酒場前
やや緊張して西の路地に入っていくと、すぐに酒場を見つけた。
その酒場の入口にちらりと横目をやると、カイは一瞬だが不安も緊張も忘れ去った。
見覚えのあるマークが扉に描かれているのである。
雄牛の顔の上で剣を交差させた絵柄は、たしか自分の記憶が正しければマプロ市の剣士ギルドの紋章だったはずだ。
つまりこの酒場は、市のギルドの支部になっているということだ。
これは思わぬ幸運やもしれぬ、とカイは喜んだ。
この状況で贅沢も言ってられぬので、人足でも工夫でも、なんでもやる覚悟ではあった。
しかし自分はやはり剣士だ。
剣士ならばそれらしい仕事で稼ぎたいという意地が、この紋章との出会いでむくむくと頭をもたげてきたのだった。
本当ならば商隊の護衛や要人の警護が剣士の花形なのだが、この際それらしい仕事ならば御の字である。
市の施設の夜間警備でも国営賭博場の暴力沙汰要員でも、それが剣士という肩書が前提となる仕事ならなんだって請けるつもりだ。
逆に言えば、これらはギルドを通さなければ請け負えない仕事でもあった。
ギルドに法的な後ろ盾があるわけではなかったが、大体の場合は依頼主の方がフリーの剣士を雇うことを嫌ったからである。
自称剣士の中には国軍崩れの者たちも多かったので、不届き者が依頼の遂行中に荷物を奪って逃亡した、などという話も、少し前ならばよく耳にすることだったのだ。
商人はこの国の担い手である。
その商人の活動の安全が保障されないということは、ひいてはイーヴそのものの活力の低下に直結する。
そこで各市はギルド(組合)を立ち上げ、そこに審査を経た者を登録することで質の向上を図ったのだった。
この試みは現在に至るまで概ね成功と呼んでよい成果を挙げており、少なくとも週に一度はどこかしらで剣士絡みの不祥事を耳にする、というようなことはなくなった。
ギルドの審査はどこでも厳格に行われ、優秀な者にはより多くの報酬が支払われたので剣士の側でも誠実に依頼を果たす者が増えた。
万が一不祥事が起こってしまった場合、ギルドは損害賠償を依頼主にせねばならず、無法者には懸賞金が懸けられ、賞金稼ぎに追い回されることになった。
報酬はギルドが三割を徴集し、残りの七割が剣士の懐に入る。
この仕組みは依頼主には割高な感を、剣士には割安な感をそれぞれ抱かせないではなかった。
しかし、信頼のおける剣士を紹介してもらえ、最悪の場合でも損害補償まで望めるならば、多少割増料金ではあってもこちらを選ぶ商人が圧倒的である。
剣士の方でも仕事に困ることならないギルドに所属するメリットの方が断然大きかったため、今では剣士と商人をギルドが仲立ちするシステムがどちらにも常識となっていたのだった。
カイの養父のようにどこにも所属せずに仕事を請け負うなど、実績と名声がある程度知られ、且つ幅広い人脈を持っている場合に限られていた。
もちろんカイはマプロ市のギルドに所属などしていない。
むしろフリーランスの養父に育てられてきたので、どの市のものとも縁遠い剣士生活を送ってきていた。
それでも頼み込めば警備の仕事くらいなら紹介してくれるかもしれない。
多分マスターも務めているのであろう支部長がいい人ならばよいのだが。