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少女の眼差し

 街の中心へと進むにつれ、ようやく人が暮らしているらしいことが窺えるようになってくる。

 それまでの建物は大体が板張りのものだったのだが、もう白塗りのものの方が目立つようになってきていた。

 軒先にも取り扱う品を描いた看板が下がるようになり、所々で売買をする光景にも巡り合うことができた。


 歩いている通りを行ききった先に見える建物は、この辺りのものより一際大きく、立派にも見える。

 あれがこの街の市庁舎ということか。

 それを中心にして街が広がっているならば、本当に市街と呼んで差支えないのは、精々半径三、四百ミンタといったところだろう。

 クリッジ市外縁に踏み入れてからもう一ロンガは入り込んだはずなのだが、どうにも無駄な空間の多いことだ。

 人が増えてきたこの辺りとはいえ、活気に溢れるとはお世辞にも言い難いのだから。


 すぐ北を金の道が通るといっても、それだけで人が知らずに湧いて出るように、街の経営とは甘いものではないらしい。

 では自分たちの造る街はどうなのだろう。

 もしつつがなく完成したとしても、よくよく考えれば成功する保証などないではないか。


 しかし同時にトゥホールと我らが雇い主の話し合う表情が思い出され、するとチェモーニ家の街ならば大丈夫だろうとも思える。

 誠実なアムテッロや聡明なニールもいるではないか。

 あの親子が運営するのなら、きっと良い街になるはずだ。


 それを確かめる暇があるかないか、どちらにせよカイは工事が終われば東へ再び旅発つつもりでもある。

 その際に心残りのないよう、そしていつかその街へ訪れられるよう、今は精一杯自分も役に立ちたいのだ。

 その手助けになるというのなら、偵察だというこの時間も有効に使わねばならないだろう。

 何を見聞きすれば一番喜ばれるかはわからないが、それだけになるべく多くの情報を集めておこう。

 そのために気を引きにくい年格好の自分が選ばれたのだ。


 剣士であることを隠すため剣をトーニに預けてきたことが今さらのように不安を募らせもしたが、なに、誰もこんな子供に襲いかかっては来まい。

 そう自分に言い聞かせたのと酒樽が描かれた看板を見つけたのは、ほとんど同時のことだった。



 酒場は外から見たところではどこにでもあるような造りのもので、入口は普通の扉くらいの空間に、大人の胸から腹辺りまでの板がある。

 おかげで直接入らずとも中の様子が判るので、まずは一安心であった。

 酒場に入るとなると、カイくらいの年齢では逆に皆の注目を集めてしまうからだ。


 中には思った通り、まだ昼間だというのに何人かの客がおり、三つのテーブルに三組が座っている。

 服装だけで判断するかぎりでは商人が二組に、そうではない男たちが一組。

 商人でない方は剣士だろうか。


 こういった新しい街には、人口に比べると剣士の数は多くなりやすい。

 他の都市のギルドで大した待遇を受けられない者も、新しい街では貴重な人材として扱われやすいからだ。

 その分、他の都市では落ちこぼれた剣士が集まりやすいのも事実なので、商人の中にはわざわざ別のギルドから気に入っている剣士を呼び寄せることもある。


 彼らが何者かは判明しないままだったが、それも次第に気にならなくなっていった。

 入口から一番近いテーブルに腰掛けた商人たちの話し声が、ありがたいことに大きかったのである。

 そこでカイは靴の中に小石が入ったようなふりをして、酒場の入口に近い壁へともたれかかることにした。

 ここならば話のほとんどが、それほど集中せずとも聞こえた。



 聞いたかぎりではこの商人らは同じ商売をしていた同士というわけでないようだ。

 一人がカーラニア大街道からコンクデリオで北へ分岐し、ラナホウンでの商売を終えたところを、帰りを待ち受けた友人たちが一席設けたということらしかった。


 ちなみにコンクデリオといえば、コアディ家の本拠地であり、イーヴ北部ではマプロに次いで大きな都市である。

 イーヴ共和国全体でもホルトを間に挟むだけで、第三の大都市だ。

 これはもちろん金の道とラナホウン街道が交差するという好立地の賜物である。


 ラナホウンでは第二王女がマグナテラ帝国皇太子に嫁ぐという話で国中が沸き立っており、この商人も王女の出国パレードを見るため、わざわざ帰途につくのを二カ月延期したのだと言う。

