。

 もう随分久しぶりに感じる声が、男の頭のさらに向こうから聞こえたのだった。


「今ホルト、って聞こえたけど、誰か行くの」


 見ればティアが鍋を両手で掴んだまま、こちらへ歩いてきていた。

 スープの香りが辺りに漂う。

 話は一旦ここまでのようだった。


「兄さんたら、パンを暖めておいてくれればよかったのに。それで、誰かホルトへ行くの」

「ああ、俺たちさ」


 そしてカイは、カレージオ家の夕食の正式な客となったのだった。

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