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クリッジ、再び


 クリッジを遠くに眺める頃には、とっくに太陽は西へと傾きだしていた。

 だが、カイにとってはこれでもまだ明るく感じられるくらいである。

 今回の目的は、昼間にこの街の様子を観察することではない。

 ダライランとドゴノフが繋がっているという証拠のみを求めて来たのだ。

 それならば人目に付きにくい夕暮時が最も適した時間帯である。


 送ってくれた工夫には、以前来訪した際にも待ち合わせた場所で待っていてもらう。

 帰りは恐らく真夜中になるだろうので身体が冷えてしまうだろうが、こればかりは仕方がない。

 なるべく早く戻る、と気休めではあったが声を掛けて、まずは人気のない外縁部へと小走りで入っていくのだった。


 前に来たのは夏に入る直前で、イーヴではとりわけ過ごしやすい季節の一つだった。

 その時でさえ人の気配はまばらだったのだから、冬を迎える今となっては尚更だ。

 たまに吹く風に、まだ作って間もないだろうに色褪せ始めている看板が揺れる以外は、何も聞こえない。

 街の中心部へ行けば活気も出てくるのだろうが、それにしても周囲の光景には、この街の抱えるいびつさを感じないではいられない気持ちになる。

 まるで血の通わない肌を見せつけられているようで、寒々しさを覚えてしまうのだ。

 小走りになったのは工夫の手前ということもあったが、カイ自身、この区画は早々と通り過ぎてしまいたかったのである。

 吐息で目の前が白むのと、はっはっ、という自分の声で、やっと空恐ろしさを振り払えているかのようだった。



 ようやく人気のある場所へ出たと知ったのは、これも前に来た時に見つけた酒場に出くわしたからだった。

 そうするともう随分街の内側へと入っているはずなのに、それと気づかないのは街そのものから人が減ってしまっていたからだろう。


 共和国西部の大部分となるヴォント平原では冬場は晴れることの方が多いが、たまに強い北風とともに雪雲がやって来ることがある。

 するとたちまち全てを白く飲み込む大嵐となるので、それに道中で出くわせば、まず命はない。

 それを知っている商人たちは、冬の間は自分の本拠としている街へと戻り、来年の春にまた出発までの準備の期間に入るのである。

 マプロをはじめとする五大都市などはむしろ冬にこそ人でごった返すこととなるのだが、どうもクリッジ市には居着いている商人が少ないということらしい。


 しかし、この状況はクリッジ市には気の毒ではあるが、カイにとっては有難くもあった。

 街から人が少なくなれば、その分ドゴノフ一味の居場所を突き止めやすいからだ。

 実際に場所を突き止めてからどうするかは考えてなどいないのだが、それでも任務の遂行に不可欠な要素であることに間違いはないだろう。

 どの道、屋根裏や裏口から忍び込むのは夕方以降になるので、陽が沈むまでのもう少しの間、まずはそれらしい建物を探して回ることにしたのだった。

 それに何も、今日一日で結果を出さねばならないようなことでもない。

 早いに越したことはないが、急ぐあまりにこちらの動きを察知されては本末転倒である。

 それならば何日かかけてじっくりと見つけ出せばよいとも思える。


 とにかくも小走りから立ち止まって息を整えたカイは、ゆっくりと酒場の前を歩き出そうとしたのである。

 まさにその時なのだった。



「カイ」


 ふと聞き覚えのある声を耳にする。

 いつもはあれほど頭の中に響かせている声なのに、いざ聞けば心臓が止まりそうになった。

 顔をそちらへ向けるのが怖かった。

 喉の奥から得体の知れないものが飛び出してくるかと思われた。


「私、ティアだよ」


 聞くまでもなく、見るまでもなく、カイには相手が誰だか判っていたのだった。

 意を決して声の方へと振り向けば、半年ほど前に会ったのと変わらない少女の姿があった。

 怪訝な顔つきも同じだった。

 いや、眼つきだけが少し違って見える気もする。

 何かを言いたげな心の内が、彼女の川面に反射しているかのようだ。


 目を合わせたはいいが、何を言っていいか判らなかった。

 少女は胸にバスケットを抱えている。

 前は彼女の兄が持っていたので小さく見えたが、今は右手で抱える彼女の上半身を、ほとんど隠してしまっている。

 走ってしまえば逃げられそうだった。

 だが、足が動く気もしない。

 両方の足の裏が、まるで地面に縫い付けられたかに感じられた。

 ひたすら口の中に唾だけが溜まっていった。


「こんなところで、どうしたの」


 そう言って、ぎこちなくも微笑んだ彼女の笑顔に、カイも自分を縛り付けていた糸をほどかれたようになった。

 心のどこかで、もう一生この少女の笑顔は見ないのではないか、と思っていたのだ。

 ああ、よかった。

 とにかくそう思えて仕方がなかった。

 強張っていた頬が緩んだのが、自分でもよくわかった。


「ティア、俺は」


 緊張が解けたのと同時に口を開いたはいいが、何を話していいかは依然として判らないままだったことに気付く。

 何を言えばいいのだろう。

 目の前の少女に、何を伝えたいのだろう。

 自分を理解してほしいのか、それとも、許してほしいのか。

 きっとどちらもだったろう。

 それだけに、どちらを次に言えばいいのかが判然としない。


 口を開いたきり、言葉を継げなくなったカイを見たティアが、また微笑んだ。


「カイは中州の方の人だったんだね」


 その言葉に、以前自分が吐いた嘘が次々と思い出される。

 謝ろう、まずはそれが何よりも優先されると思った。


「だますつもりはなかったんだ」


 すると、目の前の少女から、それまでのはにかんだような笑顔が消え、険しい顔つきが向けられる。


「嘘。だまされたもの」


 そう言ったきり、しばらくティアはカイを睨み付けていた。

 そしてカイも、その視線を甘んじて受け続けた。

 何も言い返すべき言葉がなかった。

 だが、何も言わないのもまた、自分の責任を放棄しているような気がして辛い。

 カイには腹の底から絞り出すようにして一言を返すのがやっとだった。


「ごめん」


 するとまた、ティアの顔つきがふっと柔らかくなる。

 この少女の表情が変わる際の鮮やかな印象は、前と変わらずカイをはっとさせるのだった。


「いいよ、許してあげる。私たちもカイたちに酷いことしたものね」


 ティアはもう、心なしか上目遣いにさえなっていた。

 マプロでのことを、本心から詫びているようだった。

 それを見てあの夜のことが、随分昔のことのように頭に浮かぶ。

 出来事そのものは覚えていたのに、あの中にティアがいたことを、なぜか別のことと思っていたようなのだ。


「そうか。ティア、剣士なんだね」

「もしかして、今気付いたの」


 たった今合点がいったような顔になった少年を見て、少女は思わず噴き出した。

 そして二人はそのまま少しの間、互いに笑い合ったのだった。

 それはカイには、心から幸せなことに思えたのだった。



「ねえ、私の家に来なよ。ここは寒いよ」


 その誘いを、カイには断る理由がなかった。

 せっかく仲直りができた少女の顔を、もう一度曇らせたくなかったのもあった。

 ともかくカイはティアについてゆくことにしたのである。

 まだ夕暮までは二時間ほどありそうだった。

 その間の少しばかりの会話くらいは許されるだろう。

 それは片手で数えても余るほど少ない、同年代の友人との貴重な一時となるだろうから。

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