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愉快な一時


 酒場の前から歩き出した二人は、と言っても一人はただ付いて行くだけなのだが、まずは今いる大通りを市庁舎の方へと向かう。

 クリッジ市の庁舎は、文字通り、街の中心に建っているので、それを境として街区の東西南北が分かれているのである。

 現在地は東地区なので、西地区にあるティアの家へはこのまま真っ直ぐに進めばよい。


 カイは歩きながらも何気ない風を装いつつ周囲を観察して、自分の目的に関係のありそうな建物を探ろうとした。

 だがそれもすぐに意味のないことだと気付く。

 とりわけ注意して見なくとも、そもそも人気のある店などが少なすぎて、前を通るだけで簡単に人がいるか否かの判別ができたからである。

 そして、それは皆押し並べて酒場ばかりであるらしかった。

 このようなことは、さすがに以前来た際にはなかったはずだ。

 やはり、明らかに人が減ったのである。


「人、減ったみたいだね」


 少しばかり前を歩くティアに話しかける。

 これは何も調査のためということではなく、少年がただ聞きたいと思っただけのことなのだ。

 話しかけられた少女の方は、別に歩調を変えるということもなく、こちらを振り返ることもなく、答えてくれた。

 ただし、声ならば幾分か快活さが控えめになったように思えた。


「秋頃に皆、自分の街へ帰っちゃった。それだけなら去年も同じなんだけど、来年はどれだけ戻ってくるか、わからない。今年の春だって、去年の半分くらいの人しか戻ってこなかったらしいもの」


 そしてこちらへ振り返った表情は、大きな瞳が物憂げなのが印象的だった。


「あの青果屋さんも、ベルブールさんっていうんだけど、来年の春には別の街へ移ろうかと思ってるんだって。あそこ、新鮮で安いから気に入ってるんだけどな」


 それにはカイは、何も答えられなかった。

 ただ、彼女の日常が徐々に暗いものとなっていることを哀れに思うのだった。

 そして、そのことに僅かながら腹立たしさを感じてもいた。

 どうしてこの少女があのように、寂しそうな顔にならねばならないのか。

 胸にまとわりつく理不尽を顔には出さず、また前へ向き直った少女のやや後ろを、もう何も言わずに追って歩くのだった。



 ティアの家に着いたのは、西地区へ入ってからは数分ほど歩いてのことだった。

 大通りから路地を一本脇へ逸れただけなので、かなりの好物件だろう。

 ただし、それも周囲が賑わっていればこその話である。

 辿って来た限りでは、大通り沿いでさえ空き家が散見されるほどなので、今ならば、望めばより良い立地でも無理なく住めるはずだ。

 西地区は東よりもいっそう寒々しく見えるのだった。

 それでも見渡した範囲で青果店は無いではなかったようだが、ティアは相当あの店がお気に入りなのだろう。

 ここからならば、地区が違えど往復で一時間もかかるまいと思われた。


 ティアが暮らしているのは、木の板の壁もまだ新しく見える、簡素な造りの一軒家だった。

 大きさもマプロやヴィンタリの郊外で見るような家に比べれば随分と控えめだが、二人暮らしならば案外このくらいの方が面倒が少ないのかもしれない。

 柵も庭もなく、ただ隣家との間には一応の塀らしき、これも板が立てられている。

 高い位置にも窓があったが、屋根の高さからして屋根裏なのだろう。

 などと考えながらしげしげと見回していると、促されながら扉が開かれたので、そこで初めて若干恐縮する気持ちと共に、カイはカレージオ家の客となったのだった。



「お茶でいいかな。それとも何か買ってこようか」


 居間のテーブルの椅子に、勧められるままに腰掛けたところへそう聞かれたので、慌てて、あるものでいい、と答える。

 台所ではかまどに火を入れたらしい。

 カチン、と発火石の欠片を砕く音がした。

 そして火の番をしながら顔だけ覗かせる少女と、手持ちぶさたに座る少年との会話が始まったのだった。

 それはカイのこと、カイの暮らす中州のこと、共に暮らす人々のこと、あるいはティアのこと、ティアの家族のこと、今のクリッジでの生活のことと、驚くほど多くのことを二人で語り合ったのだった。

