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敵襲

 チェモーニ家の若い使者と供の剣士がリコローニ邸の門を、来た時とは反対側にくぐったと同じ頃、裏口からも男が一人飛び出していた。

 行き先は、すぐ近くの、スカラー一門に連なる者が経営する酒場である。

 男はスカラー家が潜り込ませたスパイだった。

 チェモーニ家と縁戚関係にあるリコローニ家は、実はもう三カ月以上も前から監視されていたのである。


 男は出奔して後は戻ることはなかったが、それはリコローニ家の当主を驚かせることはなかった。

 スパイの存在など、これも実はパオロにとっては承知の上だったのである。

 知っていて、あえて情報が漏れるのを黙認し続けていたのだ。

 今回の件に関して、スカラー家が欲していそうな話は、すべてさり気なくあの男の耳に入るように仕向けてきた。

 これがパオロ・リコローニの処世術でもあった。


 男が駆け込んだ酒場からは、ほんの一時の間を置いて別の男が走り出した。

 その男の行先はというと、こちらは宿屋なのであった。

 その後、宿屋からは十人余りの宿泊客がチェックアウトして、そのまま西門からカーラニア大街道へ向かっていった。

 昨晩四、五日ほどといって泊まったばかりというのに、宿の人間からすれば奇妙な客であった。



 大役を終えたニールとカイが馬車を隠した木立へ戻ってみると、すでにトーニたちも仕事を済ませた後らしかった。

 ペルデディカ家伝来の家宝とは、どうやら頭ほどの大きさの、白い馬の彫刻だったようだ。

 見れば中々見事な造りにも思えたが、恐らく主人の手に帰るや否や、ケンプロ家への献上品となるに違いない。

 他の工夫たちも、当初の予定通りに夕暮時を狙って市内から戻ってきた。

 外をうろつくには、明るくなく、しかし松明が灯るほどではない薄暗さの夕方が最も安全なのである。

 彼らは、日中は酒場で他の客の会話に耳を澄ますことに専念していた。


 このまま陽が落ちきるのを待って、夜の闇に紛れ込んでマプロの郊外より遠くまで離れたい。

 他の街までたどり着いてしまえば後は案外安全な帰路になるであろうことは、すでにヴィンタリからの道のりで確認済みだった。

 それまではいつものように固く焼いたパンと干し肉か干し魚、そしてトーニと付き添った工夫のメルジが行きがけの駄賃とばかりに元ペルデディカ邸から持ち出した葡萄酒で食事を取る。

