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田舎道

蒼い空は極まるところを知らず、白い雲はただ芒として漂うばかり

吹く風の甘やかであることは、傍らに注いだ極上の酒のようで

柔らかな陽の光にまどろめば、一献また一献と杯を傾けたかのようだ

ああ、なんと満ち足りた春の午後であることだよ


 馬車の荷台に揺られながら、少年はこんな詩を思い出していた。

 養父がよく春になるとは愛唱していた詩だ。

 他の季節のものもあって本来は四つか五つで一まとまりだったのだろうが、これしか思い出せないということは、養父は格別この詩がお気に入りだったに違いない。

 そして彼もまた、この詩がお気に入りだった。

 まだ酒の味に舌鼓を打てるような歳ではないが、春が心地の良い季節であることにはなんの異論もなかったのだから。


 まったく、上を見上げれば青い空に白い雲がいくつか点々と浮かんでいる。

 手を伸ばせば、あるいは息を吹きかければ飛んでいってしまいそうに頼り無げで小さな雲だが、しかし何者に邪魔されるでもなく、気ままにこの後も漂い続けるのだろう。

 彼には雲は、意外にも孤高の気高さを持ったものに思えていたのだった。

 

 そして、ふと横へ身体と顔を捻ってみれば、青一色だった世界の下半分が緑色になる。

 地平線で上下に分かたれた青と緑の景色は、見飽きるほど見ても彼の心を安心させるものだった。

 きっとこれが彼の原風景なのだろう。

 時折草が馬に食べられでもしたのか地面が剥き出しになっているところもあるのだが、そのちょっとした光景もまた楽しく思われるくらい、この緑の海原を往く彼の心は満たされていた。


 もう少し、どこにも着かないでいいや。

 元から行くあてなどあってないような旅である。

 それならば今はもう少しこのままで、彼はそう思ってすらいたのだ。

 小麦の詰まった麻袋の上に身を投げ出して、車輪が小石を踏みつける度に起こる揺れに身を任せる道中に心から満足していたのだ。

 同道の老人も何か話していないと死んでしまうというような人種ではないらしい。

 蹄と車輪と、そして風の音だけを耳にしながらの日々は何の娯楽もないが、少なくとも彼にとっては楽しいと思えるものだった。



 彼らは今、イーヴ共和国の首都マプロに向かって、カーラニア大街道の支線を東へと進んでいる最中なのである。

 そしてマプロに着けば少年と老人は別れることになっていた。

 農村で去年収穫した小麦を金に換えようと発った老人の馬車に、少年は便乗させてもらっているだけなのだ。

 老人は小麦が売れれば西へと引き返すが、少年の方はそのまま東へと旅を続けるつもりであった。

 最終的には国境を越えてマグナテラ帝国領へ入り、帝都のロムルスか第二都市のノイベルクのどちらかにたどり着くつもりであったのだ。

 しかし先にも言った通り、あてなどあってないような旅である。

 ロムルスもノイベルクもとりあえず、といった程度の目的地で、しばらくはマプロで情報を集めてどちらにするか決めようかと考えていたのだ。

 イーヴ共和国は、その前身のオルフェス辺境伯国の時代から交易で名を馳せた国である。

 そのため各国の商人がイーヴの領内を通り、その道すがらマプロに立ち寄る者も多い。

 つまりマプロは大陸中の情報が集まる場所でもあるのだ。


 そして少年がマグナテラ帝国を目指している理由だが、なにを隠そう、彼は剣士なのだった。

 マグナテラ帝国も建国してからいまだ日の浅い国である。

 それならば色々と他国の人間でも仕事にありつけるような隙間はあるだろう。

 うまくすれば帝国軍の剣術師範役になるチャンスもあるかもしれない。

 まだ歳は若いが、剣の腕には自信がある。

 なにせ六歳の頃から剣を握ってきたのだ。

 それもただの剣術の稽古というわけではない。

 自分の身を自分で守るため、養父に日々鍛えられながら振るってきたのだ。



 少年は生まれながらの孤児ではなかった。

 元々はオルフェス辺境伯国の南西にある中くらいの農村で、五人兄弟の末っ子として生を受けた。

 そして五歳までは両親と兄たちに囲まれて幸せに育っていたのだった。


 その少年の日常を奪い去ったのが、後の世では「第二次オルフェス侵攻」と呼ばれることになる事件である。

 オルフェスに侵攻してきたマグナテラ、カーラン、ラナホウン、そしてアグバールの軍は、各地で熾烈な戦いを繰り広げた。

 それだけならば非戦闘員である庶民には関係のない話なのだが、戦争の悲惨は彼らを放っておきはしなかった。 


 少年の住んでいた村は南西にあったため、南から攻めてきていたアグバール軍の勢力圏にあった。

 やがて兵糧が欠乏してきたアグバール軍が、ちょうど収穫期であった村を略奪しに来たのだ。

 その頃には旗色の悪くなっていた鬱憤を晴らそうという思いもあったのか略奪は凄惨を極め、軍勢は食糧を奪うだけに止まらず、無抵抗の村人へと矛先を変えた。

 二百人余りいた村人の中で生き残りは少年のみだった。


 彼が無事だったのは両親の言いつけを破って、一人で森の泉へ遊びに行っていたからだったのだが、怒られるのを覚悟しながら帰ってきた彼が見たものは、まだそこかしこで燃え残った炎と煙が立ち上る、変わり果てた我が家だった。

 もう彼を叱ったりからかったりする人は、誰ひとりいなくなっていた。


 幼児とて成す術のない彼はそこで三日を過ごしたが、四日目にふらりと村に立ち寄った剣士が彼を見つけた。

 ただ一人の生き残りに情が湧いたのか、剣士は彼を連れて西へと立ち去った。

 この男が少年の養父となったのである。


 その後はカーランと、イーヴと名を変えた故郷との国境付近で商人の護衛を請け負う養父に付き従って生活していたが、一年前にその養父が亡くなった。

 一通りの葬式やらを済ませた少年は遺産を整理し、自分の生きる道を求めてとりあえずは東へと旅立ったのだ。

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