それぞれの悲しみ
1
ロンドバルドの遺体は、ベッドごと持ち上げられて階段を下り、食堂に安置された。
食堂のテーブルと椅子はすべて他の部屋へと移される。
これから大勢に彼の死を伝え、それに直面させなければならない。
いくらニールたちが気勢を上げたところで、工夫たちがこの悲劇を乗り越えない限りは、街の完成など幻に終わってしまうのである。
小屋の中では、この部屋が最も多くの人間を収容することができるのだった。
マディが最初に小屋の扉を開いて外に出る。
それをたくさんの工夫たちが、明け方以来の表情で迎えた。
誰もが溢れ落ちそうな不安と、ほんの少しの希望を捨てきれないといった顔つきだった。
皆、昨日の夜からロンドバルドの姿が見えないことで、自分たちを取り巻く不安の正体を感じ取っていたのだ。
彼らの雇い主は、何より彼らとの交流を第一に考える人物なのである。
それが、もうそろそろ丸一日も自分たちの前に現れないとは。
特にロンドバルドが直接監督に当たっていた運河担当の工夫たちの心配は、見ている方が気の毒に思えてくるほどである。
そんな男たちに向かってマディが口を開く素振りを見せる。
するとざわついていたのが途端に静まり返り、恐れと期待の入り混じった視線が大男へと向けられる。
その横に立つアムテッロらなど、誰も目に入らないようであった。
「兄弟たち、心して聞くがいい。そして自分がどうするべきかを強く自らに言い聞かせるべきだ。なぜならば、今からお前たちに深い悲しみをもたらさなければならない」
この時点で何人かはすでに、眼に涙を浮かべてさえいた。
久しぶりに内側から開かれた扉から出てきたのがマディだったということが、今にしてみれば彼らの不吉な予感の答えであったのだ。
もはや誰もがその先を聞かなくとも知っていた。
「我々のよき友人だったロンドバルドが、神々の下へ召されていった。彼の生涯に思いを馳せよう。そして彼の功績に、感謝を」
半ばわかっていたことといえど、実際に告げられると、その言葉は一人一人の胸に突き刺さったようであった。
膝から地面に崩れ落ちる者、そのままの姿勢で泣き出す者、困惑してしまったように口ばかり大きく開いている者。
工夫たちは皆それぞれの方法で、この日、突然目の前に突き付けられた悲しみに打ちのめされていた。
マディも場に満ち満ちた嗚咽に再び心を動かされたのか、両目から一条ずつ太い涙が流れ出していた。
その義兄の大きな背中にロッカが手を回し、同じように声を殺して泣いていた。
アムテッロは気の置けない仲の工夫らの肩を抱き、耳元で何かを優しく囁いていた。
そしてとうとう自分も耐え切れなくなったのか、寝室でも堪えていた涙を流し、それまで言葉を掛けていた工夫に慰められていた。
その周りには次々と彼を慕う工夫たちが集まり、皆口々に、自分たちも真っ赤な目だがアムテッロに声を掛けている。
水が冷たくなり、上がってからも吹く風が冷たいこの時期であっても自ら率先して川の中へ入り、重い工具を運ぶ若い現場監督は、共に身を凍えさせた男たちから絶大な支持を集めていたのだった。
2
悲痛な声はしばらく小屋の前を満たし、陽が落ちかけてようやく消えた。
そして工夫たちは、彼らの敬愛した男に最後の別れを告げようと、何人かずつで小屋の中へと入っていった。
朱くなった空を見て蝋燭が灯された食堂で、物言わず自分たちを迎える亡骸に、誰もが再び早すぎる別れを悲しんだ。
小屋から出てきた後も、誰が言うともなくその場に留まっていた工夫たちに次第に湧き上がってきたものは、工事はこれからどうなるのか、という不安だった。
なにせ雇い主が死んでしまったのである。
これで中止になる、ということは十分に考えられた。
元より、このまま元通りの生活に戻されれば未来はないと考える者たちばかりが集まっているのである。
この心配は、ロンドバルドを失った悲しみとはまた違った不安となって、陽の落ちきった空のように、彼らの心を段々と暗く染めていた。
そこへ、それまで小屋の中にいたニールが現れ、マディを呼んで工夫全員を集めるよう言う。
その後ろには、もちろんカイが付き従った。
そのうち、気落ちしてテントへと戻ってしまっていた者まですべてが集められ、今度は何事か、と皆が落ち着かない様子である。
そして傍らのマディに松明で照らされたニールが口を開いた。
「皆さん、父への哀悼に感謝を申し上げます。そして皆さんのこれまでの働きにも」
その言葉に、何人かの工夫が声をもらした。
これで工事も終わりか、と考えたのだ。
だが、ニールの言葉にはまだ続きがあった。
「父は死の間際に、愛する兄弟たちへ、と遺産を遺しました。それを伝えたいと思って、集まってもらったのです。この街が完成したら、一人一人に一軒ずつの家を。それが、僕が父から言い遺された、皆さんへの遺産です。どうかもうしばらく、この工事に力を貸してください」
カイには、そしてマディにも、この遺産というのは嘘だということがわかっていた。
ロンドバルドの最後の言葉は、寝室にいた全員が同じことを聞いていたからだ。
だからこれは間違いなくニールの嘘だった。
だがそれは、ロンドバルドの遺志を継ぐのに必要な嘘だったのである。
これを聞いた工夫たちの顔に、工事は続くのだ、自分たちに家がもらえるのだ、と生気が戻って来たのだから。
3
ロンドバルドの遺体は翌日、火葬に付されることとなった。
今夜のうちから顔以外がシーツで包まれ、香油がかけられた。
翌朝もう一度振りかけるので、今は控えめにしておく。
それらのことをしているうちに、ふと気付くとニールがいなくなっていた。
そう広くもない小屋の中をあちこち探したがいないので、外へ出てみる。
もう夜ともなると、冬とそう変わらないほどの寒さだ。
こんな時期に外へ出るとは、不用心なのももちろんだが、風邪を引くことも心配だ。
そう思いながらうろうろしていると、彼の主人はちょうど小屋の裏手に佇んでいた。
身動き一つせず、ずっと立ったまま、天気だけはいいので晴れ上がった星空を見つめていたのだった。
「ニール、風邪を引くよ」
後ろから近づき、肩に手を置きながら声を掛ける。
細く、カイの手の平でさえ包み込めてしまえるような、小さな肩だった。
どうやら向こうは近づいていたのにまったく気付いていなかったようだ。
少し驚いたように振り返ると、カイだと知ると安心したように力を抜いたのが、置いた手を通してもわかる。
一瞬にせよ、この少年の驚いた表情を見るのは初めてだったこともあって、こちらも僅かにどきりとしてしまう。
「うん、星を見ていたんだ」
「じゃあ、せめてもう一枚羽織らないと。俺のマントを持ってこようか」
それにはニールは答えなかった。
そして、また空を見上げてしまった。
カイは邪魔をしないように少し離れると、本当にマントを持ってこようか、などと考えていた。
そのままで数分が過ぎた。
やはり戻って取ってこよう。
そう思って小屋の方へ一歩踏み出そうとしたとき、ふとニールを見やった。
相変わらずのままだったが、左頬が月明かりに光っているようにも見えた気がした。
もう一度よく見ようと向き直ると、肩が、ほんの僅かだが、震えたのがはっきりとわかった。
カイはもうしばらく、身体が冷え切ってしまわないうちは、何も言わずに傍に居ようと思うのだった。
風はなく、何も聞こえず、すべてが星空に包み込まれているような夜だった。




