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失意を越えて


 ロンドバルドの葬式の翌日から、中州と工事現場ではそれまでと変わらぬ日常を取り戻していた。

 いや、努めてそう振舞っていた。

 誰もがまだ悲しみを心の奥底へと押しやれてはいなかったが、連帯意識で乗り切ることを皆が言わずとも決めていた。

 それでも不意に虚しさが襲えば、その時は失った人物の遺児たちが彼らの心の支えとなっていた。

 アムテッロは今まで以上に精力的に働き、反対にニールは一切変わった様子を見せない。

 クラウティーノだけは度々心細さを顔に出すこともあったが、決して工夫たちの前では涙は見せなかった。

 まだ十九歳を頭とする子供たちでさえ耐えているのに、自分たちが気を落とすことなど許されないという雰囲気が、工夫たちの士気をこれまでと同様の高さに保っていたのだった。


 まだ水のない運河では、ロンドバルドの代わりにロッカが、日々同僚たちに檄を飛ばすようになっていた。

 前任者のようにユーモアを交えて、とまではいかないものの、元より皆の信頼を集めていたことでは同じであったので、誰も彼の行いに反発するようなことはなかった。

 さらにロッカは昼の休憩と夕食時には周りにいる一人一人の間を回って声を掛けることを欠かさなかったので、カイなどはそれまで少々寡黙だとすら思っていたのが、今になって驚きに変わるのを感じるのだった。


 カイは最近、よく夕食を工夫たちのテントで取るようになっていたのである。

 それは自分から進んで、ということでなく、工夫たちから請われる形で誘われたのがきっかけだった。

 食事の前後に剣術を教えてほしい、というのが、彼らの夕食の席に招かれた理由である。

 工夫たちにとっては護身のためでもあったろうし、実際にそう言われて引き受けたことだった。

 だが、本当の理由は身体を動かすことで、少しでも夜の静寂の中で考えに耽ってしまう時間を減らしたいのだろうということをカイは知っていた。

 それを十分知った上で引き受けているのだ。

 カイ自身、いかに不在の間のこととて、最重要の護衛対象を死なせてしまった無力感を持て余していたのである。

 あるいは自分に対して恨み言の一つや二つあって然るべきとさえ思っていた。

 それが、工夫たちに自身を必要とされるなら、むしろ喜ばしいことなのである。


 剣のことならばトーニもいるのだが、こちらは教え方が言葉にすれば抽象的で、実技になれば手加減をしないということで、ちょうど小屋にも一人剣士が残った方がよいという理由も見つかったため、滅多に呼ばれることはなかった。

