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アムテッロ

 酒場を後にした二人は、というよりはニールは、そのまま宿へ向かうということはしなかった。

 一度高級ホテルの林立する南大通りへ出て、中央広場の方へ少し戻る。

 ニールの話では、父とは別に回るところがあり、そこで拾う手筈になっている人物がいるとのことである。


 なんにせよ付いて行くより仕方のないカイに異論はない。

 それどころか、先には空腹と不安を抱えながら歩いた道を、今はえも言われぬ満たされた気持ちで再び歩くことができる喜びを噛みしめるのだった。


 彼の当面の主人はさも知った風ですいすいと大通りの車道、歩道構わず、前へ前へと進む。

 まだ一度しか、この上品さと活気が絶妙に同居している街並みを見たことのないために一々周りを見回しがちで、ともすれば足が止まりそうになるカイとは大違いだ。

 だが、剣士として雇われ、且つ主人の傍にいる以上、身辺警護も大切な仕事となる。

 ニールとはぐれるわけにはいかない、とカイは多少残念に思う気持ちを頭から引き剥がして歩を速めた。


 まったく、彼の前を進む少年は、この大都会での一々のことに無頓着であるのだ。

 目立ちはしないが陽に時折輝く絹地の服の群れも、田舎では滅多に見かけない雄大な馬格のペリアー馬も、彼の眼を奪うには力不足であるようだ。

 見慣れているからなのだろうが、自分と同じ年恰好なのに大したものだ、とつい感心してしまう。

 父親と比べてやや色白な細面(ほそおもて)に最初からどこか知的な印象を抱いていたカイは、加えて洗練された少年であるという認識もするのだった。


 そんなニールの左後方をぴたりと添うようにしていると、ほんの少し前の残念な想いなどはすぐにも消え去っていた。

 代わって今では、なにやら誇らしげな気分なのである。

 周りからは主人を護る忠実な剣士に見えているだろうか、いや、見えているに違いない。

 マントの地味な色合いが、また渋好みにも思われているやもしれぬ。

 あの年齢で、なかなか良さのわかる立派な男ではないか、と。


 これまで国内一の大都市に多少縮こまっていたカイも、さも当然のことのように堂々と歩く主人の姿にいつしか気が大きくなってきたようである。

 わざとらしいまでのすまし顔で、周囲に気を配る素振りを繰り返す。

 もっとも、それさえニールは構うことなく、茶飯事をこなす表情のままなのだったが。



 このまま中央広場まで出て通り抜けるのかとカイには思われた矢先、ふと前を歩いていた少年の足が止まった。

 四階建てはあるだろうか、そこそこの大きさの建物である。

 よく見れば看板がいくつも壁から生えており、この内の一つが差し当たっての目的地であるらしかった。


 看板の一つ一つを丁寧に見回そうとしていたカイを、ニールは顔だけで促す。

 どの看板に用があるのかも決まっていたようだ。

 通りに面した大きな扉を横目に、二人は脇の小さな入口から、細い階段を上った。


 二階を通り過ぎて三階への踊り場に差し掛かると、上の階から若い男の声がする。

 それを聞くや、今まで一段一段たしかに踏みしめていたニールの足取りが、心なしか軽くなったようだった。

 最後は一段飛ばして上がりきると同時に、それまでの余裕を含んだような口調とは違う明るい声が、カイに少し意外な思いを抱かせた。



「兄さん」

 呼びかけられた男は話を打ち切ってこちらへ振り返ると、これも呼びかけた方と変わらぬ笑みに顔が満ちる。

 髪の色はやや青みがかったようではあるが、口元や鼻の形は互いにそっくりだ。

 ただ、目は父とも弟とも違って、より温和な印象を受けるか。

 ともかく、紹介を待たずも、その男がニールの兄であると確信するに十分なほど、二人は似ていた。


「ニール、久しぶりだ」


 そう言って兄弟は手を取りあった。

 一目で二人の仲の良いことがわかる親密な雰囲気が周りに広がる。

 男も喜びに心溢れんばかりなのだろうが、それでも声はどこか落ち着いた響きだ。

 それも相まって、温厚な優しい人なのかな、とカイには思えた。


 ひとしきり久しぶりらしい再会を喜んで、男が弟の肩越しにこちらへ顔を向けた。

 瞳は父と弟と同じ、透き通った青だった。


「ニール、後ろの彼は誰だい」


 兄の手を離し、ニールもこちらを振り向く。

 その表情は、もう先ほどまでの喜びは感じさせない、出会って此の方のものである。

 一方兄の方はいまだにこやかな顔つきのままなので、仲は良いが兄と弟で性格は多少なりとも違うようだ。


「父さんが今日雇ったんだ」


 そして、自身は一歩引き、カイを手で兄の方へと差し向ける。

 自己紹介をしろということなのだろう。

 人柄は穏やかであるようだが、彼も雇い主の家族であるゆえ、一応は引き締まった面持ちで挨拶せねばなるまい。

 右手は真直ぐ降ろし、左手は剣の柄の上に置く。

 これが道すがら彼の考えた、剣士らしい姿勢なのだ。


「カイ・ツェゼッリです」


 男は、だがカイの精一杯格好付けた姿にはさして心動かされた様子はなく、表情はそのままである。

 そのかわり、そのままの柔らかな表情でカイの右手を親しげに取り、自らも名乗るのだった。


「アムテッロだ。ロンドバルドの息子でニールの兄。もっと下にクラウティーノというのもいるから仲良くしてやってほしい」


 この男にそう微笑まれて手を握られては、誰もが心を開くに違いない。

 カイももれなく、たちまち笑顔をアムテッロに返した。

 父親は有無を言わさぬ雰囲気を纏っていたものだったが、彼もまた、独特の雰囲気の持ち主であるようだ。



「ところでニール、彼を雇ったというのは」


 アムテッロは傍らの弟に話し掛けて、その途中に相対する少年の腰のものが初めて目に入ったらしい。

 どうもマントが深く覆い被さりすぎて、左手を柄に置いたのはアピールには逆効果だったようだ。


「剣士、なのか」


 驚きを隠し切れぬ風で尋ねる兄に、ニールは事も無げに答えた。


「そう。トーニと同じくらい剣は使える」


 自分ほどの年齢で剣士を名乗ることへの反応には、カイはもう慣れっこである。

 それより自分が腕前を買われて雇われたのだということの確認ができたのが、彼には密かに嬉しかった。

 もし同情で雇われでもしていたなら。

 その場合は傷つくほどには、カイも自分の腕にプライドを持っているのだ。


 それと同時に、酒場でのトーニのことも思い出す。

 ほんの少しの間、背中合わせにモップの柄を振り回しただけではあったが、たしかに彼の剣術の腕も相当なものであろうと思われる。

 身のこなしも、ごろつき共のナイフが掠ることさえも考えられなかった。

 ただ、どうしてもその後の振舞の方がより思い出されて、結局彼をどう評価したものかわからないのが本音だ。


 だが、そのトーニと同程度、というのは随分アムテッロを納得させたようで、再びこちらを先ほどのような表情で見ている。

 あの騒々しい少年は、どうやら剣士としてはかなりの信頼を得ているようではあった。


「なるほど、父さんが雇うというからには、と思ったが。そういうことなら安心だ」


 改めてこちらへ向き直ったアムテッロが、両肩を優しく叩いた。


「よろしく頼むよ、カイ」

「はい」


 と、カイも心から素直に応じたのだった。


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