さらなる出会い
アムテッロという男は、まったく温和がそのまま形を成したような印象である。
輪郭も弟よりは丸みがあり、すらっと伸びた背丈も、見下ろすような風には思わせない。
それに比べると弟の方は、やや瞳に人を刺すようなところがあるか。
だがそうは思いつつ、それでもニールにも同じくらいの親しみを感じるのは不思議な気持ちだ。
などと二人の顔をそれとなく見比べようとすると、その向こうにさらに二人立っていることに気付く。
本当は階段を上りきったときにはもう存在はわかっていたのだが、雇い主の子息同士の再会に驚いているうち、すっかり忘れていたのだ。
それはアムテッロも同じだったらしい。
彼には実はいまだそうには見えないのだが、小さな剣士が自分の肩越しに視線をやったので、やっと後ろで待たせている人物があるのを思い出したのだ。
片方は今までのやり取りを、心から祝福しているかのような笑みを浮かべていた。
太い眉と厚ぼったい瞼が、やや角ばった輪郭の中でいかつくも優しい。
栗色の短い髪と、無駄な肉付きのない太い腕は、言わずと無骨で純朴な人柄を物語るかのようだ。
ロンドバルドよりは若いだろうか。
それでも三十路には間違いなく差し掛かっているだろう。
もう一人はというと、こちらはさほど心動かされたという表情ではない。
腕を組んでカイたちを観察するかのように見回している。
この中ではアムテッロと同じくらいか少し上の年格好である。
黒色の髪を長く伸ばしているのか無頓着なのか、すべてを後ろへ持っていって、紐で一まとめに括っている。
加えて目が切れ長なのもあり、冷ややかな性格であるかに思われた。
アムテッロは慌てて彼らの方へと向き直ると、まず栗色の髪の男へと話し掛けた。
丁寧な口調ではあるが同時に親しみも感じさせるのは、やはり彼の人柄がそうさせるのだろうか。
「パエトリウスさん、紹介させていただきます。私の弟と、父の雇った剣士です」
それまで待たされていた男も、いささかの嫌味も見せずに、素直に応える。
「聞いていましたよ、アムテッロ」
そう言うと、パエトリウスと呼ばれた男はこちらへと歩み寄り、まずはニールの手を取った。
ただでさえ同年代の中でも華奢なニールと比べると、一層がっしりとした体格に思われる。
「お会いできて光栄です。ガイウス・パエトリウスといいます。どうぞよろしく」
「こちらこそ、パエトリウスさん」
パエトリウスの言葉は穏やかでゆったりとしたものだが、その端々でマプロ以西では聞き慣れない発音が混ざるのに気が付く。
単語、文法ともに流暢なエタールア語ではあるので会話をするにはまったく支障はないが、どうも彼は、少なくとも生粋のイーヴ人ということではないらしい。
エタールア語はその昔、イーヴとは東に国境を接するマグナテラ帝国の前身として栄えたエタールア帝国の公用語である。
各地で豪族の小勢力が乱立していたランディアリス大陸中北部をまとめるような形で建国されたこの帝国は、その後も周縁部を次々と領邦化しながら大国化する。
そして帝国自体が早くに弱体化した後も、言語ならば永くその地に留まった。
そのため現在でもエタールア語圏ならば広大で、往時の帝国の勢力を偲ばせるのであった。
ちなみに現在のエタールア語圏の国といえばそのままエタールア帝国の後釜に収まったマグナテラ帝国の他には、このイーヴ共和国と、後は北方のラナホウン王国である。
西方のカーラン王国は、文化などの影響はエタールア帝国の影響は強いものの、どうも言語は自前のものが源流であるようだ。
その中にあってエタールア語は、外来語の地位を脱しないままである。
そして、パエトリウスの発音は紛れもなく、国境を東へ越えた地のものであった。
考えてみれば元々の発祥の地はそちらであるので、カイたちが使っている言葉の方が実は方言にあたるだろう。
