マプロ、到着
市街地の中へ入ると、外の穏やかな田園の風景とは打って変わって、露店と店舗の軒先から、それらを見る客から、その間をすり抜けてゆく人々から発される活気と喧噪が少年を包んだ。
それは初めて見る光景であった。
今までにも賑やかな街へ踏み入れたことはある。
護衛も往復の仕事で請け負えば市内に滞在して、依頼主が用事を済ませて再び発つのを待たなくてはならなかったからだ。
しかし、これほどの活気のある街というのは、思い返してみれば皆無だった。
人と物が、いずれも熱気を放ち共鳴しているかのような、ぼうっとしていると触れられなくとも押し流されてしまいそうなうねりは、彼には初めての体験であったのだった。
色とりどりの屋台の屋根布や商品、そこかしこから立ち込める料理や香辛料の匂い。
そしてそれらを売る者も買う者も、皆様々の出で立ちである。
何もかもがてんでばらばらなのだが、しかし不思議なことにそれらは全体としてちぐはぐという印象は与えない。
まるで小さな絵ならば統一感のある配色の方が良いが、それが大きな一枚絵となると、逆に少ない色使いでは見る者はがっかりしてしまうという心境に似ている。
少年は荷台の上で今までのように麻袋に身を投げ出しながら、しかし顔と目はきょろきょろ動かしていた。
そしてまだこの街に入ったばかりであるらしい途切れぬ道も、彼の胸を高鳴らせた。
なんと狭く、そしてなんと広い街なのだろう。
十分な奥行と広がりがあることは所々に尖端だけ見えている塔などで明らかなのだが、それにしても馬車の進むのが遅いこと。
ひしめき合う人の群れをかき分けかき分け、前に進んでいるというよりは押し出されているのだ。
いったいどこにこれだけの人がいたものかと、段々少年は眩暈に似たものを感じていた。
あまりに多くの色に囲まれて、目がチカチカしてきたのだろうか。
それも無理のない話ではあった。
少年の養父はいわばフリーランスの剣士で、基本的に護衛の仕事は彼ひとりか、あるいは心から信頼のできる仲間でも一人二人くらいとしか請け負わなかった。
昔は小さなギルドに所属していたということだが、どうも手酷い目に逢ったらしい。
その後は自分の腕一つで生計を立てると誓ったとのことである。
そのため養父が請け負う仕事は、必然的に小規模の隊商の護衛か、ときには小金持ちの旅行の供をしたこともある。
それらの目的地は皆、大きなものでも地方都市止まりだったので、少年はマプロほどの大都市には今まで縁がなかったのだ。
そしてマプロは首都であることを差し引いても、共和国一の大都市だった。
オルフェス辺境伯国の時代から伯爵の公邸が置かれた街であり、歴史の面でも四百年以上の背景を持つ。
人口も第二次オルフェス侵攻とそれに続くイーヴ建国戦争で多少減りはしたが、それでもなお五十万を割り込むことはない。
これに続く第二の都市といえば南部のホルトになるのだが、こちらの人口ならば二十万強といったところだ。
やはりマプロが名実ともに共和国第一の都市ということに揺らぎはない。
疲れた目を休ませようと少し遠くに見えるレンガの赤茶色を視界に遊ばせているうち、ふと彼はどこで降ろされるのだろうか、ということを考え始めていた。
このまま老人の馬車にくっついていたのでは後戻りするはめになるので、どこかでは別れねばならない。
しかしあてなど一切ない街に知り合いもいようはずがない。
できれば財布がそう軽くならない安宿の近くにでも降ろしてくれればありがたいのだが。
そう考えていた少年の心を見透かしたかのように、老人が久しぶりに話しかけてきた。
「剣士さん、あんた、どこで降りなさるね」
実は老人も同じことを考えていたのである。懇意の麦商人の倉庫が、もうそろそろ近づいてきていたのだ。
「どこかに宿を取ろうと思っているんですが、安いところを知りませんか」
御者席から後ろを振り向いた老人は、なるほど安いところにしか泊まれなさそうに頼り無い少年の表情を見て、しばし思案した。
老人もこの街には通いなれているとはいえ、そう長居をしたことはなかったのである。
傍目には前へ向き直ってしまって、もはや宿のことなど知らぬという風であるのに、少年はいささか落胆した。
それでも数分の後に小首を傾げながら、老人は待望の候補を挙げた。
「南門の近くに知り合いがやっとる宿があったな。安宿かまでは覚えとらんが、儂の名前を出せば無下にはせんじゃろうて。そう、たしか『南風亭』といったか」
「助かります。そこに泊まることにします」
こうして少年の旅に、とりあえずのあてができたのだった。