首都へ
「あれが見えたらマプロも近いわい」
不意に馬を御していた老人がそう言った。
荷台から身を乗り出して前方を窺った少年の目に、路傍の鉄柱が見えた。
マプロまで後十ロンガであることを示す標識が見えれば、ここからは目的地まではおよそ二時間の距離になったということである。
やや安堵した表情になって馬の背を撫でる老人を横目に、少年は快適な旅が終わってしまうことに少々残念な気もしていた。
だが老人の気持ちもわからないではない。
この草原ではいつ、どこから積荷を狙った泥棒が近づいてくるかもしれないのだ。
それに、オルフェス辺境伯国が崩壊し共和国が成立したのは、わずか七年前のことなのだが、その過程で共和国に再就職を認められなかった大量の元国軍兵士たちの野盗化に、共和国政府も有効な手を打てずにいた。
泥棒ならまだしも、野盗にでも出くわそうものならば、積荷はもちろん命の心配までしなければならない。
目的地にはさっさと着くに越したことはないのだ。
少年が道中の食事付という好待遇で荷物の一部となったのも、単に彼が剣士だからである。
歳が若すぎるのに疑いの眼差しは禁じ得なかったが、それでも荷台に剣が見えるのとそうでないのとでは、多少なりとも道中の安全度も違ってくるだろうと老人も考えたのだろう。
もっとも少年はいざ出番ともなれば、ちゃんと肩書き通りの働きはするつもりであったのだが。
標識を越えてさらに三十分ほど行くと、にわかに小屋や家が多くなってきた。
もう首都の外縁部に踏み込んでいるのだろう。
道端では荷を一旦解いて、中身の確認を行っている商人の姿も多い。
もちろんすぐ傍では数人の剣士が周りを警戒している。
老人の荷物はすべて小麦なので特別確認の必要はない。
そのためここでは立ち止まらずに、そのまま市街を目指した。
もう少し行くと、市街、つまり中心部を囲む城壁が見えてきた。
これをくぐれば本当にマプロへ到着したと言えるのである。
城壁の塔の上にはイーヴ共和国の国旗が翻っているのも見える。
緑の地に雄牛が刺繍されているもので、まあ緑色の旗は珍しいから大抵は色を見た途端にわかってしまう。
しかし近くで見れば雄牛の刺繍も中々見事なものなのではあるが、国中であまり高い評価を受けてはいないようだ。
牛はイーヴの、特に南側に暮らす人々にとっては、それほど馴染みの深い動物ではなかったからである。
南側ではこの旗を「北の奴らが作った」旗と呼んでいる。
左側に目をやれば、今まで通ってきた道とは比べ物にならないほど多くの馬車がひしめき合っている。
カーラニア大街道の本線と合流する場所に近づいているのだ。
彼らが通ってきたのは本線の北側を往く支線だったのだが、他の二本の支線と本線が、マプロの西門の手前で一つになるのである。
逆に言えば、門を出た瞬間に目的地ごとに分岐が始まると考えてもよい。
老人も帰りは間違えることなく目指す方の道へと入らねばならないが、こちらは通いなれた道であるらしいので、余計な心配なのだろう。
いよいよ城門が目前に迫ってきた。
とはいえマプロの城門は他と比べてそれほど高いというわけではない。
ために初めて見る少年の目にも、それほど威圧感のあるようには思えなかった。
交易で生きる国の首都ならば、城門は入る者を拒む門ではなく、優しく迎え入れるためのものでなくてはならないのだろう。
高さも大人が三人縦に重なれば届いてしまいそうなくらいだ。
これは城壁というよりはむしろ仕切りと考えた方が合っている、少年はそう思った。
あくまで市街地と外側を分けるための境界線なのだ。
なぜなら本物の城壁とはもっと高くそびえ立ち、目の前にした者にそれを越える気を失わせるものであるはずだからだ。
カーランとの国境にある、カーランが誇るタイターン要塞がまさにそうだった。
あれに比べればなんとも貧弱な、だが確かに親しみならば感じやすいとも思える門を、少年たちの馬車はくぐったのだった。