すくって、すくって。
其々が“すくう”ものは。
暗い夜道を歩く。
項垂れながら、頼りない足取りで。
俺の人生は本当に最悪だ。
もう死んでしまいたい。
***
明かりの少ない静かな住宅街を歩いていた筈が、不意に濃い霧が立ち込めて周りが見えなくなってしまった。
あれ?本当に死んだ?
俺がフリーズしていると、霧の中からぼんやりとした明かりが幾つか見えた。
近付くとそれは、提灯だった。
そして、其処にはお祭りでよく見るような金魚すくいの屋台があった。
『すくい屋』
筆文字で大きく暖簾に書かれている。
変な店名に俺は一瞬疑問を感じたが、ぶっちゃけそんな事どうでもいい。
再び俯き歩き出そうとすると、声を掛けられた。
「いらっしゃい。」
間近に男の声がして思わず顔を上げると、座っていた屋台の店主と目が合ってしまった。
俺が目を泳がせていると、店主が面倒臭そうに言った。
「一回100円。」
店主はいかにも的屋らしい格好をしていたが、顔はなかなかイケオジだ。若い頃はモテたのだろう。
「いや、俺はやりません。失礼します。」
慌てて帰ろうとした時にふと目に入った大きな水槽の中で泳ぐ物体に、俺は驚愕した。
泳いでいるのは金魚ではない。
無数の『俺』だった。
「何で俺が……?」
水の中には赤ん坊から今に至るまでの様々な年代の『俺』がいた。
「へぇ、兄ちゃんには自分に見えるのか。」
的屋がニヤリと笑う。
隣には既にポイを持ち、必死に何かを掬おうとしている二人の人物がいた。
「奥のご婦人は飼っていた犬、手前の学生さんにはテスト用紙に見えるんだってよ。」
的屋はタバコを燻らせる。
俺は固まりながら二人の様子を眺めた。
「あぁ待って!タローちゃん今助けてあげるからね!」
「あれだけ勉強したのに…母さんに怒られる……。」
二人は真剣だった。
俺は仕方なく財布から100円を取り出して的屋に渡すと、金と引き換えに5本のポイが渡された。
こんな薄い膜では到底泳ぐ『俺』を持ち上げることはできないだろう。
現に、隣の二人の足元にも穴の空いたポイが何本も転がっている。
試しに一回やってみると、やはりすぐにポイは破れた。
「無理ですよ、こんな薄くちゃ絶対取れない。」
俺は的屋に文句を言ったが、的屋は新聞を広げてしまい全く聞く耳を持たない。
クソッと内心悪態をつき、どうにか残りのポイで『俺』を掬おうとする。
何やってんだ、俺は。
***
「──もう一回、お願いします……。」
俺は何十回目かのやり取りを的屋とする。
無理、絶対無理だ。
どれだけポイの端を使おうとも、手首を素早く動かそうとも、全く『俺』は取れない。
絶望している俺とは対照的に、喜びに満ちた声が聞こえた。
「タローちゃん!やった!掬えたわ!!」
興奮した婦人の手の中にある水の入った小さな器に、小さな犬が入っていた。
すると犬はみるみる大きくなり、婦人に飛びつく。
「タローちゃん、ごめんね、ごめんね。
あんなに苦しい思いさせちゃって、看取ってあげられなくて本当にごめんね。」
婦人は犬を愛おしそうに抱きしめ、何度も謝罪した。
そして的屋に一礼すると、犬を抱えたまま霧の向こうへ去って行った。
俺と学生は視線を交わす。
マジで取れるんですね、と目で会話をして再び大きな水槽に向き合う。
足元にある大量の破れたポイに囲まれて。
***
「…………取れた。」
俺の隣でボソッと呟く声が聞こえた。
あれから何時間経ったのだろう、学生の器の中には100点満点の小さなテストが入っていた。
テストは普通サイズにまで大きくなり学生の手の中に収まる。
「……本当はこのテスト、100点じゃないんです。
5点足りなくて落ちちゃったんです。大学。」
学生は独り言のように話し始めた。
「母さんに失望されたくなくて満点のテストを頑張って掬った筈なんですど、何ででしょうね。全然嬉しくないや。」
学生は緩く笑った。
このテストを持ち帰れば家族関係も良好のままだし、もしかしたら本当に東大に受かってる未来に書き換えられているかもしれない。
しかし次の瞬間、ビリッと紙を破く音が夜に響いた。
ビリビリと何度も破かれ、小さく細かくなった100点のテストの破片が風に舞い上がり、花吹雪のように学生の頭上から降り注いだ。
「え、良いの!?」
俺が焦ると学生は息を吐き、憑き物が落ちたような表情で「良いんです。」と笑った。
これで良かったんです、と。
学生もまた的屋に一礼し、霧の中へと去って行った。
残されたのは、俺だけだ。
***
学生が去ってから随分時間が経ったが、俺は今だに『俺』と格闘していた。
足元に転がる大量のポイは、もはや現代アートのようだ。
諦めたい、諦めよう、もう取れない、絶対無理、でももう一回だけ。
頭の中をぐるぐると回る思考が俺の動きを鈍らせる。段々腹が立ってきた。
「──こんな事して何になるんですか?
