ギルドにて
こちら側の路地を入ったところまで引き返すと酒場の前に着く。
表の大通りからは少し離れるものの、交通の便はそれほど悪くない立地であるので、市の南側では中心的な支部なのだろうか。
扉の前に立つ前から、中から幾人かの笑い声や話し声が聞こえてくる。
どれもそれほど品の良いとは言い難いものである。
声は四つほどだが、話している一団の人数ならば倍はいそうに思えた。
幼い頃からカイはこういった直感に長けているのだった。
描かれている雄牛と剣の下には、しっかりとエタールア語で「マプロ市営ギルド」と書いてある。
がさつな笑い声に気が重くなっていたカイだったが、ここで回れ右してしまっては何も始まらない。
勇気を出して扉を押すことにした。
中に入ると思った通り、奥のテーブル二つに四人ずつの男たちが腰掛けて酒を飲んでいるようだった。
皆真っ当な職業に就いているとは考えにくい風貌だったので、場所のことからも剣士なのだろうか。
しかし、これも直感なのだが、どうもちゃんとした剣士であるようにも思えない。
座り方などの振舞がそれらしくないという程度の理由ではあるのだが。
それ以外の十個ほどのテーブルに客はいない。
他には男たちのテーブルとは入口を挟んで反対側のカウンターにマスターらしき男が酒樽に構っているのと、自分より二つ三つは年上らしい少年が退屈そうに床をモップ掛けしているだけである。
扉が開いたことに最初に気付いたらしかったのはモップを持った少年だった。
日に焼けているのか、僅かに浅黒い顔をこちらへ向ける。
思っていたよりうんと若い客が来たのに少し興味を持ったようで、掃除を再開したものの、顔をしょっちゅう上げている。
中を一通り見回してカウンターを見つけたカイは一歩を踏み出した。
その踏み出した先の床板が思いのほか大きな音で軋んだので、奥の男たちも気付いて、皆しゃべることはやめずに顔だけこちらへ向けた。
なるべく関わり合いになりたくないと酒場に入る前から思っていたカイは、どうぞお気になさらずお話を続けてくださいという心境だったが、あちらではどうも興味を持たれてしまったらしい。
何人かは身体もこちらへ向き直って、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
あまり男たちを気にしていても余計に向こうの気を引くだけだと思ったカイは、一切を無視している風を装ってカウンターを目指すことにした。
そのときモップの少年がちらりと視界に入ったのだが、彼は奥の男たちを睨み付けているようだった。
これは自分のことで彼らに抗議の視線を送っているのかと思うと、かえって面倒なことにならなければよいが、と思えて仕方がない。
カウンターに着いてマスターに声を掛けようとしても、奥のテーブルからは先ほどまでのような話し声は聞こえてこない。
どうも男たちは自分が何を言い出すかに注目しているようだ。
そして、それは決して好意からの注目でないことも、よくわかっていた。
モップの少年はまだ彼らを睨み付けているのだろうか。
とにかく、ただでさえ無理を頼もうとしているというところに、これ以上話しづらい雰囲気を作られてはたまらないので、さっさと要件を済ませてしまったほうがいいだろう。
「すみません」
この時点で既に男たちからは笑いが漏れていたように思えた。
それまで酒樽にかかりっきりだったマスターは、カイを見るなり驚いたようだったが、それでも客と思ったらしく、こちらは好意的な笑みを浮かべている。
「いらっしゃい。酒、でいいのかい」
しかし、このマスターの一言が、男たちにとっては誘い水となった。
「坊主、酒だったらこっちに余ってるから、俺たちが奢ってやるよ」
「でもミルクだったらダメだぜ。俺たちゃそんな強いの、飲めねぇからな」
彼らは皆ゲラゲラと笑い出し、こちらを指差して互いの肩をたたいている。
カイも気を悪くしなかったわけではないが、それよりは面倒の起きない方がずっと優先である。
お言葉に甘えて彼らのテーブルの上にある酒を片っ端から飲み干していってやればさぞかし気持ちよかろう、という考えも頭をよぎった。
しかし、もし本当にそんなことをしようものならば、きっと一本目で吐き出してしまい、フラフラになってしまうことだろう。
結局何も言わずに笑みを返した。
相当引きつった笑みではあったが。
カウンターの方に向き直るとマスターも、困ったものだ、とでも言いたげな顔をしている。
カイは申し訳なさそうな表情でマスターとの会話を再開しようとした。
あの男たちは面倒な客なのだろうが、自分もまた、十分面倒な客であるかもしれないのだ。
「ごめんなさい、お金はないんです」
マスターもその言葉には随分驚いたようだったが、それは顔だけにとどめて、少なくともさっきの宿の主人のように帰れと言うようなことはなかった。
ただ、表情ならば、同じく訝しむようなものにはなっていた。
「じゃあ、水でも出せばいいかい。それならタダで出せるよ」
男たちのニヤついた顔が容易に想像できる。
きっと皆して自分の背中を見つめているのだろう。
そんなところで本題を切り出せばどのような反応が後ろから返ってくるかはあまりに明白で、また気が重くなってくる。
だが、ここまできた以上、言わなければどうしようもないのも、また明白な事実だ。
そう自分に言い聞かせると、カイは真面目な表情で顔を上げた。
まず、このマスターに本気であることが伝わらねばならない。
「仕事を紹介してほしくて来たんです。何でもいいんです。ギルドの仕事を回してもらえませんか」
途端に後ろがこれまでになく賑やかになった。
気にしないよう努めても、甲高い笑い声とテーブルを叩く音だけは耳に入ってきてしまう。
しかし、マスターから目を逸らすわけにはいかない。
この交渉こそ何としてでも成功させねばならないのだ。
多少の自分にとって不利なことも、もはや気迫で埋め合わせるしかない。
まじまじと自分を見つめる少年の瞳が放つ光に、というよりはそもそも発言の突拍子の無さに、マスターもまた、奥の男たちなど気にならない様子で呆然としている。
「君、ギルドの仕事といったら、剣士がやるようなことだよ。君なら、まずは市で斡旋している仕事か、あるいは知り合いの店の売り子くらいなら紹介してやれるが」
予想通りの反応に、しかしカイはくじけることはなかった。
腰の左側に差してある剣をぐいと前へ持ってくると、それを見せつけながら言う。
「俺、剣士なんです。これでも腕に自信もあります。警備の仕事くらいならできると思うんです。お願いします」
少年が剣だと言って前に差し出した物の、たしかに柄の造りはそれらしいことを認めたマスターの表情が、一瞬驚いたようなものになった。
だがそれは本当に一瞬のことで、またすぐに困ったような顔つきに戻ってしまう。
後ろからの声は一段と大きくなっていた。
剣士と名乗ったのが、ことさらおかしかったらしい。
それでも構ってはいられない。
今はマスター一人に全神経を集中させて、どうにかして説き伏せねばならない。
しかし、その肝心のマスターからの返答は、やはりというか、厳しいものばかりである。
「仮に君が剣士だとしてもねぇ。ギルドの会員じゃないことには、ほら、わかるだろう」
「ですから、本当に簡単な仕事でいいんです。一生懸命やります」
「君がどれだけ真面目でもなぁ。私にも信用ってものがあるからね」
「絶対に今以上のご迷惑はかけませんから」