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各々の値段

 拾う手筈の人物とはアムテッロとパエトリウスであったようだ。

 この技師を雇い連れてくるためにアムテッロは一人国境を越えて、マグナテラの第二都市、ノイベルクへと赴いていたらしい。

 そのため、兄弟は今日が半年ぶりの再会になったとのことである。


 兄弟の中では一番年長とはいえ、国外へ単身赴くなど心配に思えるかもしれないが、マプロとノイベルクは、世界地図上では隣り合った都市でもある。

 互いを結ぶマグナテラ大街道はオルフェス街道と呼ばれていた頃から街道沿いの宿場なども含めて整備が徹底されており、国内の辺鄙な村などへ行くよりよほど安全な道中なのだ。

 この街道の安全保障がイーヴ商人の生命線となるので、当然のことではあるのだが。


 ゆえにカイも漠然とマグナテラ帝国入りを目指していたが、こういった事情も関係していたのである。

 各都市を結ぶ駅馬車も、イーヴのものではマプロ・ノイベルク間のみ護衛無しでの運行が可能だった。

 


 ノイベルクで建築関係の技師をしていたパエトリウスは、元はマグナテラ帝国軍で技官を務めていたとのことだが、どんな理由があったのか、退役したのだろう。

 退役の前後まではわからないが、以前からロンドバルドとは面識があったらしい。

 それもあって、事業を始めるに際して彼に技術面での白羽の矢が立ったということだ。


 片手に剣、片手につるはし、とまで謳われるマグナテラ帝国軍は、優れた土木技術でも、国内外問わず有名である。

 彼らが基地の外で一夜を過ごすためだけに設営する宿営地は、他国軍の並みの砦より堅固とさえ言われる。

 その帝国軍の技官ということは、相当の知識の持ち主なのだろう。

 たしかに街を造るとなれば頼もしいことこの上ない来歴だ。


 なぜ帝国軍を退役したのかは知らないが、本人の穏やかで誠実な人柄触れた今となっては、その程度のことは取るに足らないことにも思える。

 彼の担当する仕事においては、しっかりと自身の技量を発揮してくれるに違いないのだ。



 これらのことはナタルーゴ商会を後にして宿へと向かう道すがら、アムテッロが教えてくれた。

 ついさっき会ったばかりというのに、カイの質問にはいずれもにこやかに応じてくれる。


 ざっとパエトリウス技師のことをアムテッロが二人に話し終わると、おもむろにニールが技師の方へと口を開く。


「報酬のことは兄がお伝えしましたか」


 報酬という言葉にはカイもはっとする気持ちになった。

 彼もまた雇われ腕を振るう代わりに、報酬をもらう立場であるからだ。

 技師と剣士の違いはもちろんあるだろうが、果たして自分はどうなっているのだろう。

 パエトリウス技師とはどれくらいの違いであるのだろう。


「ええ、すべて了承したうえでここへやって来ました」


 穏やかな顔つきのまま言う技師に、ニールが少しばつの悪そうな表情になる。


「少なくはありませんか」


 少ない、とはどのくらいの額なのだろうか。

 パエトリウスで少ない報酬なら、なんの実績も持たない自分はさらに少ない額と考えるのが妥当ではないか。

 酒場でのシェッドの冗談が、今さらのように思い出されてくる。


 マプロ・ノイベルク間の駅馬車が、道中の宿泊費も含めると、ざっと二千セステルといったところと聞く。

 できればもう少し余裕を持たせて、せめて三千セステルは欲しいところだ。

 マグナテラ帝国領内に入れたとして、そちらですぐ仕事にありつけるという保証もないのだから。



 少なくはないかとの問いを、技師は純朴さの滲み出るような笑みとともに否定した。

 その顔は、心から今の待遇を歓迎しているように、カイには思われた。

 ニールも表情はそのままにしても、謝意を述べる語調で幾分緊張が和らいだことがわかる。

 どうもパエトリウスは相当に安い値段で雇われているらしい。


 ナタルーゴ商会の主人には不敵なまでの余裕でもって対したニールがここまで恐縮するとは。

 カイはもはや自分のことなど念頭になくなり、ただ好奇心のみに駆られて、傍らのアムテッロに小声で話し掛けた。


「パエトリウスさんはいくらで雇われているんですか」


 するとアムテッロも弟と同じように申し訳なさそうな表情になりながらも、カイの耳元へと、わずかに背中を屈めてくれる。

 弟のものはどこか演技がかったものが感じられないでもないのだが、この男がそういう顔をすると、本心からのものに思えるのである。


「一年で百五十デナリアだ」


 そう言ってアムテッロは苦笑するのだが、その額の多寡については、カイは相場を知らない。

 百五十デナリアとはつまり一万五千セステルなので、差し当たり自分が必要としている額の五倍である。

 それならば、なかなかまとまった金額にも思えるのだが。


