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私が産んでない私の子 ~見知らぬ女が旦那の子を妊娠したと言ってきた~  作者: コイル@オタク同僚発売中


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8/10

そこにあった真実

「おかえり」


 家の鍵を開けようと鞄から出すと、目の前でドアが開いた。

 そこに笑顔の凌がいた。先に帰ってきたようで出迎えてくれた。

 いつもなら嬉しいと思うのに心臓がぎゅっと掴まれたように痛む。

 本当に菜々美さんを抱いているのかも知れない。今日だってどこに行ってたんだろう……友だちって誰?

 凌の目をまっすぐ見ることができなくて、靴の置き場を確認するような動きをして視線から逃げつつ、


「ただいま」

「晩ご飯作っておいた。でも彼女が匂いだめだと思って出してない」

「……ありがとう」


 私はその言葉に顔を上げる。

 凌は柔らかく微笑んで私の後ろにいる菜々美さんに、


「匂い大丈夫かな?」

「あっ、はい、今は大丈夫ですけどさっきダメだったので、すぐに部屋に入ります」

「どうぞ」


 そう言って凌は玄関で私たちが入れるように横に移動した。

 菜々美さんは素早く移動して客間に消えた。ドアが閉まる音を確認して凌が私を抱きしめる。


「おかえり。お腹空いた? ご飯食べられる?」

「……ただいま。うん、食べられる」

「和風ハンバーグ作ったんだ。母さんが持たせてくれた」

「あれ? 今日も実家行ったの? 友だちと会うって言ってたのに」

「昨日行ったら『明日持たせるから!』って言われて帰りに寄った。なんか神戸牛の美味しいやつみたいだ」

「へえ。わ、ちゃんとサーモンのサラダ」

「はい手を洗って」


 そう言って凌は私のスプリングコートを受け取ってかけてくれる。

 友だちに会いに行くと聞いていたので落ち着かなくなっていたけど、実家に行っていて、それにお土産も見ると少し安心して洗面所に向かった。

 凌は優しい。はじめて会った時からずっと私を大切にしてくれている。

 料理も好きで一緒に台所に立ってくれるし、土日に私が仕事の時は食事を準備して掃除も洗濯もしてくれる。

 完璧で大好きな旦那さま。この人となら一緒に生きて行ける。

 そう思って結婚した。

 でも……私は自分の心にへばり付いた思考をすべて洗い流すように激しく手に水をかけた。

 笹木さんの目撃情報、菜々美さんの空から舞う黒い葉と、私の首筋に触れた指先。

 凌に聞きたいことがたくさんあるけど、聞いた瞬間に凌の顔を見る自信がない。

 自分で持っている爆弾の処理方法が分からないなら、捨てるべき。

 でも簡単に捨てられないから私のお腹のなかで不透明な爆弾が腐って泥を吐く。

 それを流したくて手を洗うけど、水の勢いに指先が負けて冷えて痛い。

 私は蛇口の水を止めて顔を上げて、顔を上げて鏡に自分を映す。

 ちゃんとして。

 過去は分からない、これから起きることを想像して無駄に心を疲弊させない、事実ベースであることだけを見て、そこから検証する。

 そう自分で決めたんだから、そうして。

 現時点で私情と想像を含まない場合、凌はグレーだ。

 菜々美さんの言い分だけを信じない、凌の言い分だけを信じない、私が信じるべきは事実だけ。

 私は鏡にうつる私を見た。鏡の中の私はまっすぐに私を見ていて自信がありそうに頷いた。

 本当に私の顔はこれだろうか、今本当に鏡の前の私はこんな顔をしているのだろうか。

 不安で不安で今すぐ泣き出しそうなのに、こんな自信ありそうな表情をしているだろうか。

 この鏡だけが違う顔を映しているのではないだろうか。不安になって濡れた指先で鏡の自分に触れる。

