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クリッジ市

 トゥホールが来訪してから三日が経った日のことだった。

 その日も日増しに太陽が早く上がるようになったと感じられる快晴で、窓から差し込む朝日の明るさもそう教えてくれている。


 低いが寝心地は悪くないベッドから立ち上がると、身支度と同時に日課をこなさなければならない。

 同室のトーニを起こすことである。

 この少年は起きている間は身体の芯から元気が湧きだしているかのように溌剌としているのだが、その代償でもあるのか、一度眠るとなかなか目覚めないのだ。

 こんなことで、他で剣士として仕事が受けられるのかとも思うのだが、前から彼を知る人々曰くは、必要に迫られれば自分で起きはするのだそうだ。

 要は今の暮らしに安心しきっているということか、かくて彼を陽光の下へと引きずり出す役目がカイに課せられているのである。

 

 いつも二人して、と言ってもカイは同僚に待たされてのことなのだが、身支度を済ませて部屋を出る。

 片方が大あくびをかましていても、もう片方はそれを叩き起こす作業に、もう目ははっきりと覚めているのだった。


 朝食には小屋にいる人間、つまりチェモーニ家の男たちとパエトリウスにカイとトーニ、それから周りの小屋やテントから各組の代表とマディが、食堂へと集ってとる。

 広めに間取りを考えたはずなのだが、やはり三十人余りの男たちが一堂に会すると手狭である。

 だがこの朝食がその日の全体会議を兼ねているので、仕方のないことでもあった。

 ロンドバルドがクリッジへ行くことを打ち明けたのは、いつもと変わらぬように見えた、その席でのことだった。

 急な発表に皆驚いたのだが、それさえも当然のことだといった風で涼しい顔をしている雇い主のことを、もはやカイは諦めとともに受け入れられるようになっていた。



 クリッジ行きの理由としては、先日の件に対してこちらからも出向いて挨拶をする必要があるだろうということと、最寄りとなる街の視察をしたいということだった。

 マディなどは公然と反対を唱えてもいたのだが、結局はロンドバルドが押し切るようにして、すぐに出発することが決まった。

 同行するのはアムテッロとトーニ、そしてカイが選ばれた。

 それ以外の者は、いつも通り工事にあたることとなる。


 片道三十ロンガの道のりなので当然馬の足で行くこととなるのだが、残念なことに、この元湿地には人間用の馬車がない。

 資材用のものならあるのだが、そんな物で訪れようものなら間違いなく向こうの失笑を買ってしまうだろう。

 荷台に男四人が揺られている姿など、見世物意外の何物でもない。

 結局馬車馬のペリアー馬三頭を厩舎から出し、一頭にはカイとトーニが相乗りすることとなった。


 馬はトーニが操れたし、実はカイも一人で乗ることができる。

 それでも二人が相乗りで我慢したのは、工事において最近では馬たちも重要極まりない戦力となっていたからだった。

 暗渠排水が功を奏し、湿地だったこの場所も今では普通の地面となり、ペリアー馬の馬格で踏みしめても問題なくなったので、今では土嚢の運搬に活用しているのである。

 運河もずいぶんとそれらしく見えるまでに掘り下げられたので、元の湿地はもう中州と呼ぶにふさわしいまでになっている。


 朝食をいつもより多めにとった後、三頭に手綱と鞍を着け、一頭にはカイとトーニで跨る。

 二人を乗せることとなった馬の方だが、こちらは完全武装の騎士にも耐える馬格なので、他の二頭と変わらずけろりとしたものだ。

 ふさふさとした毛の生えた脚はびくともしておらず、大きな蹄でしっかと姿勢を保っている。

 マディには日が暮れる前に帰ることを念押しされていたので、四人と三頭は、まだ影が西へ長く伸びるうちから、それを道標とするかのように発ったのだった。



 遅くとも昼前には着くだろうと思われたので格別急ぐこともなく馬上に揺られた一行が目的地へとたどり着いたのは、まさに昼になる直前のことであった。

 出発してからすでに四時間は草原を進んだだろうか。

 地平線の向こうにそれが途切れることを示す民家を見たときは、長い間建物といえば精々が粗末な小屋しか見ていなかったのもあって、どこか新鮮な気分になるのだった。

 まったく何ということはない家だったが、土と草と小屋とテントに囲まれた日々の中で、ちゃんとした建造物は貴重にも思えたのである。


 その民家を皮切りに次々と建物が現れ、気が付くと四人はすでにクリッジ市の外縁に足を踏み入れていたのであった。