「それって、少ないものなんですか」


 雇い主にあれこれと疑問を投げかける剣士に、それでもこの青年は優しげな笑みを湛えたままで答えてやるのだった。


「彼が一年ノイベルクで働いたとしたら、少なく見積もっても四百デナリアは稼げるだろうからね」


 なんということだろう。彼の技師は自身の稼ぎを大幅に減るのを承知の上でチェモーニ家に雇われているのだ。

 それはいったい何故なのか。


 もしや、街を造るという今回の話はそれほどに見返りの大きなものなのだろうか。

 だが、もう陽の落ちかけた街中に吹くそよ風を頬で心地よさげに受ける横顔を後ろから眺めると、この男にそのような計算高さは似合わない気がしてならない。

 きっとこの男は自分の行動を、金銭でなく意思と語らうことによって決めるのだ。

 そうでなければあれほど屈託のない笑みを浮かべることはできまい。



 そう思って絶句するカイを横目に、アムテッロは再び技師に感謝の念を述べたくなったらしい。

 彼の人柄からして、マプロまでの道中で散々口にしていることなのだろうが、なお言い足りないのだろう。

 ナタルーゴ商会での口ぶりでは、二人はかなり打ち解けている風でもあった。

 パエトリウスの方でも、この青年の誠実さを快く思っているに違いない。


 年長の二人が少し前を歩くような格好になると、それまで前を歩いていたニールがカイの横を歩くようになる。

 その顔は安堵を得たもののように見えたので、どうやら本当に技師は損得を勘定に入れず雇われてくれているようだ。

 すると今度はどうしても自分のことが気になって仕方がない。

 パエトリウスのことは、見方を変えればノイベルクで安定した経済状態が約束されているような人物さえ、破格の安報酬で雇われていることを意味するのである。


「あの、ニールさん」


 恐る恐る、カイはチェモーニ家の財布を握っている一人らしい少年に声を掛ける。

 すると、当の少年は意外なほど朗らかな表情でこちらへ振り向いた。

 これまでの印象から、気心の知れた人物以外にはもっと澄ました風を装うかと思っていたのだ。


「ニールでいいよ。僕も君のことをカイと呼ぶから」


 その一言がカイには嬉しかった。

 彼は長く、名前で呼び合えるような同年代の友人を持ったことがなかったのだ。

 彼が生きてきた世界には、普通子供はいるはずがなかったのだから。


 だが、それゆえに金勘定のことなど切り出しにくくなってしまったのも事実だった。

 嬉しさと気恥ずかしさとで、呼びかけておきながら言葉が途絶えてしまったカイだったが、替わりにちらとパエトリウスの方を見やる。

 それでニールも察しがついたようだった。


「もちろん君にも報酬は支払うとも」


 少しだけ得意そうに言うニールの言葉が、カイの心を明るくする。

 当然のことではあるのだが、払う、と明確に言われるとやはり説得力があるのか、安心してしまうものだ。

 だが、すぐに現実へと引き戻されもする。

 それは果たして自分の希望を満たしてくれるほどであるのだろうか。

 その思いに応えるかのように、ニールは続ける。


「君を今日から一年間の予定で雇う。日給は一日十セステル。けど格別の働きがあった日などには、父さんの意向もあるけど、上乗せもさせてもらう。

 食事やらは、普段は僕たちの傍にいてもらうだろうから、一緒に取ってくれればいい。寝るところなんかも同じ。これを全て合わせて、一日十セステル」


 最初は意気揚々と話し始めたニールだったが、そのうち段々と表情は真剣なものに変わっていた。

 十セステルとは職工の見習いの日給と同じだからだ。

 これではいくら若いといえど剣士が納得するか、という思いがあったのだろう。

 食事などは雇用者側が負担するので実際はもう少し良い待遇なのだが、それでも十セステルという額面は、被雇用者の心を大概は悪い方へと動かすはずなのだ。


 しかし、色は父親譲りで黒いが直毛の少年が二の句を継ごうと構えていると、思いのほか相手の表情の良いのに肩透かしを食わされた心持ちになった。

 どうも剣士の方では提示された金額に満足したようなのだ。

 なぜなら剣士が計算してみたところ、彼は一年後には三千セステルを手にしていることになったからだ。

 そんな胸算用など知りもしないニールには、この状況は意外ではあったが、労使交渉の勃発を免れたことについて異議はないのだった。



「じゃあそういうわけで、これからよろしく」


 そう言って差し出された手を、カイはすぐに、だが力を入れ過ぎないよう気をつけて握り返した。

 その感触に、また黒髪の少年はわずかな驚きを覚えたようだった。

 同じくらい背丈であると思っていたのに、金髪の少年の手の平は自分のものと違い、固いまめに覆われていたからである。


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