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木材商人ナタルーゴ

 クロント・ナタルーゴが商人の世界に足を踏み入れたのは、もう十年も前のことである。

 当時は辺境伯国南部の地方都市の一つで、金具職人の家の四男として生まれた彼を、十五歳のときに両親がマプロで資材の卸し業を営む親戚に預けたのがきっかけだった。

 両親としては前年の第二次オルフェス侵攻によって苦しくなった生活から、口減らしのつもりもあったかもしれない。

 だが元より当人に職人を継ぐ気がなかったし、彼には叔父にあたる親戚も人手を必要としていたこともあって、クロントのマプロ暮らしは相当順調に始まったのだった。

 その二年後に始まったイーヴ建国戦争の頃は、叔父に付き従って国境を東に越えていたため、彼が四年ぶりに足を踏み入れた祖国は既に名称が変わってしまっていた。

 ただ、このおかげで彼の叔父の事業は戦火の影響を受けることがなく、比較的裕福な商人として引き続き首都となったマプロの経済界で活躍していた。



 イーヴ商人の世界において木材などの建材は、商品としての価値が昔から変わらず高いものの一つである。

 南のアグバール帝国が木材の大消費地というのがその理由だ。

 オルフェス辺境伯国が通商に力を入れることとなったのも、元はアグバールへの木材の輸出を始めたことに由来する。

 三代目のオルフェス伯トマイウスが今のラナホウン王国領から良質な木材を購入し、それを輸出するという中継貿易の先駆けを行ったのである。

 その後、当時は後進地だったガルドニア地方からより安価な木材を買い付けるルートが主流となる。

 これによってガルドニアからタイナゴア山脈を抜けて辺境伯国に入り、南のアグバール直轄領へと至る「金の道」が確立したのだった。

 ガルドニア地方は、現在ではカーラン王国が治める地である。


 このように資材はイーヴ商人の扱う品目の中でも主力となるものであるため、いきおい競争も激しくなる。

 木材の供給地は大きく分けると三箇所である。

 まずはラナホウン王国南部のハクサ山脈と麓の森林。

 次にカーラン王国との国境付近に広がるタイナゴア山脈だが、この付近では一年中西からの風が吹き続けるため、山脈の東側にあるイーヴ領では降水量が不足しがちである。

 そのため、タイナゴア産の木材といっても、実際はほとんどがカーラン王国領で伐採されたものとなる。

 最後に、マグナテラ帝国の北部にも広大な森林が広がっているため、そこも重要な供給地である。


 マプロを拠点とするスカラー家と、その影響下にある商人は、北をケンプロとコアディに、西をベクルッティにそれぞれ抑えられている形となる。

 そうなると残るは国境を東に越えたマグナテラ帝国に木材を求めるしかなく、クロントと彼の叔父が国境を越えたのも同じ理由からだった。

 スカラー派の商人といえど、その中で協調などは薬にしたくともなく、より安く、より良質な商品を買い付けるのに皆必死である。

 クロントの叔父は代々の資材商人の家系であり、それによってノイベルクに知り合いも多かった。

 これも叔父の商会がマプロで安定した地位を築きえた要因の一つなのである。

 クロントはこのまま叔父に付いて学び、いずれは後継ぎとしてふさわしい知識と人脈を培う予定なのだった。

 そうなるにふさわしい能力を彼が持っていることは、周囲の誰もが認めてもいた。


 その予定が狂ったのは、彼の叔父にほぼ諦めかけていた息子が生まれたのがきっかけだった。

 老境に入らんとしていた叔父には長らく跡取りとなる子がなく、これがクロントを引き取った一番の理由でもあった。

 それが、誰もがもはや考えもしなくなった頃に生まれてしまったのだ。

 最初の結婚での妻に早く先立たれてからは独身だった叔父に子を与えたのは、踊り子でもあった愛人だった。

 息子を利用して正妻の座と財産を狙う愛人にとって、有能な後継ぎ候補のクロントは邪魔者となる。

 結局息子可愛さに折れた叔父は、自身の後継者を愛人の言うとおりにすることにし、クロントは追い出されることとなった。

 それも、彼の独立という形で、傍目には一族円満にも見える格好で彼が厄介払いをされたのが、今から三年前になる。

 しかし実際には愛人の猜疑の眼が光り続けるので、叔父の援助はほとんど受けられない。

 それどころか息子の後見ということで叔父の下へ転がり込んだ愛人の兄の意による根回しがあり、ノイベルクでも彼には木材を扱うことは難しい状況となっていた。

 これはマプロやノイベルクの、いわゆる東型の商人には、本人の才覚よりも実績などを重視しがちだという好例でもある。

 彼の顔見知りの商人といえど、皆駆け出しの青二才に加担するよりは、マプロでそれなりの勢力である彼の叔父の機嫌を取る方を選んだのだ。

 ともかくナタルーゴ商会は独立当初から開店休業の日々が続き、その間クロントはアグバールの首都アシュベルタや、カーランのウォニアへと赴く商隊に投資をして過ごすしかなかったのだった。


 そこへチェモーニ家から注文が入ったことで、彼の不遇の期間も終わりを告げるかに思えた。

 ここで街の建設に功績ありと周囲が認めれば、それが彼に不足している実績となり、今後のビジネスも幾分容易になるだろうからだ。

 しかし肝心の販路は叔父の愛人一派の執念深さによって、マグナテラ方面は絶望的だった。

 そこでクロント率いるナタルーゴ商会はケンプロ家拠点のヴィンタリから買い付け、それをチェモーニ家へ納めることで契約を果たすこととしたのである。

 人脈がないため言い値での購入に加え、輸送の面で二度手間を踏んでしまうため、利益はほとんど出ない。

 ヴィンタリから直接ロンドバルドらの下へ運べば距離は三分の一になるのだが、一度マプロの倉庫へと運び入れなければ商工会の記録に残らないのだ。

 クロントがこの仕事を引き受けたのは、今回に限っては商業的な成功のためでなく、今後のマプロでの地盤を固めるためである。

 そのため、多少の損にはなっても手間を惜しむわけにはいかないのだった。

 苦心して都合を付けた資材も、四度に分けて納める契約のもののうち、すでに二回分が納品済みである。

 このままいけば、来年の夏頃からは、ナタルーゴ商会も今よりは忙しくなっていることであろう。

 チェモーニ家が造った街から、引き続いて注文が入ることだって十分考えられるのだ。

 せっかく掴んだ顧客である。

 なるべく長い付き合いになるよう、誠意をもって依頼は遂行しなければならなかった。

 依頼主の側で自分への窓口となるのが、まだか細い少年であるのは少し残念に思えたが、話してみればずいぶんと聡明でもある。

 むしろ自分の働きぶりをよく汲んでくれるやもしれぬではないか。


 秋になる直前には、三度目の納品が控えている。

 今度もほとんど利益は望めないが、それでもやっと集めた商品はいつでも送り出せるようにしている。

 手抜かりは一つもない。

 それは少なくとも彼の落ち度によっては。

 あるとするならば、それはもう彼にはどうしようもない次元でのものであるだろう。

 人間であれば誰も天災を止められぬように、人は自分より大きな存在の行為には無力であるものだ。

 クロントもまた、商人の世界では、まだまだ小さな存在でしかなかった。

 だから彼には、夜というのに西の空が赤く明るい理由を知っても、まずは呆然と立ち尽くすより他なかったのである。

 それは彼自身には、どうしようもできるはずのないことだったのだから。

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