だが、世界的には辺境伯国時代からの商人の活躍もあって、オルフェス、あるいはイーヴ訛りの方が認知されている傾向にある。
マグナテラの人間ということは、もしかするとロンドバルドの言っていた技師とやらだろうか。
カイは僅かだが胸の高鳴りを感じた。
彼は長く田舎の農村や、その近辺の暮らしだったので、機械仕掛けのような進んだ技術をあまり身近にしたことがなかったのだ。
精々が、水車が延々回り続ける仕組みを知っているくらいのものなのである。
だが彼の思う技師とは、扱う技術が精巧で複雑なものであるだろうだけに、もっと細くて理知的なイメージであった。
それが、今目の前にしている男は、設計図よりも剣を片手に、工房などより戦場の方が似合う風体なのである。
そう思っていたところへ、ニールへの一通りの挨拶が済んだらしいパエトリウスが声を掛けてきた。
「君と私とは、チェモーニ氏に雇われたということでは同じなようだね」
「そうですね。よろしくお願いします」
雇われた、ということはやはり技師か。期待通りの人物像でなかったのは、彼にとって少なからず残念ではあった。
しかしカイの言葉に微笑みながら、こちらこそ、と返す口調には、自分より随分と小さな同僚を見下したようなものは感じられない。
誠実な人なのだろう。
そう思ってカイは男の差し出した右手を、爽やかな気分とともに握り返す。
皮の厚い、ごつごつとした手の平だった。
その間、ニールとアムテッロは、もう一人の男と話し合っていた。
柔らかな口調のパエトリウスとは対照的にこちらは、良く言えばはきはきとした、悪く言えばずけずけとした物言いに聞こえる。
「あんたたちの御望みの品はあの通り揃えたが、支払いはいつになるんだね」
男が手で指し示す方を見ると、開け放たれた扉の向こうのテーブルに、何枚かの紙の束が置いてある。
ここはどうやら、この男のオフィスであるらしい。
扉の脇の看板には『ナタルーゴ商会』と書いてある。
この男が主なのだろうか。
だがそれにしては若すぎる気もする。
男はどれだけ高めに見積もっても、三十歳よりは二十歳に近いように思えるからだ。
中へと入っていって、紙束に目を通すアムテッロの顔は満足気である。
それを見たニールが男を正面から見据えた。
肉付きだけでなく背もカイの方が高いくらいなので、ニールの方が見上げるような格好になる。
だが、やはりニールにはどこか余裕のようなものが感じられ、見上げているにも関わらず、一切気後れする風には見えない。
街中のこともあったが、彼の纏う雰囲気にカイは一々驚かされる気持ちであった。
「父の代わりにお話をさせていただきます、ニールと申します」
そう言って軽く微笑みさえする少年に、男も幾分驚いたようである。
もはや表情ならば、男の方が固そうに見える。
二人は、といっても片方はぎこちなくだが、握手を交わした。
「クロント・ナタルーゴだ。てっきり親父殿とする話だと思っていたが」
「ご心配なら、後で父ともう一度同じ話をされては」
皮肉っぽい言い方にもまったく顔色を変える気配がないのに、ナタルーゴもどうやら目の前の少年と商談を進める気になったようだ。
訝しむような表情も元通りである。
相手の外面だけで判断しないとは、柔軟な思考の持ち主でもあるらしい。
そして、カイはナタルーゴにそうさせた自分の主人を誇らしくも感じるのだった。
「契約金と今回の分は現物を確認した次の日にリコローニ銀行へ。後は毎回品物が届けられてから一週間以内にお支払いしましょう」
その言葉にナタルーゴも満足したようだった。
「リコローニ銀行には口座を持っているから、そちらへ振り込んでもらえばいい」
「ええ、その方がこちらも手間がかからず助かります」
まったく、このチェモーニ家の次男は落ち着いた口調に終始し、最後にはまた微笑んでみせたのだ。
商談はまとまったようだった。