 そして自分の頬に触れる。同じ動きをして絶望する。心の中にいる私には出来ないけれど、鏡の前の私なら出来るだろう。


「しっかりして」


 と話しかけた。鏡の中の私はコクンと頷いた。

 私はいつもこうやって自分に話しかけて自分を納得させて自分と対話して結果を残してきた。

 自分の中の自分など、見える自分で納得させられる。

 部屋着に着替えてリビングに戻るともう凌はハンバーグを焼いて準備してくれていた。

 そして私に小さな袋を渡してきた。


「これ、彼女……相川さんに」

「中身は?」

「今日出先で見つけたんだけど、Gパンのお腹の所に使うボタンみたいだ。これがあるとお腹が大きくなっても同じGパンが履けるらしい」

「へえ、便利ね」

「詩織がプレゼントしてあげてくれないか? これも縁だけど、もう会わないと思うから。なにより俺はどうしても優しくできなくて……でもそれを悪いと思ってるんだ」

「わかった。明日一緒に千葉行くからその時に渡すね」


 私がそう言うと凌は振り向いて、


「……一緒に千葉にいくのか?」

「うん。一度市役所行ったんだけど話聞いてもらえなくて大変だったみたい。ほら、弱そうな人には強く来るでしょ? それに体調もまだ悪いし、寮から私物を取りに来いって言われてるの。部屋を決める可能性もあるし、あの状態の菜々美さんひとりで出来る量じゃない。本当なら凌が立ち会ってくれると助かるけど……」


 そう言って私は凌をチラリとみた。凌はものすごく冷たい表情で私を見ていた。

 その表情を見て、私の心は信じられないほど安心して、そんな言葉で凌を試す自分に心底絶望する。

 本当に聞きたいことは聞けないのに、小さな事で反応を見て試してしまう。

 自分の小ささがイヤになり全てを押し流すように椅子に座り、


「でもそれは市役所に対してチート行為に近いわね。職権乱用? だから私がいくわ」

「そうか。じゃあ少しチート……そうだな、電話だけしておくよ。すぐにどこかに入れるように」

「話が楽に進めば早く帰ってこられて楽かも。助かる」

「たしかに申請関係は大変だもんな、わかった。食べよう?」


 そう言って凌は私にご飯を出してくれた。

 一口たべた和風ハンバーグがふわふわで柔らかくてジューシーで、


「玉ねぎが甘い」

「そう、淡路島の玉ねぎがたっぷりらしい」

「美味しいー。あ、これは凌がいつも作ってくれるトマトのスープ?」

「そう、駅前のスーパーで傷んだトマトが安売りしてたから、また作った」

「これ美味しいのよね。いつもありがとう」

「平日は詩織が作ってくれてるし。ちょっと最近出張多かったからもう少し減らして詩織と過ごす時間を増やす。……一緒がいいんだ」


 そう言って凌は私をまっすぐに見た。

 優しくしてもらえて嬉しい。でも鏡の向こうの私がまっすぐに私を見ている。

 美味しいハンバーグと温かいスープを食べているのに、水で押し流しているように指先が水で濡れているように冷たい。






「すいません、水城と申します。リボンマートの寮で……」

「あっ、お話伺ってます。こちらへどうぞ」


 次の日。

 菜々美さんを連れて千葉の市役所に行き、窓口で名を名乗った瞬間に後ろから女性が来て私たちを相談窓口に連れて行ってくれた。

 私の後ろで菜々美さんが、


「……全然対応が違って草」


 と文句を言う。

 前、つわりがきつくなってきた時にここに来たが、順番待ちが発生していた。

 座っていられなくて別の場所にいたいと言ったら「我慢して」と言われた。

 我慢できなくて外にいたら、順番飛ばされていて並び直しがイヤになって帰ったのだと言う。

 正直個別対応が難しいだろうと思うほど混雑していて、窓口で怒鳴っている人の対応に人員が割かれている。私は菜々美さんに向かって、

 