 彼の話では、自分と姫君はほんの一瞬だが目が合ったそうで、そのことをやや興奮気味に、同卓の友人らに語っている。


 異国の土産話もいいが、もう少しこの街についてのことを聞かせてはくれないものか。

 そう思いながら、怪しまれないよう靴を適当にひっくり返していると、ふと視線を感じるのだった。

 酒場の方へ耳だけ傾けたまま周囲を見回してみると、自分を見つめていたのはどうやら斜向かいの青果店からの眼差しのようである。

 こちら側が陽を浴びているので見えにくい店内を、それでも目を細くして窺おうと試みる。

 その動作で少年が気づいたことを察したのか、眼差しの主の方から出てくるようだった。

 その人物が影の向こうから姿を現したとき、カイはどきりとしてしまった。

 自分を見つめていたのは、自分と同じか、やや大人びているか、とにかくそれくらいの、透き通るような桃色の髪をした少女だったのだ。



 驚いたのと緊張で固まっているカイへと、少女はつかつかと歩み寄ってくる。

 いや、本当に少女なのか。

 髪は陽に輝かんばかりだが、男の自分と同じくらいに短く刈っている。

 衣装も腰まで届く大き目の白いシャツを腰帯で纏めた下にズボンという出で立ちだ。

 上から羽織った薄い革のベストもさっぱりした印象を強めている。

 だが紅い唇と大きな瞳は、やはり女の子のものであるだろう。

 こちらへ近づいてくるにつれて、それだけははっきりとするようだった。


 目の前に立った少女は、まだこちらをじっと見つめることをやめない。

 カイもこの状況をうまく飲み込めないでいたので、二人の間には沈黙が横たわることとなった。

 表情からは相手が何を考えているかは読み取れない。

 人間は自分に負い目があると、何事にも猜疑的になってしまうものらしい。

 もしや自分が外部の者で、この街を探ろうとしていることが露見したのでは。

 そんな考えが一瞬脳裏をよぎると、少女の何とも言えない表情も、自分のことを観察しているもののようにも思えてしまう。

 唾を飲み込む音は伝わらなかっただろうか。

 自分の顔色は、平静を保てているだろうか。

 少女が口を開くまでの間は、ここ最近では最も長く感じられた数十秒なのだった。



「靴、どうしたの」


 その言葉は、一瞬のうちでは理解しかねるものだった。

 靴などいったい、何の問題があるというのか。

 しかし少女の視線が自分の眼のあたりからやや下へと移ったので、やっとカイにも彼女が何を言っているのかがわかったのだった。

 自分は今、左手から靴をぶら下げているのではないか。

 そうだ、自分は靴に小石が入ったから、用事もない酒場の壁にもたれかかっているのだ。

 そのことを思い出したカイは、同時にこの少女が自分のことを心配して声を掛けてくれたのだということにも気付く。

 すると何もかもが恥ずかしく思えてきて、頬が熱くなってくるのがわかる。


「もしかして壊れちゃった。困ってるの」

「小石が入り込んじゃっただけなんだ。大丈夫だよ」

「よかった、なんだか途方に暮れていたみたいだったから」


 大丈夫だと聞いた途端、相手の顔が笑顔に変わる。

 それはあまりに鮮やかな表情の変化だったように感じられ、カイはしばし見とれてしまうのだった。

 笑った顔は、間違いなく、可憐な少女だった。


「君もクリッジに新しくやってきたのかな」

「うん、そうだよ」


 聞かれるや、つい反射的にそう答えてしまった。

 嘘は心苦しくも思われるのだが、自分の正体を明かすのはできるかぎり避けたいのだ。

 それにいらない疑いをもたせて色々詮索されれば、それだけ商人たちの話を聞き逃すことにもなる。

 ここはとにかく話を合わせて、そして心配してくれたことへの謝意を伝えて別れてしまうのが得策だろう。


 しかし少女の方は、こちらの返事に、思った以上に気を良くしてしまったようだった。

 笑顔がさらに輝きを増したようで、身体もこちらへとどんどん傾けてきている。


「よかった。この街で私くらいの年齢って、ちょうど誰もいなかったの」

「そうなんだ」

「そう。皆大人か、それかずっと子供なんだもの。誰とも話が合わないじゃない」


 もはやカイの生返事など、彼女には問題ではないようだった。

 同じ年齢層の人間がいたということが、それほどに嬉しかったようだ。


「私はティア。君は」


 そう聞かれて、一瞬どう答えたものか、と考えてしまう。

 なるべく自分の正体を明かしたくないなら、名前だって教えない方がいいのだろう。

 では、一体なんと答えたら…。


 言葉に詰まるカイの顔を、まるで催促するようにティアが覗き込んでくる。

 自分を見据える大きな瞳は、青だった。

 だがそれは彼の知る、深い湖の水底を思わせるようなものでなく、光を浴びて煌めく川面のように、明るい青だった。

 その瞳に見つめられると、また頬が熱くなるようで、つい考えがまとまる前に口が開いてしまう。


「俺はカイ」

「カイ、今日から友達だね」


 そう言って無邪気に微笑むティアに、今さら自分がこの街の人間ではないなどと、たとえ何の危険もなかったとして、言えるものではないのだった。

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