 その間に湯も沸き、紅茶が淹れられた。

 すると今まで立っていた少女も、カイの目の前の席に、自分の分のカップを置きながら腰掛ける。

 ヴィンタリの喫茶店やリコローニ邸で飲んだものより渋かったが、それさえ魅力に思えるほど、カイにとっては美味しいもてなしの紅茶だった。


 聞いてみれば、ティアもまた、カイとさほど変わらぬ境遇らしかった。

 生まれはカンドロの衛星都市の一つであるターツェで、父親も剣士だったらしい。

 母とは生まれた頃に死別し、父もまた、第二次オルフェス侵攻こそ生き抜いたものの、その後のイーヴ建国戦争で命を落としたということだった。

 初めはまだ幼いティアを度々神殿や教会などに預け、兄のマウナルドは大商隊の護衛に潜り込んで報酬を得ていたらしく、その頃のことを語る少女の瞳は、やはりどこか寂しげだった。

 それでもティアが大きくなる頃には、マウナルドも一人前の剣士として名が知れるようになり、ようやくとある街のギルドに入会できることとなった。

 それがコンクデリオのギルドだったということである。

 そして、家が与えられるという条件と引き換えに、兄がこのクリッジ市へと派遣されたのに妹も従った、という顛末なのだ。

 その頃には、ティア自身も兄から剣術の手ほどきを受けて、兄を手伝いたい一心で鍛錬に励んだ、と語っていた。


 なぜコンクデリオを離れたのか、という問いには、

「兄さんはあまりあの街が、というよりはコアディ家が好きじゃないみたいなの。やり方が汚いから、って話してたのを聞いたけど」

 という答えであった。


 だが、マプロの郊外でマウナルドらに襲われたのは、チェモーニ家がコアディの権益を脅かす存在であるからだった。

 ニールの言では、ロンドバルドを暗殺したドゴノフという男も、つまるところコアディ家の意志によって動いたということである。

 それは、このクリッジで剣士である以上は、コアディ家の意向からは逃れられないということを意味しているのではないか。

 そのことについては、彼女の兄はどう考えているのだろう。


 そして、ティアはカイの話を、特にカイの周囲の人物たちの話を喜んで聞いた。

 トーニやクラウティーノのことなどを話すと、会ってみたい、とさえ言うのだが、その内の一人とはすでに相当近い距離で会っている、とは言わないでおいたのだった。

 こうしていると、自分以外の人物の話をすることができるのは幸せなことだ、ということを実感する思いにもなる。

 カイだって去年の今頃は、このような話には目の前の少女のような気持ちで聴く側であったろうからだ。

 同時に、寂しい思いをもうせずに済む、と喜んだだろう少女を一度でも裏切ったことが、しみじみと申し訳なくも思えるのだった。

 けれど、やはり自分はこの街の人間にはなれない。

 そこでカイは、精一杯の自分なりの名案を提示することにしたのだった。


「中州の街が完成したら、ティアも皆に会いに来るといいよ」


 すると、今までの楽しくて仕方がないと言わんばかりの笑顔が一瞬さらに輝いたかに見えたが、すぐにみるみる曇っていってしまった。


「けど、私、カイの知り合いの人に怪我をさせてしまったし」

「傷も浅かったし、きっと許してくれるさ。いい人なんだ、ロノさんは。ロノさんだけじゃない。皆、とってもいい人たちばかりなんだ」


 そう言うと、しゅんとしてしまった少女の表情が、またおずおずと綻んでいく。

 そして、窺うような上目遣いでこちらを見つめる姿は、あの夜、月を背にして顔布をまとった剣士と同じとは、どうしても思えないのだった。


「本当に許してもらえるかな」

「心配いらないよ。当のロノさんだって、腕のいい剣士だったから傷の治りも早いんだ、って笑っていたんだもの」

「なるべく血が出ない場所を狙ったんだ」


 二人はまた、今日何度目か、互いに笑い合った。

 一日にこれほど笑うことは今まであったろうか。

 こんな時間がずっと続けばどれほど素晴らしいだろう。

 そんな幸福に包まれていると、もう窓の外から差し込む朱い陽射しもほとんど消えてしまっていた。

 そろそろ暇乞いをしなければならない。

 顔は笑いながらも心に切なさが込み上げた、それと同じ頃だった。

 玄関のドアが開いた音がしたのである。

 誰かはすぐに想像がついた。

 今語らっている少女の、兄が帰ってきたのだった。

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