 持ち出せたのが小さな一壷だけだったので、皆で分けるとほんの一口だったが、それでも貧相な食事がいくらかは救われた思いになるのだった。



 辺りが闇に包まれた。

 城門も閉じられてからすでに久しい。

 城壁の上で明々とする松明も、こちらまでは照らせはしまい。

 荷物はすべて荷台に乗せ、大きな音が鳴らないように馬車を木立から押して出す。

 二頭のペリアー馬は、工夫の一人が商人のふりをして、共に少し先で待っているはずだ。

 日中は馬まで一緒に隠れられるほど大きな茂みがなかったからである。

 極力目立たないように、幌も今はかけないでおく。

 吐く息は明かりがあれば白くなるほどだろうが、今夜は一晩中歩き通しになるだろうので、それほど寒さを感じることはないだろう。

 風のない、穏やかな夜だった。


 一時間ほど進むと、案の定、工夫と二頭が待っていたので合流する。

 なるべく音を出さないよう、蹄には綿を履かせている。

 馬車も馬に曳かせると車輪が鳴るので、人馬共に歩くしかない。

 後二時間も歩けば人家もなくなるので、そうなれば少しは気も楽だ。

 今夜は満月なので、暖かな季節ならば見咎められたかもしれなかった。

 だが今はもう冬が時折顔を覗かせるほどなので、それが幸いして、外を出歩く者は誰もない。

 ただ足元を照らす豊かな月の光に、感謝して歩けばよいだけである。

 そして最後と思われる民家が、ようやく背中の後ろへ回った時、一行はひとまずの安堵を覚えるのだった。

 後は夜明け頃に馬を馬車に繋ぎ、皆で乗り込んでひたすら西を目指せばよい。

 今夜こそ夜通し歩くが、馬車に乗り込んでしまえば交代で仮眠も取れる。

 帰りにまた街々へ寄れば、ヴィンタリまで今日の夕食よりはましな物が食べられることだろう。

 皆がそう思って気を緩め始めた頃、カイはなぜか心臓が早く脈打つような感覚を覚えていた。

 気のせいかと思ってトーニの方を見遣ると、こちらも心なしか神妙な顔つきに見える。

 その感覚は時間が経つにつれて強まり、とうとう二人は左腰の剣の柄に手をかけた。

 周囲に人の気配がしたのは、それとほとんど同じ頃だった。

 どうやら自分たちは囲まれているらしかった。



 疑いが確信に変わってすぐ、カイはニールを自分のマントで覆う。

 まだ何も気付いていないニールは驚いたようだったが、声を立てないよう囁かなくとも意図を察してくれたらしかった。


「馬車の下へ」


 そう言って、外からは見えないように主人を敵から隠す。

 その頃にはトーニが皆に停まるよう、手振りで指示をしていた。

 停まると同時に皆も只ならぬ雰囲気であるのに気付き、荷台から棒や鉈を取り出す。

 誰が言うでもなく二十二人の男たちは、馬車と二頭を中心に円状に外側へ備えていた。

 馬車の後ろ側にカイとトーニが集まる。

 相手がこちらを本気で襲うつもりならば、なるべく月を背にして来るだろう考えたからだ。

 白く丸い月は、まだ東の空を昇る途中であった。


 こういう場合の心理としては圧倒的に襲う側が有利であろう。

 なぜなら彼らがいつ戦端を開くかを決定できるからだ。

 守る側としては、それがいつなのか不安な思いを抱き続けなければならない。

 周囲は遮蔽物のない平原なのでいきなり切りかかられるようなことこそないだろうが、それでも不利であることには変わらない。

 闇に乗じようとしたのが裏目に出たか。

 いや、明日の夜明けを待っていたとしても、陽が落ちれば同じことか。

 しかしマプロからまだ二十ロンガも離れていないくらいだというのに、まさか盗賊とは。

 治安が良くなったというのも案外眉唾ものであることだ。

 などと考えていたら、ようやく向こうの人影が分かるほどになった。

 こちら側で見えるのは二十人ほど。

 きっとこちら側が一番多いだろうから、全部で五十人足らずといったところか。

 すると、黒い影ばかりの中で、いくつか小さく白く光るものが見えた。

 剣を抜いたのだ。

 やはり盗賊だったか、と改めて思う。 

 


 その瞬間だった。


「敵だ。返り討ちにしてやれ」

 と大声でトーニが叫んだのに、工夫たちも口々に呼応した。

 こちらの意気軒昂なことに、取り囲む影たちはやや動揺したようだった。

 見たところほとんどの影の動きが止まっている。

 これで少しは不利を覆せたか。

 だが二人だけは近づいてくるのをやめない。

 切り結ぶか、だがあまり馬車から離れてはニールの身が心配だ。

 ほんの一瞬の逡巡があり、その間に相手は一気に距離を縮めてくる。

 剣士だ。

 向かってくる二人の足運びからそう思った。

 剣を抜くのが僅かに遅れた。

 しまったか。


 だが避けきれなかったであろう一閃は、トーニが受け止めてくれた。

 金属音が辺りに響く。

 その音で金縛りが解けたかのように、足を止めていた後ろの影たちも動き出す。

 それは馬車の他の面でも同じことが起きているらしかった。

 背中から怒号が聞こえてくるようになった。


 カイも剣を抜ききって構える。

 トーニは先ほど切っ先を受け止めた相手と戦うことに決めたらしい。

 普段は軽口を叩くトーニが無言のままとは、相手は相当使えると判断したのだろう。

 もう一人の剣士はメルジと、ロノという工夫が囲んでいる。

 二人とも工事の合間に仲良くなり、カイが剣術を教えたりしていたのだが、やはり本物の剣士相手では心許ない。

 しかし体格は立派なもので、構えも一応はそれらしいので、剣士も警戒して迂闊に動けない様子ではある。


 どうもこちら側では、敵の剣士はこの二人だけらしい。

 残りは恐らく、良くてシェッドの酒場にいたようなごろつきといったところだろう。

 皆黒い布で顔を覆っているのだが、身体の大きさは一目で判る。

 トーニが相手にしている方は大柄だが、そうでない方は比較しなくとも小柄である。

 どうやら戦況は膠着状態となったようだったので、カイは他の場所で苦戦しているところはないかと、その場を動くこととした。

 ただし、なるべく馬車からは離れないようにして。



 行く手に対して馬車の左側と右側は、善戦と呼んで差支えない状況だった。

 皆、ロンドバルドが雇う前から喧嘩などお手の物の、マプロの荒くれ工夫たちばかりなのだ。

 相手が単なるごろつき程度ならば、むしろ役不足なほどである。

 棒で頭や首筋を強かに叩きのめし、身体を持ち上げては遠くへ投げ飛ばしてしまっている。


 それに対して、馬車の正面はかなりの苦戦を強いられていた。

 こちらの面にも剣士がいたのである。

 それもこちらは三人であった。

 加えてこちらでは工夫たちは馬を庇いながら戦う必要があった。

 そのため、こちらの工夫が四人に対し向こうが十人ということもあり、じりじりと押されているようである。

 カイはここに加勢することにした。


 集まって守りを固めようとする工夫たちを囲むように近づいていた相手方の、一番左手へとカイは飛び出した。

 そして、最も左にいた男のナイフを剣で振り払う。

 ナイフが彼方の闇に吸い込まれていくのと、相手の男たちがカイに気付いたのは、ほとんど同時だった。

 相手の剣士が一人、無言で切りかかってくる。

 だがカイにしてみれば無駄の多い動きだった。

 こちらも小柄なのに油断したのか。

 それを軽く身を捻ってかわすと、肩で相手の腹へぶつかっていき、腰が引けたところへもう一度、腹へと蹴りを入れる。

 すると敵は呻き声とともに、地面に倒れこんだ。


 これに工夫たちも勇気付けられたようだった。

 ビノンという工夫たちの中でも年長の男が、手にした棒を地面に深く食い込ませ、それに逃げないよう持っていた馬の手綱を結びつける。

 そして自分は素手で、剣士の一人がやられたことに呆然としていた男たちに殴り掛かっていった。

 他の工夫もこれに続く。

 剣士のもう一人もこの逆襲に慌てたのか、腕を振るうことなく首を掴まれ、袋叩きに遭ってしまっていた。

 カイはというと、最後の剣士と対峙していたのだが、この剣士が口にした一言が、何とも不可解に思うのだった。

 剣士は、

「誰が持っているんだ」

 と言ったのである。

 この言葉は、何故か脳裏に焼き付くようだったのだが、差し当たっては目の前の敵を倒すことに集中せねばならないので、今は一旦忘れることにするのだった。

 この剣士は、先ほどの者とは違って、油断をしてくれなさそうな構えであった。

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