これ全部取れたら、誰かがおめでとうって言って俺を救ってくれるんですか?」
イライラした俺は遂に的屋に八つ当たりしてしまった。
すると、「はぁ?」と顔を顰めて的屋はタバコの煙を吐き出す。
「誰かって、誰だよ?」
誰、と言われても俺には思い付かなかった。
神様とか、仏様とか、何かそんな感じのありがたい存在としか。
「お前を救うのは、お前しかいないだろうが。」
あまりの正論に俺は何も言い返せなかった。
俺が、俺を救うのか?
俺は、俺を救えるのか?
「此処はただの『救い屋』だよ。
救われたい奴が訪れる、いや俺は救わないよ?
救うなら自分で自分を救う。
まぁ強制じゃないから諦めても良いし、投げ出しても良い。そいつ次第だ。」
婦人は亡くなった飼い犬に直接謝罪することで後悔する自分の気持ちを救った。
学生は母親への愛憎と大学不合格という現実を受け入れ、虚栄心を捨てることでありのままの自分を救った。
「しかし救われたい奴らはクソ真面目な人間が多いねぇ。もっとズル賢く生きれば良いのに。」
的屋は笑うが、俺には笑い事じゃなかった。
そうだ、こんなに損な性格じゃなければ良かったのに。
小さい頃から何をやっても上手くいかなかった。
学生の頃も“からかって良い対象”として扱われ、イジられた。
就職してからもそうだ。
笑われても蔑まれても馬鹿にされても、傷付いていたのに何も言い返せなかった。
仕舞いには彼女に『真面目過ぎてつまらない。』と言われ浮気されフラれる始末だ。
頑張ってに生きてるだけなのに。
真っ当に生きてるだけなのに。
チクショウ、チクショウ。
助けてくれよ、誰か助けてくれよ。
いや違う。
──俺が助けるんだよ。
目の前に泳ぐ0歳の俺、1歳の俺、2歳の俺……。
総勢31人の『俺』を俺はどうしても救ってやりたくて、足元に転がる破れたポイたちを何枚もかき集めた。
そして重なったポイのフチを使って無理矢理『俺』を乗せ、掬う。
使い物にならなくなったら別のポイを重ねる。
なりふり構わず、何度も、何度も。
最後は水の中に両手を入れて、服も顔も身体もびしょびしょに濡らしながら『俺』を掴んだ。
俺のことをクソ真面目と言うならこれでどうだ。俺ができる精一杯の“ズル”だ。
器に盛られた31人の『俺』を見て的屋は目を丸くしたが、同時に愉快そうに笑った。
「そうそう、自分を救ってやるのにルールも正解もねぇさ。」
確かに最初にポイは渡されたが、それを使わなければならないとは言われてない。
あぁ、何て馬鹿馬鹿しい時間を過ごしたんだ。
俺は脱力して座り込んだが、何故か死にたい気持ちはおさまっていた。
必死に掬い上げた31人の『俺』を無下にしたくない。
大きくなった31人の『俺』は、俺の頭を撫でたり握手したりしながら俺の身体の中にゆっくり入っていった。
「だいすき。」
最後に2歳の『俺』がギュッとしがみついてくれた。
なんだ、可愛いじゃないか、俺。
***
「──帰ります、ありがとうございました。」
俺は的屋に一礼し、屋台に背を向けた。
「あぁ、お疲れさん。またな。」
的屋の声が耳に心地良く響いた。
しかし疲れた。
俺は回らない、しかし何故かスッキリした頭でぼんやり考える。
今の会社はもう辞めよう。
大丈夫、何だってできる。
俺には31人の味方がいるんだ。
霧は、いつの間にか晴れていた。
〈終〉




