並び、立つ
事も無げにさらりと言ってのけるニールを目の前にして、まったくカイは言葉を失ってしまった。
街とは、つまり人が住み、建物の立つ、自分の思うような街のことを言っているのだろうか。
あるいは冗談を言っているのかもしれないではないか。
初めて話す相手と早く打ち解けるためには笑い話の一つもするだろう。
きっとそんなものなのだろう。
そう考えて笑おうとしたところへ、ニールは続けて話し出す。
「リドーテ川は知っているよね」
その顔からはもはや微笑みは消えており、変わって自信に溢れた表情でこちらを父親譲りの青い瞳で見つめている。
この瞳で見られると笑う気などどこかへ失せてしまう。
半ば大きく開きかけた口をさっと閉じ、真剣な顔つきで頷くほかにどうしようもない。
「うん、知ってる」
知っているもなにも、リドーテ川といえばイーヴ共和国最大の河川である。
イーヴと北方のラナホウン王国の国境の一部にもなっているハクサ山脈を水源とし、主にイーヴ西部を流れてシュヴァル海へと注ぐ。
この川のもたらす恵みによって、いつまでも背の低い草原がまるで緑の海原のように続くイーヴの中でも、西部は比較的にしろ肥沃な地味を持つ。
「ここからなら半月ほど西へ行ったところで支流の一つが大きく蛇行しているところがあって、そこに街を造るんだよ」
「街を造って、そこに住むの?」
これはカイからすれば当然の質問だった。
街といえば人が住む、それ以上の発想はこの金髪の少年にはないのだから。
では何故このマプロを離れ、わざわざ新しく街など造ろうというのか。
たまに金持ちが都市の郊外に別荘を持つことがあるのは知っていたが、その類であるのだろうか。
それにしても六千万セステルもかけた別荘など聞いたこともないから、やはり自分には理解しがたい、とんでもない話というものだ。
だが、テーブルの反対側に腰掛ける黒髪の少年は、首を縦には振らなかった。
それは否定を意味したわけではなかったが、カイの思うようなことを肯定したわけでもなかった。
「金の道が、そのすぐ北を通っている」
その言葉は、いかに門外漢といえどイーヴ人ではあるカイにも、商人の視点を意識させた。
この世の富の半分が集まると謳われる、通称「金の道」。
共和国の前身のオルフェス辺境伯国が整備に腐心した「金の道」は西のカーラン王国から発し、イーヴ共和国領内を通過して、南のアグバール帝国直轄領へと延びる。
その総延長の約半分がイーヴを通り、共和国はこの世界最大の通商路から計り知れない利益を上げている。
国もそうならばその途上にある街が商業都市として栄えることは自明の理であろう。
それゆえにもはや共和国内の「道」はすべてスカラーらの有力な商人たちが都市を造るなどして勢力下に置いている現状である。
それなのにまだ街を造る余地があったとは、カイは知らなかった。
歳のこともあって世事には多少疎いカイでも、大商人たちの勢力圏内で勝手に都市を建設などしようものならば大事であることは聞かずともわかる。
リドーテ川の流域ならばコアディ家とベクルッティ家がそれぞれ北と南を分け合っているはずだ。
ニールの話はつまり、金の道の途上で、大商人の勢力下にない土地に、自分たちの商業都市を造ってしまおうということなのだ。
これが実現すれば、途方もない利益を得ることができるのは間違いないのだろう。
そのためにあの金額というのならば、こういった世界ではあながち考えられない投資でもないのかもしれない。
金の道はそれを遥かに上回る富が日夜、東西南北へと急いでいるのだ。
ただ、頭では理解しかかっていても、やはりカイにはつい先ほど聞いた、自分には一生縁のないと思われる金額にどうしてもこだわってしまうのであった。
「そこは、その、街なんて造って大丈夫なの」
他にも色々と聞きたいことはあるのだが、やはり率直に知りたいのはこの問いだった。
それほど五大商の力は、共和国内では強大なのである。
仕事にありつけるのはありがたいが、その仕事が五大商のいずれかに殴り込みに行きます、というのではあんまりだ。
その気持ちを察したのか、あるいは顔色に正直に出てしまっていたか、ニールはまた笑顔を浮かべ、軽い口調で「心配ない」と言った。
「なにせ蛇行しているからちょっとした増水で水浸しになってしまうんだ。だから誰も住もうとしない。すると当然、そんな土地にはどの一族も目もくれないのさ」
その答えはカイに、まずは安心感を与えた。
だがすぐに矛盾にも気が付く。
「じゃあ街なんて造っても無駄なんじゃないの」
人の住めない場所に街を造っても、結局は先達らと同じ目に逢ってしまうだけではないのだろうか。
それとも他に考えでもあるというのか。
これは初めて見た時から思っていたことでもあるのだが、今まさに自信をその瞳に湛えて微笑む少年は、随分と賢そうな顔立ちである。
これで自分が抱いたような危惧通りの過ちを犯すということは、まさかあるまい。
いや、ないと思いたいものだが。
どうやらカイの思惑は、良い方向で当たっているようである。
ニールは指摘に対して幾分も顔色を曇らせることはない。
優しく諭すような笑顔で首を振る少年の姿は、はっきりと先ほどの父親を思わせるのだった。
「無駄じゃなくする方法があるんだ。やり方次第さ」
そう言ったきりニールは立ち上がり、身振りで店を出ようと促したのだった。カイもつられて席を立ち、椅子の後ろに立て掛けてあった剣を手にした。
剣を手にしたとき、カイはいつになく自分の所作がこなれているような、不思議な感覚に包まれた。
それは一瞬の思いであったが、妙な懐かしさを感じもしたのだった。
いつもこうしていたような、こうするべきなような、何とも言い様のない不思議な感覚だった。
しかし呆けているわけにもいかず、すぐに気を取り直してニールへと向き直り、二人とも眼だけで互いを見やった。
それはとても自然な光景なのだった。