 そこから奥へ進むにつれて、市の中心部へと近づいているので空地の間隔は縮まっていくのだが、不思議とそれほど活気があるようには感じられない。

 普通は軒先にもっとたくさん店があり、売る側と買う側が活発なやり取りをしているものなのだが、その光景が驚くほど少ないのだ。


 それを目の当たりにして、カイはトゥホールの言葉を思い出していた。

 なるほど、人がいないのに建物ばかり建てさせられていては、返済など不可能事だろう。

 街の発展というものには人が不可欠であるのだな、と目の前に突き付けられる思いでもあった。



 ふと前を進んでいたロンドバルドがこちらを振り返る。

 何事かと誰もが思っていたところへ、愉しげな笑みを浮かべながらの言葉は、ただ一人にとって驚愕であった。


「カイはここで降りたまえ」


 何故自分だけ降ろされるのかと内心慌てふためいていると、同じ表情のまま、雇い主は秘策を授けでもするかのように得意気に言うのだった。


「この街を偵察する任を与える。お前くらいの年格好なら誰も不審には思わんだろう。私たちがトゥホールに会っている間、色々と見て回ってくるんだ」


 そう言ったきり顔で降りるのを促すので、カイには従うほかない。

 不安気な表情で抗議の視線を送りはするのだが、提案した主にとっては疑うべくもない名案であるらしい。

 まったく受け入れられる余地はないようだった。

 アムテッロとトーニの憐れむような視線が、せめてもの救いと考えるべきだろう。


 そして、夕暮前に来た方の街はずれで待っているようにとだけ言うと、そのまま行ってしまったのだった。

 両脇の人気がない、空箱のように立つ店々に囲まれた道は、一人佇むと余計に寒々しい。

 夏の扉をくぐり抜けてきた陽射しは眩しく熱いのだが、カイの頬に一筋つたわるのは、どうも冷や汗であるらしかった。



 見知らぬ地へ放り出されるような格好となったカイだったが、それでも生来のことか、呆然と立ち尽くす時間は短かった。

 とにかく人のいるところへ行ってみなければ何もわからないだろうと思ったのだ。

 彼は雇い主の命令には、健気にも従う前提で行動を起こす性分であるのだった。


 誰かがいたところでどうしようかまでは考えてはいないが、偵察というからにはまず人のことから調べねばなるまい。

 もう昼だというのに、ここには誰もいない。

 ではどこにいるというのか。

 そして、そのこと自体がもうすでにこの街の不条理であるようにも思われる。

 やはりこのクリッジ市はうまくいっているとは到底言えない状況にあるのだろう。

 それはトゥホール市長の失策なのか、あるいは別の理由からなのか。


 過剰に融資を押し付けてきたというコアディ家のことが、やや不気味に思い出されてもくる。

 だがどうしてそう思えるのか、その先の論理へとたどり着くには、カイはまだ幼いのだった。

 帰ったらニールにでも相談してみようか。

 あるいは彼なら三日前に聞いた話からすでに何かを読み取っているのかもしれない。

 彼は同年代のカイにしてみれば、まったく驚くほどに聡いのだから。

 それなのに無学な自分の取るに足らないな質問にも、いつもにこやかに答えてくれる。

 カイとニールとは、この頃は主従の関係もさることながら、互いに同年代の友人としてかけがえのない存在にも感じられていたのだった。


 とにかくこれ以上考えても胸でもやつく違和感を解消する手立ては無さそうなので、それは一旦忘れてしまうことにして歩き出す。

 人がいる場所といえばどこだったか。

 今思いつく限りで確実そうなのは、そう、酒場である。

 酒場ならこの昼間からでも飲んでいる者はいるものだし、あるいはこの街にギルドがあるのなら窓口になっている可能性も高い。

 そうであればより人のいる確率も高まるというものだ。

 人が集まれば、自然とその間では話が始まる。

 それを気付かれないくらいのところから盗み聞きすれば、この街についての情報も集まりやすいだろう。


 これは画期的な案に思えた。

 後は肝心の酒場がどこかということだけだが、周りをぐるりと見渡してもなさそうだ。

 そもそもこの辺のものはどれが何の店かも判然としない。

 軒に看板が出ていないのだ。

 店らしい構えではあるのだが、おそらくこの辺りはまだ人が入っていない店舗ばかりなのだろう。

 それならばもっと市の中心部へと行く必要があるが、心は軽やかだった。

 酒場ならそう苦労せずともそのうち見つかるだろうと思えたからだ。

 どんなに小さな街でも、今まで酒にまつわる店だけは見ないことがなかったのだから。

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