秋風
この頃は毎日というもの、トーニは機嫌が良かった。
彼のことを子供だとからかう剣士に腕前を披露する手間もないし、横柄な依頼主を前にして笑顔を保つ苦労をする必要もないからだ。
周りを気の好い者ばかりに囲まれる日々は、なんとも快いものなのだった。
雇い主の一家は家族同然に接してくれる。
同僚にも嫌な奴は一人としていない。
特に淡い金髪の少年は本当の弟のように思えるくらいだ。
歳はニールと同じくらいなのだが、あの黒髪の少年は大人びたところがあって、どうも弟という印象は持てなかったのである。
トーニ・ファノは元々チェモーニ家のお抱え剣士ではなかったのだが、彼の父親が遺した借金を肩代わりしてくれた、父の友人という男に恩を感じて付き従っているのだった。
自身もまだ剣士として駆け出しの頃であったので、この申し入れは大変ありがたいものだったのである。
男の人柄が興味と忠誠心を強く刺激するものだったことも、彼がチェモーニ家から離れない理由の一つであっただろう。
朝は弱いということもないのだが、同室の弟分が健気にも毎日起こしてくれているので、そうさせている。
起きてからは、最近は暑くなってきたので、川の工事の方へクラウティーノの子守りにかこつけて涼もうとしている。
だが毎日は護衛対象本人が行きたがらないということもあるし、同僚の何か言いたげな顔つきもあって、思惑通りにはいかないものである。
それでも彼は、日々大変満足していた。
この場所には彼の求めるものがすべて揃っているからだ。
屋根と寝床と食事、家族のような連帯感、今日とは違う明日があった。
三年前に父と弟と、父が三日の後には返済するはずだった借金をして手に入れた宝石は、誰とも知れぬ盗賊によって失われた。
その時に天涯孤独となった彼にとって、この街になるはずの地は、人一倍かけがえのないものなのだ。
根無し草となった自分に、ロンドバルドが新しい居場所を与えてくれる。
彼は本気でそう信じていた。
それが日に日に、目に見える形となるのは、傍からは底抜けの陽気に見えるトーニではあるが、皆に負けないほど大きな喜びだった。
この、今でこそ中州と呼べるほどになったが、最初は踏み入れることさえためらわれるような湿地であった土地に来て以来、誰よりも忙しかったのはパエトリウスである。
そして、そのような日々は、これからも当分は続くだろう。
まだ考えねばならないことは山積みなのだ。
これで得られる報酬が昨年までの半分以下という事実は、普通ならば受け入れがたいものに違いない。
しかし、当のパエトリウス技師は心から、報酬の件も含めて、幸福を感じていた。
ノイベルクでの彼の仕事は主に建物の設計であり、それはあまり性に合っているとは言い難かったのである。
そこへこれほど大掛かりな工事の設計を一任するという話は、彼には損得を超えて魅力的に感じられたのだった。
また、これは誰にも言わないのだが、軍を辞めた際のしがらみから逃れたかったという事情もあった。
自分の思い通りの仕事ができ、しかも帝国領から離れられる口実にもなるこの仕事は、やはり金銭では計り知れない価値があったのである。
コアディ家の勢力圏近くに街を造るという話を聞いた時から、言い出した人物に最も反対の意を述べたのはマディだった。
しかし、工事が始まってからの彼は一度もそれまでのような態度を表すようなことはなく、工夫たちを統率することに専念していた。
これはもはや始まってしまった工事に水を差すような真似はしまいという思いなのだが、同時にロンドバルドへの感謝からでもある。
この建設計画はロンドバルドの野心が発端であることは確かだが、自分を含めた工夫たちに仕事を与えるという側面も、彼は正確に理解していた。
工事に集まった男たちはチェモーニ家やマディとかかわりの深い者たちであるが、もう一つの共通点があったのだ。
それは、彼らがマプロではもう、ろくな仕事にありつけないであろうという点であった。
マディとロッカたちの人足グループはスカラー家と縁戚関係にある施主が支払遅延を行ったので糾弾したところ、それ以来付き合いのあった商人は疎遠になり、仕事の数も激減してしまった。
他の者たちも皆似たような理由で、マプロの外に新天地を求めていたのである。
幼少時よりの付き合いで巻き込まれたような風であるマディだが、その実、ロンドバルドへの感謝は深いのだった。
そして工事現場はこの幼馴染の二人のリーダーシップによって、今日まで理想的に運営されていた。
安い賃金ではあったが、それでも街が完成した暁には住居を与えられることが約束されていたし、何より二人のために働こうという気概に燃える者ばかりだった。
多くの男たちの夢が、一日一日と実現に向かっていた。
それはさながら、祭りの準備に似ていたかもしれない。
この街が出来上がれば、あの何をしでかすかわからない黒髪の男を中心に、きっとすごいことが起こる。
きっとすべてがうまくいく。
そう誰もが、口にせずとも思っていた。
その思いを糧に皆、地面にシャベルを突き立て、重い土嚢を担ぎ上げていた。
そんな男たちに降り注ぐ陽光は、少し前から和らいできたように思われた。
吹く風もどこか、汗を乾かすもの以上に涼しく感じられる。
朝方はベストを羽織って作業に臨む者もいるほどだ。
暑い夏はいつの間にか終わり、中州のある地に秋が近付いていた。
工事の進みは、順調そのものだった。




