マプロ郊外の闘い
最後の剣士をビノンらが羽交い絞めにした頃のことだった。
裏側から短い絶叫が聞こえた。
ロノの叫び声だった。
裏側はかなり膠着した状態だったはずだ。
一人でも欠ければたちまち劣勢になってしまうだろう。
そう考えると同時に、正面側の後は工夫たちに任せてしまい、カイは急いで馬車を回り込んで駆けつける。
通り過ぎた左側では相変わらずの優勢なのだが、如何せん相手の数が多い。
彼らが他の場所を助けることなど無理そうである。
駆けつけてみれば、ロノが脚を押さえてうずくまっており、それを庇ってメルジが剣士との間に立ちはだかっている。
だがどう見ても、もはやメルジに勝ち目はない。
一緒にいたはずのトーニはというと、少し離れた、開けた場所で戦い続けていた。
こちらも負けてはいないのだが、すでに大きく肩で息をしている。
大きい方の剣士にはまったく息が乱れた様子がないところから、随分押されていることが窺える。
小柄な剣士はもう気負った風はなく、二人の生殺与奪を手中にしながら立っていた。
そこへ剣を、やや大袈裟に横へ一振りしながら割って入る。
小柄な剣士は不意をつかれ、大きく後ろへ下がる。
その一瞬にロノへと目を向けると、暗くて傷口までは見えなかったが、周りにそれほど血の跡もなさそうなので、命の危険も少ないようだった。
ほっと安堵の息を小さく漏らした刹那、後ろに気配を感じる。
振り返れば今度は相手の剣士が駆け寄ってくる。
そしてカイがしたのと同じように、剣を大きく横に薙いだ。
カイは鼻のあたりの高さへ来るであろう一閃を後ろへ飛び退ってかわしたが、その切っ先は思っていたよりも遠くをかすめたのだった。
相手の顔には布が巻かれており、さらにカイからは月明かりが逆光になる互いの位置である。
だが満月の明かりは、ほんの一瞬、互いの顔と顔が触れ合いそうになるほど近づいたことで、相手にはこちらの顔をはっきりと分からせたようだった。
急に小柄な剣士が構えを解き、それどころか今にも剣を取り落してしまいそうに両手をだらりと下げる。
全身が脱力したようだった。
次の攻撃に備えていたカイも、予想とは違う剣士の動きに、呆気に取られたような気分になる。
すると剣士は頭の布に手を掛けた。
力が入らないのを無理やり、というようなぎこちない動作で顔を覆っていた布を取り去った剣士の素顔は、すぐにはよく見えない。
だが、目ではわからなくとも、相手の発した声には、確かに聞き覚えがあった。
「カイ、どうして」
心から驚いたが、しかし聞き間違えるわけもない。
以前に耳にしてから、今日までずっと気に掛けていた声だ。
そういえばこれくらいの背丈であったことも思い出される。
きっと相手も、自分と同じように、我を忘れたような表情なのだろう。
声の主は、ティアだった。
あまりの驚きに剣を下ろしてしまった反動で、大きく一歩右へと動いてしまった。
だが、そのおかげで、大きな瞳が月に照らされるのが見えた。
間違いなく、自分が相対していた剣士は、ティアだった。
「どうして、カイ、どうしてここにいるの」
先に口を開いたティアと違って、カイはまだ呆然としていた。
頭の中を色々な言葉が渦巻いては消えていく。
問いかけに答えることができなかった。
「街中探したのに、どこにもいなかったのに、どうしてこんなところにいるの」
少女の声は抑揚のないものだったが、少しばかり震えているようにも聞こえた。
それがどうしてなのか、そこまでは考えが回らなかった。
カイにはただ、あの日、光の中で快活なティアの姿が思い出されて仕方なかった。
それと今と、どうしてこうも彼女を取り巻く景色が違うのか、言い知れぬ理不尽を感じるのだった。
そして、カイが絞り出すように、
「ティアこそ・・・」
と言いかけたと同じ時だった。
トーニの声が聞こえたのだ。
声のした方を見ると、トーニは剣を弾き飛ばされてしまっていた。
飛ばされた剣を急いで追うこともできないほど、相手の剣士がぴったりと顎の下に切っ先を突き付けている。
思わずカイは走り出していた。
大きな剣士はまだ息が乱れているようには見えない。
このままではトーニが殺されてしまう。
ティアのことは、もう諦めるしかなかった。
なぜ彼女がここにいるのか、彼女は剣士だったのか、などが頭で今も渦巻いてはいるが、もうそれを悠長に聞いている暇は、この夜にはなさそうだった。
なんとか逃れたようだが、それを追って大きな剣士が振り下ろす切っ先を、トーニが辛うじてかわしている。
そこへカイが駆け寄り、この夜の最初にそうしてもらったように、剣士の一振りを受け止める。
鋭くも重たい一振りだった。
なんとか三合ほど切り結んでいると、剣を取り戻したトーニが後ろから切りかかる。
だが、剣士は後ろに目が付いているかのようにそれを弾き返し、さらに反対側からのカイの一振りも返す刃で受け止める。
二人で挟み込んでいるのに、まったく勝てる気がしない。
相手の威圧するような体躯と隙の見えない構え、そして受け止めるだけで戦意を大きく殺がれるほど重々しい一撃。
カイなど両手で受け止めても、一々腕が折れそうになる。
トーニももはや握力が無いに等しい状態らしく、一撃を防ぐたびによろめいてしまっていた。
これではまた、いつ剣を弾き飛ばされないとも限らない。