「今回は凌に先に話を通して貰ったし……まあ結局声が大きい人が勝つのよ」

「窓口で歌えば良かったってこと? 私も歌声だけは結構デカいけど?」

「それは普段使えないって井の頭公園で言ってたじゃない」

「それはそう」


 菜々美さんは両肩を上げた。

 相談窓口で市役所の相談員は、現状の把握を始めた。

 まずは仕事。リボンマートで働いていたけれどつわりで働けなくなった。

 その場合リボンマートの寮に居られなくなるのは違法ではなく、最初から規約に書いてあること。

 妊娠後すぐに病院に行って手続きをしているのでサポート対象であること、配偶者はいない。

 親族もひとりもいないことが確認された。順序立ててしっかり枝葉を折るように菜々美さんの孤独が見えてくる。

 本当に誰ひとり、菜々美さんを助けてくれるひとはいない状態だった。

 そして現在の現金は手持ちと銀行口座全部含めて5,000円。カードはすべて凍結されていて使えない。

 財布を全部ひっくり返して中身を一緒に確認する作業が必要で、その丸裸にする行為に少し驚いたけど、きっと正しい。

 そして菜々美さんは保護の対象者としてその場で認められた。

 菜々美さんは散らばった小銭を財布に戻しながら、


「私……最初からそうだって言ったのに。すぐにここに来たのに、気合いなんて無理だよ」

「申し訳ありませんでした」


 職員はそう言ってただ頭を下げた。

 市の職員は常に手一杯だし、騒いでいる人を無視して進めるのは難しい。

 つまり菜々美さんのように声が小さく主張が出来ない人は後回しにされるのだ。

 その場で入れる母子寮を紹介されて菜々美さんは嬉しそうに目を細めた。


「……助かります」

「マンションもアパートもあるんですけど、今は満杯なんです。複数のお子さんがいらっしゃる方を優先に回していて」

「わかります、そうですよね」

「ここは個室ではなく寮なんです。食事も一緒にしてもらうことになりますし、正直……つわりが重い人には推奨しません」


 横から母子寮の紹介ページを見ると、古い旅館を買い取ったような建物で、畳の部屋に二階建てベッドがふたつ入れられていた。

 そこがカーテンで仕切られていて、個人の空間はそこだけのようだ。

 食事は宴会場のような部屋でみんなでするようだ。

 菜々美さんはそれを見て頷いて、


「大丈夫です。部屋から出ません。部屋から出るときはトマトを買う時だけ。そうします」

「本当に簡易的に数日入る場所で長期間いるような場所じゃないんです。個人的には一ヶ月待って頂けたらと思うんですけど、その二週間の場所もなかなか難しくてですね。スーパーで勤務するのが難しい方が入れるかと問われたら、あの個人的には正直厳しいのでは……と思ってるんですよね、ですからあのご自分の状態を見て判断されるほうが良いと思うんですけど……」


 職員が何度も「個人的には」と言っているのを聞くと、上から強く「必ずどこに入れろ」と言われているのを感じる。

 これは凌が頼んだのが逆に力が働いてしまっている。

 私は職員に向かって、


「『個人的には推奨しないような部屋しかない』のね?」

「……そうですね、個人的にはそう思いますが、もちろんご利用者さんのご事情はあります」

「個室で飲食も可能で、トイレも共同なのよね」

「そうです。あと気になるのがこの建物がかなり急坂の上のあることですね。駅からもすごく遠いです。これからお腹が大きくなる妊婦さんには厳しく、個人的にはあと一ヶ月待っていただけたら個室を準備できるんですけど」


