街を造ろう
雇われてからの日々は、今となって思い返せばこれまでの人生で最も短く感じた日々であったかもしれない。
もう日中ならば暑いとさえ思える日差しの下、カイは馬車の荷台で寝ころびながら、そう考えていた。
諸々の準備を終えたチェモーニ一家がマプロを発ってから二カ月が過ぎようとしている。
養父と暮らした家を後にしてからならば、およそ三カ月半といったところか。
まだ自分が人生経験の浅い方であることは十分自覚してはいるが、それにしてもこの数カ月は彼にとって、これまでにない刺激に満ち溢れた日々なのであった。
それはのんびりとペリアー馬のたてがみが揺れる以外景色の変わらないように思える、今この瞬間さえも同じである。
カイの現在の仕事は、マプロから資材を運ぶ荷馬車隊の護衛なのだった。
最初にマプロを発った際にも持てる分を運んだのだが、どうしても運びきれなかったものを二隊に分けて輸送することにしたのである。
そのうち一隊の護衛をロンドバルドに任された日は、興奮して夜も眠れなかったものだった。
初めて自分が一人前の剣士として扱われた思いでその時も、そして今も胸が一杯なのである。
これで街を造る資材がすべて満たされるわけではないが、差し当たりの量としては十分なのだそうだ。
後の資材はナタルーゴらが方々から都合を付けた頃に、もう一度取りに行かなくてはならない。
その時も自分に護衛を任せてもらいたいものだ。
明後日には自分も再び合流するのだが、今頃あの湿地では、パエトリウス技師やアムテッロらの指示のもと、作業が進められているに違いない。
あの、想像を超えて水気の多かった湿地と、その両側で。
チェモーニ一家は、といっても計画段階で主に仕切るのはロンドバルドとニールなのだったが、目的の地に着いたその日から、時間を無駄にすることを恐れでもするかのように行動が早かった。
まず、共にマプロから連れてきた二千人の工夫を、百人ずつの二十隊に分けた。
この工夫らを統率しているのはマディラッツォ・ボナテッリという、カイにとっては見上げるような大男だった。
アムテッロらから聞くところによると、この大男はロンドバルドとは幼い頃からの仲で、今回の計画も彼が一声でこれほどの人数を集められる人望がなければ、もう少し時間も金額も膨れ上がっていただろうということである。
パエトリウスが言うには、湿地帯を街に変えるのに重要な工事は、運河の建設、蛇行するリドーテの支流の工事、その二つに挟まれる位置取りとなる湿地の干拓である。
技師の計算によると、計画の最重要事である運河の工事を十カ月程度で終わらせるには、五百人いれば間に合うだろうとのことだった。
そして残りの千五百人を割り振った結果、
・運河の建設・・・五百人
・支流の工事・・・五百人
・湿地の干拓・・・五百人
・支流と湿地の間の堤防建設・・・三百人
・荷馬車隊の護衛・・・百人が二隊
という配置で工事が始められたのである。
カイとトーニはどちらかが残って雇い主一家の身辺警護をする必要があったので、まずはトーニの隊が、湿地に着いた翌日、早くもマプロへと引き返していった。
湿地からマプロへは往復で丁度一カ月といったところだろうか。
カイが交代でマプロへと発った頃にようやくどの現場でも軌道に乗り始めたといった具合であったので、戻ったら思ったより工事も進んでいるかもしれない。
ともかく湿地へと戻れば、こんなに空の青さに退屈している暇もなくなることは確実だ。
なにせチェモーニ家の男は、末の息子を除いて、総出で現場の陣頭指揮を執っているのである。
アムテッロは支流を、ロンドバルドは運河を、そしてニールは技師の傍らで干拓の指導と経理を行っている。
クラウティーノも指揮こそ執りはしないが、工夫たちの間では親しみを込めて「クラウ」と呼ばれ、各現場で士気高揚に意外な貢献を果たしていた。
チェモーニ家の男たちのうち、カイたちにとってアムテッロはそれほど心配がないのだった。
あの温厚に服を着せたような青年は、思いのほか剣が使えるのである。
もちろんカイやトーニほどではないにせよ、自分の身を守れる程度の腕はあるのだ。
それに比べると、ロンドバルドとニールは目が離せないと言わざるを得ない。
いや、元々目を離して良い道理などないのだが、特にロンドバルドなどは仕えてみて、ほとほと剣士泣かせの護衛対象であることが明らかとなった。
マディラッツォと初めて会った日に、自分のことはマディでよいということと併せて言い含められたのが、ロンドバルドから目を離すなということであったのだが、まったく正しい危惧なのだった。
まだニールは自身の非力を自覚してか慎重なのだが、ロンドバルドの行動は、その正反対なのである。
アムテッロくらいに剣も使えるとのことなのだが、そんなことで相殺とはならないくらいに活動的なのだ。
昼間はいつでも歩き回って工夫を激励し、夜も休まることを知らない。
マディが釘を刺したにも関わらず、
「こんなに星の綺麗な夜に散歩をしないなど、もはや人生への冒涜だ」
などと言っては、湿地の中でも水はけの良いところに拵えた小屋を抜け出てしまうのである。
誰が狙っているものか見当も付かないが、とにかく夜間にロンドバルド一人でいるのをマディに見つかっては雷が落ちるのは明白であるので、カイたちにとっては、夜ほど気の抜けないという何とも困った雇い主であるのだった。
ただ、満点の星空の下を満足そうに歩くチェモーニ家当主のする話には面白いものが多く、さらに話し方の妙も相まって、供をすること自体にはまったく文句はないのだった。
一度そのことを話してみて、一言断ってからの外出を求めようとも思ったのだが、あの悪戯っぽい笑みではぐらかされるだろうとも思えたので、今のところ言わずじまいである。
どうもこの男は無断で、特にマディを出し抜いているというところに、魅力の一端を感じているらしいのだ。
そんなわけで、トーニが戻るまでの間、カイは絶えず夕食後はロンドバルドに注意を払っていたのである。
そして、そのような毎日は、彼には間違いなく快いものであった。
工夫たちも皆気の好い男たちばかりで、誰もが報酬よりもロンドバルドやマディの人柄に惚れ込んで応じたということであった。
本人たちに聞けば日給は二十セステルだということだが、そんなことは大した問題ではないそうなのだ。
中には妻子のある者もいたが、彼らも損得など抜きにして参加しているのだろう。
カイ自身のことにしても、顔を突き合わせたうちでも何人か子供扱いしはするものの、とりあえずは全員剣士として遇してくれる。
荷馬車を一緒に守っている隊の連中も気の荒いところはあるが、マプロの酒場にいたようなごろつきと違って、気持ちの良い者が多いと思えた。
充実した仕事と日々だ。
カイは心からそう感じていた。
それは二日後の明け方、発つ前よりいくらかは人の手が入ったことが遠目からも判るようになった湿地を行く手に眺めて、より強まったようでもあった。
遠く、見つめる方から鐘の音が聞こえる。
小屋の横に立てた見張り台がこちらを見つけたのだ。
誰が出迎えに来てくれるだろうか。
だが、それはわかっていることでもあった。
トーニの時もそうだったように、忙しいと言う割には何やかやと理由をつけて、結局手の空いている者は皆で待ち構えてくれているだろうから。