二対一ではあったが、だが負けるのを引き延ばしているだけだということを、二人が一番よくわかっていた。
もう右手が痺れてしまっている。
左手でなんとか剣を落とさないよう支えているだけだ。
息も上がっていた。
たった数分のことというのに、もう随分長く苦しい戦いを強いられている気がしている。
途中から割り込んだ自分でこうなのだから、トーニはもう立っているだけでも精一杯だろう。
自分たちが敗れれば、いくらメルジやビノンらが束になってかかっても、歯が立つ相手ではない。
何か手はないだろうか。
だがそれを考えることさえ、もう困難だ。
だが自分たちがいなければ、皆の、ニールの命も危うい。
膝をつくわけにはいかない。
けれど勝つ手立てもない。
その時、ふと視界の隅にぼんやりと、誰かが走り寄ってくるのが見えた。
もう背格好だけで判る。
ティアだ。
剣士に加勢するのだろうか。
今再び二手に分けられれば、間違いなく一人ずつ敗れるだろう。
ここまでか。
だが、その悲壮な予想は外れた。
ティアは走ってくると、彼女に背を向けていたトーニなど目もくれず、そのまま剣士に抱きついて叫んだ。
「兄さん、やめて」
その言葉は奇妙にも納得できるものとして、カイの耳に響いた。
そうか、この剣士はマウナルド・カレージオだったのか。
噂にはよく聞いていたが、こんなに強いのだとは。
腰のあたりをしかと掴んだ妹を見下ろして、マウナルドも顔の布を首元までずらす。
「カイなんだよ、兄さん。戦うなんて嫌」
マウナルドは妹の言葉を受け容れてなのか、あるいはそうでないのか、とにかく剣は下ろして、左手でティアの背中を優しく撫でている。
カイもトーニも、その隙を、という気にさえならなかった。
ティアが彼女の兄に抱きついてからというもの、二人とも棒立ちで、ただ思う存分に呼吸をしているだけだった。
妹の背中を撫で続けながら、マウナルドは顔を上げて、周りを見回した。
それはカイやトーニのことを見ているのでなく、もっと広い範囲を見ているのだ。
二人はもう問題にされていないようだった。
そして、抑揚のない、低い声で、
「退くぞ」
と一言だけ発した。
その言葉に、傍にいたまだ元気な男が抗議をしようと近寄ったらしかったが、一瞥されただけで、その思惑は改めたようである。
近くに転がっている仲間に手を貸しながら、男たちも口々に、退くぞ、と言い始めた。
ごろつき相手には終始優勢だった工夫たちも、敵の数が多いのでそろそろ疲れが限界になっていたようだ。
そのため、仲間を起こしたり、肩に担ぐなどする男たちを邪魔しようとする者はいなかった。
元々馬車の安全さえ守れれば、それで目的は達せられる戦いだったのである。
去り際にマウナルドは、カイをじっと見ていた気がした。
ティアも遠ざかりながらこちらを見つめていたが、その目許が月明かりに光るのを見て、カイは何とも言えない気持ちになる。
それによって、マウナルドのことは気にならなくなってしまうほどだった。
一行を襲った脅威は、特に何も奪わず去って行った。
終わってみれば、結局何が何だかわからないままの、奇妙な襲撃だった。
しかし、ほんの二、三十分ほどのことだったが、一晩中戦い続けたかのような疲労を感じる。
汗も指先まで伝わってくるほどだった。
皆その場にへたり込んでいる中で、ふと思い出して馬車へ駆け寄る。
そして車輪越しに、もう大丈夫だ、と荒い息を交えながら呼びかける。
荷台の下から出てきたニールの手には、ナイフがしっかりと握られていた。
強張った友の顔になぜか込み上げるものを感じ、カイはほんの少し笑い声を漏らした。
するとニールの表情も次第に柔らかなものになり、二人は見つめ合って、しばし微笑み合ったのだった。
辺りからマウナルドらの気配がなくなったのを確認すると、ニールは懐から小石を取り出して布にくるみ、カイに剣の柄で叩くよう言う。
発火石だった。
言われた通り柄で叩くと勢いよく小さな火が燃え上がり、あっという間に布も燃え出した。
その火を松明に移して、明かりを確保する。
ロノの傷の具合を確認するためである。
幸い、軽い切り傷であるようで、照らして見た時にはもう血も止まりかけだった。
小瓶に入った蒸留酒を振りかけ、包帯できつめに巻き付けておく。
ティアがつけた傷だったが、大事に至らないようで、カイはそのことも含めてほっとしたのだった。
この夜の危機は去ったのだろうが、また襲ってこないとう保証もない。
なるべく早く、まずはヴィンタリに辿り着くのが得策だろうと思われた。
そのため馬と馬車が繋がれ、今夜のうちからもう西への道のりを急ぐこととなった。
ロノが、傷は浅いが歩ける程でもない、という理由もあった。
馬車に乗り込んでからは、御者役はビノンが買って出てくれ、カイとトーニは眠らせてもらうのだった。
トーニはメルジらの肩を借りなければ、馬車に乗り込むことすらできないほど疲れ切っていた。
この有様で、負傷したのがロノ一人だけというのは、よくよく考えてみれば奇跡に近いことだと、起きている面々は噛みしめながら西へと馬を急がせる。
月はまるで何事も起きやしない夜だとでも言うように、彼らの頭上から、先ほどまでと同じように道を照らし続けるのだった。
ニールの肩に頭を預けながら薄れゆく意識の中で、夜風が汗ばんだ頬と額に心地良かった。
幌は明日の朝かけることにしてあった。