 話しながら私は、この人はかなりまともな職員さんな気がしていた。

 確かに突然個室に入れろというのは難しいのだろうか……と思っていたら、横で菜々美さんが私たちの会話を遮るように、


「大丈夫! 私いける。もうどんな部屋でもいいの、眠れればそれでいい」


 菜々美さんは私の横で声を張り上げた。 

 私と職員は菜々美さんを見た。無理だと思うけれど。

 菜々美さんは私を見て、


「大丈夫。もう迷惑かけられない。出るから、大丈夫。ベッドの上で丸まってるから平気。何もしなくていいの、大丈夫だから」

「……そう、ですか……?」

「平気平気。もう荷物取りに行って部屋に行きたい。大丈夫かな?」

「あ、はい。すぐに使えます」

「行こう行こう」


 そう言って菜々美さんは即決した。

 私は菜々美さんに向かって、


「もう少し待ったほうがいいわ。ここに来るまでだって、電車の揺れで吐いて、コロンの匂いでも吐いて、そんな状態じゃ無理よ」

「もう迷惑かけたくないんだよ。大丈夫だから! 次は寮に荷物取りに行けばいい?」


 菜々美さんはそこで書類に名前を書いて指で印鑑を押した。

 そして私と一緒に市役所から出た。

 菜々美さんの足取りが軽く見えて私は追って歩きながら、


「ねえ、無理だと思うけど」

「ずっとつわりがあるわけじゃないし! 坂道なんて歩けば運動だよ。四人部屋ならむしろ助けてくれるから心強いじゃん」

「他人は人を助けたりしない」

「詩織さんはそうじゃなかった。だから私はもう一度人を信じるよ」


 菜々美さんは立ち止まって、私をまっすぐに見て言った。

 違う。こういうことを言いたくないけど、たぶん四人部屋にいる人たちと、私は違う。

 私は仕事上、妊婦を無視できない。私だから菜々美さんに手を差し伸べただけ。

 その人たちと私は違う。でもそれを菜々美さんに伝えるのは違う気がして黙る。

 菜々美さんは市役所から歩いてリボンマートに向かった。






「荷物、ありがとうございます」

「うちも人手不足だからさ、すまないね」

「いえ、わかってます、お世話になりました」


 到着したリボンマートは、駅前から少し入った所にあるスーパーだった。

 店前ののぼりは雨で色あせて、常に特売をアピールして風にそよいでいる。

 その横にはたくさんの自転車が止まっていて、ひっきりなしにお客さんがくる。

 店頭に置かれた商品は、量が多くて安いと一目で分かる。

 どうやら菜々美さんがいたのはリボンマートの経営母体である会社が持っている寮のようで、配送業者の服を着た男性も複数出てきていた。

 女性もリボンマートだけではなく、工場で働いている人も多いようで、作業服の女性も多い。

 対応してくれたリボンマートの店長は、50才前後の男性でめんどくさそうに奥からイケアの大きな袋を持ってきて、


「これ私物だと思われるもの」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ」


 そう言って奥に戻って行った。

 身体に気を付けてねとか、頑張ってねとか、今までありがとうとか、他に何か言うことがあるのでは?

 若干苛立つが、求めすぎなのだろう。それに突然働けなくなった労働者……経営者としては困るのは分かる。

 荷物を受け取っていると、そこに外国人の女性が近付いて来て、


「セブン~~!」

「グエン~~!」


 二人はしっかりと抱擁した。

 グエンと呼ばれた女の子はリボンマートのエプロンをしている。

 菜々美さんをセブンと呼び抱きついたまま、


「大丈夫?!」

「もう平気。近くの市の寮に入ることになったの」

「セブン~~。じゃあまた会える?」

「会える!」

「良かった、仕事戻るね。荷物入れたの私だから間違ってないよ!」

「ありがとう」


 そう言ってグエンと呼ばれた女の子はリボンマートの中に戻って行った。

 菜々美さんはイケアの袋を肩にかけて、


「他の人が荷物出したなら、何か盗まれたかもって思うけど、グエンで良かった」

「友だち?」

「そう! 同時期にここに入って一緒に働いてたの。歌が上手で、ライブにも一緒に出てたよ。ベトナムから逃げて来たの」

「……そう」


 私には知らない世界がここにも広がっていて、私はただ邪魔にならないように立った。

 菜々美さんは地面にイケアの袋を置いて中を確かめはじめた。


「あーー、助かった。充電池。これ買ったばっかだったし! 服も全部ありそう、うん」


 菜々美さんはイケアの袋の中をガサガサと見た。

 それを見ていた私の心臓がバクンと跳ねて、地面に膝をついてその袋の中に手を突っ込む。

 そして取り出してそれを菜々美さんに見せる。


「これは?」

「え?」

「これは?」


 私がそれを持ってまっすぐに菜々美さんを見ると一瞬目をそらして、


「……なんだろうねー。どっかで拾ったかなー?」

「これは、凌のもの。私が凌にプレゼントしたもの」

「見間違えじゃないかな?」


 そう言って菜々美さんは私の手からそれを取ろうとする。

 私は菜々美さんの手からそれを遠ざける。

 菜々美さんの私物の袋の中に入っていた袋……それは凌の電動シェーバーを入れる専用の革袋だ。

 凌はヒゲが濃い。それを気にしてたくさんの電動シェーバーを持っている。

 そしてお気に入りを持ち歩いてるんだけど、袋が全部黒で「何がなんだか分からない」と言っていた。

 だから数年前の誕生日に、私は柔らかい革で電動シェーバーが入る袋をオーダーした。

 私は紐の留め具部分を見た。

 そこには2022.4.30 S to R とハッキリ書いてあった。


「2022年の4月30日、凌の誕生日に詩織から凌へ。そう入れてもらったの。これは間違いなく凌の持ち物。それに凌は常に朝ヒゲをそる。相談するときにこれが必要?」


 私が言うと菜々美さんは膝を抱えて丸くなった状態で私を見て、


「何度も言っている。凌さんは私を抱いたよ。その時に忘れていったものを私がタンポン入れに使っているだけ。サイズがちょうどいいから」


 私と菜々美さんはリボンマートの駐車場で膝をついてイケアの中身を見て、見つめ合った。

 凌は菜々美さんとしている。

 これは黒だ。



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