 それにトーニ自身も、今までのように気ままな毎日ではなくなっていたのである。

 敬愛していた雇い主の死の直後こそ深く落ち込んでいたが、葬式後の馬鹿騒ぎに強制参加させられたのもあり、今ではすっかり立ち直っていた。

 生来考え込むことなどとは無縁である性格なのも、彼を前向きに戻すには幸運であった。

 そのような自身のことより、彼が今気に掛けているのはアムテッロのことだった。

 この、ともすれば生真面目とも思える彼の親友は、思いがけず早く手渡されたチェモーニ家当主という役割に、まったく誠実に相対しているように見えるのだ。

 一家の長として、二人の弟の兄として、父が雇った人々の今後について、チェモーニ家当主の考えなければならないことは尽きないようだった。

 それで夜ごと難しい顔をするようになったアムテッロに、自分の能天気さを分け与えようとするのが、最近のトーニの務めとなっていたのである。

 アムテッロは他にもパエトリウスを心から尊敬しているのだが、工事のことならともかく、誠実な技師ではどうしても家長という名の響きに重みを加える話になってしまうのだ。

 これでは自分がアムテッロの心労を和らげるより他なさそうだ。

 そう、口には出さずとも、彼は健康そうな笑みの内側で考えたのであった。

 トーニという男は、やり方こそ自分本位なきらいが無いでもなかったが、これで随分面倒見は良いのである。



 変わらぬ日々が戻ったかに見えた中州でも、やはり変わらざるをえないことはある。

 その多くは人々の心の内ではあったが、目に見えた変化も僅かながらあったのである。

 それは、稀に工事の現場から工夫が数人いなくなる、ということであった。

 しかし、いなくなった者たちは、次の日にはちゃんと戻ってきているのが常だった。

 そして、誰もそのことを咎めることはなかった。

 これはその工夫たちにとって、立派な役目だったからである。

 他でもない、ニールの指示であった。


 ニールには、これまで通り工事をつつがなく終わらせることも重要ではあるが、やはり自分たちを取り巻く状況を把握する必要があった。

 この工事は少なくとも二つの明確な悪意に晒されているのである。

 一つはマプロ郊外での襲撃、もう一つは彼の父の暗殺であった。

 そして、それらは二つとも、ある一つの要素に結びつく。

 クリッジ市である。


 襲撃してきた剣士はクリッジ市の雇われであったし、父の暗殺に深く関わるドゴノフとかいう男も、同じくクリッジで雇われているとのことだ。

 まだどのような真意が裏にあるのかは判らないが、とにかく自分たちにとっては諸悪の根源ともいえる街を調べねばならないだろう。

 そうしたことで日に何人かの工夫が、旅の商人に扮して潜り込んでいるのである。


 今や敵対関係になったとしても過言でない街である。

 潜り込むにもマプロで顔の知られている者たちでは、もし見破られた場合の命の保証はない。

 トゥホール来訪時に立ち会った者も同じように危険だ。

 そうなると必然的に川の工事に当たっている工夫が多く選ばれることとなった。

 それも、なるべく人目を惹かないよう大柄でない者や、顔などに特徴のあまりない者が選ばれる。

 その条件を満たしていれば、運河からも少ないながら志願者を中心に送り込まれていた。

 カイの剣術指導は、そういった者たちには欠かせない護身術ともなったのである。


 もう外は冬の風が容赦なく吹き付ける頃となっていたが、それでも一カ月が経つうちには、随分と情報も集められていた。

 中でもドゴノフという男に関する情報は、元々が少ないにしても良い類のものがない。

 関係が深いとうそぶく男を散々に酔わせて聞き出したところでは、クリッジ市というよりは、市長の右腕のダライランに雇われているということだった。

 剣士たちも、実は彼が半ば強引に雇用をトゥホールに取り付けたとのことである。

 そのダライランにしても良い噂は少なく、市長の前では取り繕っているが、腹の内ではその地位を襲おうという魂胆があるらしい。

 とにかく住民にはあまり好印象を持たれていないのは確かである。

 ダライランといえば、前からコアディ家との繋がりが聞かれていた男でもあった。


 ここに至ってニールは、自分を含んだ二千人余りの者たちに向けられた悪意の真相を垣間見た思いになった。

 これまでの二つの出来事はどちらもダライランに辿り着く。

 その後ろではコアディ家が糸を引いていたのだ。

 では何故コアディ家のような大勢力が、これほど小さな存在に手を下そうとするのか。

 その答えならば簡単である。

 街が完成した際の立地では、こちらが圧倒的に有利となるからだ。

 東西の「金の道」と、南北を走る河の交差点となれば、様々な理由で商人たちが集まることとなる。

 すると相対的にクリッジ市は価値を失い、それは即ちコアディ家の権益への挑戦となるのだ。

 クリッジ市はほとんどコアディが出資した、傀儡都市だからである。


 恐らく、いや、間違いなくダライランとコアディ家は結託している。

 この発見はニールにとっては救いとも思われた。

 今まで得体の知れなかった敵意の、少なくとも一部が実体を持ったのである。

 実在する相手には、何かしらの対策も講じられる。

 そして、その手始めには与しやすいところ、つまり相手の中でも小物から、というのが鉄則だ。

 この瞬間から、チェモーニ家の次男にとっての最優先事項は、クリッジ市からダライランを除くこと、となった。

 そのためには、まだ情報が不十分である。

 今のままでトゥホールに事実を突き付けたとしても、当のダライランに言い逃れられては元も子もない。

 トゥホールにしても、できる限りは自身の右腕を信じたいであろうから、これ以上ないほどに明白な、彼の裏切りを暴く証拠が必要だ。

 それを得るには今までのように、酒場などで事実の表面だけを掬い上げるような方法では不十分である。

 昼間にも関わらず、運河にクラウとともにいたカイが呼び出されたのは、ニールの思考がそこまでに達したからであった。



 何事か、と駆けつけた少年が小屋に入ると、呼び付けた少年が応接室から手招きをしていた。

 その表情から危急の用でないことを読み取ったカイは、まずはほっとして、軽く息を整えた後にドアのない部屋の仕切りをくぐった。

 そして促されるままにソファに腰掛けるや、彼の主人でもある少年は、何でもない風の顔をして言うのだった。


「これからクリッジへ行ってほしい」


 そしていくつかの会話を交わした後、カイは装いも一切変えず、クリッジの近くまで送ってもらうために、馬に乗れる工夫を探しに小屋を出た。

 彼にとってニールの思惑に従うことは、親友に力を貸すためだけでなく、その父親を守れなかったことへの罪滅ぼしでもあった。

 そのためならば、自分の力の及ぶならどのようなことでもするつもりだった。

 たとえ、潜り込むこととなった街に、個人的に思う所があったとしても、だ。


 ペリアー馬にわたされた鞍の後ろ側に跨る時、ふと髪留めのことを思い出した。

 小屋の部屋に置いたままにしてある。

 しかし、それもすぐに、無理やりに忘れることとした。

 何かを察したらしい工夫がこちらへ振り返って尋ねたが、それには笑顔で、何でもないのだ、と答える。

 そして二人と一頭は、吐く息が白む暇さえなく吹く北風を右手に受けながら、西を目指したのだった。

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