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次なる一手

 外に出ればまだ陽も高い。

 冬を耐え忍んだ褒美でもあるかのように柔らかく降り注ぐ陽光は頬に心地よく、暖かである。

 しかし、この季節ならばまだ、気温そのものはそんなに過ごしやすいとまでは言えない。

 それは、たとえば日陰を数歩も歩いてみればすぐにわかることだ。

 本格的に春が来た、と皆が心から思うようになるには、もう一月は待たねばならないだろう。

 それまでは、たとえ昼間が暑いとさえ感じるような日でも、一度日没を迎えるや、一刻一刻と肌寒さが募るようになる。

 完全な暗闇が訪れる頃には、陽光の眩しさだけでなく、その暖かさすら遠い昔のことのように忘れ去られてしまう。


 今夜以降の宿を手に入れることに失敗したカイは、とぼとぼ来た道を引き返していた。

 このまま宿が見つからないのでは、野宿をするはめになってしまう。

 あてなど何一つない旅なので、寝る場所にも元々頼るような所はない。

 だが、本来なら素泊まりでも二週間くらいならばそこそこの宿には泊まれたはずだったのである。

 その間に身の振り方を決めるつもりでもあった。

 そして、それも今となっては夢のまた夢である。

 今はただ、夜の冷え込みを逃れられる場所を早急に見つけねばならない。


 しかし、少年を声もなく唸らせていたことは彼自身のことでなく、宿の持ち主がミトー老人の知り合いから他人になっていた事実だった。

 現主人の話によれば潰れかかっていたとのことで、そのことを老人は今でも知らないままなのだろう。


 世知辛い話だ、とカイはしみじみ思うのだった。

 顔は知らず名前も聞かなかったので知らずと、自分は何も知らない人の身の上のことではある。

 だが、わずかでも自身と接点のあった人物に訪れた不幸ならば、彼の心はその方へと傾いてしまうのだ。

 今はどうしているのだろうか、宿を売った代金で平穏に暮らしていれば良いが、ミトーさんはいつ知るのだろうか、等と考えてしまうのであった。



 今夜寝る場所の最有力候補を失った悲しみにカイが再び直面したのは、「南風」亭の玄関を出て、もうその屋根が他の建物のものに隠れてしまうほどまで来たときのことだった。

 それまで名前も知らない他人の悲劇を心で弄んでいたのだったが、急についさっき我が身にも悲運が降りかかっていたことを思い出したのである。


 さて、どうしたものか。

 少し考えを巡らせる必要を感じたカイは道端に落ちていたレンガに腰掛けると、両手で頬杖をついて今後取りうる手段を整理し始めた。


 あの宿に間借りできなかったことは残念ではあったが、いざ追い払われてみると、意外にもそこまでの落胆も感じないものだった。

 駄目で元々の交渉だった、ということもあるが、結局このマプロに居る限り、どこかしら屋根のある寝場所くらい見つかるだろうと思われてきたのである。

 大きなホテルの馬小屋ならば、一晩くらい藁に包まって夜の冷え込みを凌いだとて見つかりはしないだろう。

 皆が寝静まった遅くに忍び込んで、朝は陽の昇る前に去ればよい。

 日替わりで場所を転々とすれば誰も気付きはしまい。

 ただ、万が一見つかった場合には、どんな目に逢わされても文句は言えないが。


 あるいは神殿や教会を頼るのも一つの手段ではある。

 マプロは各国から様々な人間が集まるため、その人々が祈りを捧げるための場所も、これも実に様々の施設が用意されているのだ。

 特にカーラン王国で信者が多い「光の聖女」教の教会は、困窮した者を手厚く遇するとも聞いている。

 まぁ、どこにせよ頼れば軒先と毛布の一枚くらい、快く貸してはくれることだろう。


 なんだ、パッと思いつくだけでも、これだけ宿代を浮かせられそうな方法があるではないか。

 これならば今後の展望も明るいか、などと考えていた少年に現実を突き付けてきたのは、かれこれ三時間はお預けを喰わされていた胃袋であった。

 いかに神殿や教会の軒先を借りようと、食事までは甘えられまい。

 この瞬間の空腹も相当なものだったが、無一文の身でこれからの食糧調達を考えねばならない状況と向き合うと、それまでの甘い見通しに恨めしささえ感じられる。



 その時ふと、ベストの右ポケットの中身を思い出した。

 同じような袋なのに、掏りも目ざといもので、こちらではなくちゃんと財布の方を盗っていったものだ。

 右ポケットに手を入れると、柔らかな感触の袋が指の先に当たる。

 少年の手の平からは少しだけはみ出るほどの大きさの袋である。


 口を縛っていた紐をほどくと、乾いてしぼんだ葡萄の粒が中で重なり合っていた。

 一つ取り出して口へ放り込むと甘酸っぱさが広がり、口の周りがじーんとするように感じる。

 すぐ噛んでしまいそうになるのを我慢して、少し転がしたりと弄ぶ。

 そうしているうち実が綻んでくるので、そうなって初めて噛みしめる。

 老人の言葉通り不揃いな粒だったが、どちらかといえば大きいものが多く、袋一つを一気に食べ終えた頃には、それなりに空腹も落ち着いていた。


 口の中にまだ甘さを残しているうちに、カイはその場から動く気になれた。

 座ったというよりはへたり込んだレンガから立ち上がり、どちらへ行くべきかを考える。

 だが、その答えならばすぐに出る。

 右に行けばさっきの宿へと逆戻りだ。

 ならば左へ進むしかない。

 そう思って左を向いたと同時に、そちら側にはギルドのマークが描かれた酒場があったことも思い出したのだった。

 

 一日に悪いことばかりでもないだろう。

 こうも悪いことが続けば、逆に良いことだって一つくらいあるはずだ。

 ならばそれは酒場で、なのだろうか。

 とにかく待っていてもまた腹が減ってくるだけだ。

 その前にできるだけ動き回って、どこかで幸運と落ち合うしか、少年には手段がないのだった。


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