気がついた気持ち
「ありがとうございました」
「どうもー」
そう軽く言って、ヤマト運輸の人は去っていた。
どうしようもなく重いけれど、薄い封筒を私に渡して。
必ず三人がいるところで受け取り、未開封の状態で三人で見ようと決めていた。
それが一番公平だから。
私は未開封の封筒を台所の机の上に置いた。
まだ菜々美さんが授乳しているので、部屋の片付けを続けて、洗濯が終わったようなのでそれを干し始めた。
朝起きて一度洗濯をして外に干しているが、もうそれだけでは足りず、帰ってきてからもう一度洗い室内に干している。
干しながらチラリとみると、凌は封筒を見ず、ずっとスマホをいじっている。
私は光輝くんの服をパンと叩いて干して、大きく息を吸って、吐き出した。
あそこに結果がある。
「あのー……光輝も抱っこした状態でそっちに行ってよいですか?」
授乳を終えた菜々美さんが客間から顔を出した。
授乳がしやすいように前開きの服を重ねて着ていたが、あまりにも部屋着だったので、もう少し普通の服装に着替えたようだ。
私は洗濯物を干し終えて菜々美さんのほうに行き、
「大丈夫よ。ベビーベッドで泣いちゃったら困るし」
「……はい」
菜々美さんは神妙な面持ちで光輝くんを抱っこしたまま、台所にきた。
凌、私、そして後ろに光輝くんを抱っこした菜々美さん、三人が揃った。
机の真ん中にはDNA検査の結果の紙が入っている。
私は凌を見て、
「私が開いて良い?」
凌は無言で頷いた。
私はその封筒を開く。封筒の中に茶色の封筒が入っていて、中を取り出す。
まず菜々美さんと凌の検査結果であることを確認して中を見る。
そして声に出す。
「DNA鑑定結果報告書。鑑定結果。生物学的父子関係は否定されます」
私が読み上げると凌は「!」と顔を上げた。
私は続ける。
「父権肯定確率0.00%」
私がそう言い切ると凌はバンと両手を机にたたき付けて私を見て、
「やった!! やったやったやった!! ほらみたことか!! ほら、ほらな!! 俺は浮気なんてしてなかった!! ほら、だから言っただろ!!」
「対立遺伝子を保有していないことが確認されたため、父子関係は否定されます。凌は光輝くんの父親ではないわ、違う」
「ほらな!! ほら、ほらな!! だから言ったんだ、だから言ったんだ、それなのに詩織は俺を疑い続けた、俺じゃないって言ってるだろ、俺はこんな女のこと知らない」
凌は試験に合格したように声を上げて手を叩いて喜んだ。
私はどうしようもなく安堵していたが、同時にお腹の中から言葉が抜けるように、
「……やっぱり違ったのね」
私がそう吐き出すように言うと、踊って喜んでいた凌は身体を素早く反転させて私のほうを見た。私は続けて言う。
「……少しでも可能性があると思ったけれど」
数字が嘘つくはずが無い。
凌の精子が妊娠させる力など持っていない。
凌は菜々美さんときっと最低最悪のセックスをしていた。
そんなこと全部分かっていて、それでもどこか、凌の子どもだったら良いと思っていた。
凌の精子にその力が、奇跡が起きたらいいと、心のどこかで思っていたのだと、結果を知って気がついた。
絶対白であってほしい、凌が浮気をした証拠なんて要らない、そう思っていたのに、白とか黒とかではなく、凌に子どもが「できてほしい」……そう願っていた。
それはきっと凌が苦しんでいた姿を見ていたから。
最低で最悪な凌だと分かっていても、救われて欲しいと、奇跡を願っていたと、今はじめて知った。
結果を知って私はどうなるのか自分でも分からなかったけれど、望んでいたのはあれだけ苦しんでいた凌が救われて欲しいという思いだった。
私は静かに、
「やっぱりダメよね、分かってたのに」
私が絞り出すように言うと、横で突然凌が立ち上がって机の上のものをすべて床に叩き落とした。
バリンと何かが割れた音が響いて、物が床に散乱する。
菜々美さんが「!」となり、光輝くんを連れてリビングに逃げ出す。
驚いて凌のほうを見ると、凌は今まで見たことが無いくらい恐ろしい形相で私を見て、
「なんだその顔は」
と吐き捨てる。
怖い。
でも、どこか奇跡を願っていた自分が私にしがみ付いて涙を流す。
「……やっぱりダメで……悲しかったから……」
「だから! なんで悲しいんだよ! なんで白なのに、なんで辛そうなんだよ!! なあちょっとまてよ、めちゃくちゃイライラする。精子がダメで悲しいのは俺なんだよ、俺がイヤなんだよ、なんでお前が全部辛そうで、お前が全部世界で一番不幸みたいな顔してるんだよ、どうして俺の不幸がお前の不幸になってるんだよ!! お前の不幸はそうじゃないだろ、俺の不幸をお前の不幸みたいな顔で泣くな!! 」
「……ごめんなさい」
ごめんなさいじゃないかもしれない。
そもそも全てが間違っている、でもそれ以外なんて言えばいいんだろう。
私がそれ以上何も言えずに顔を背けていると、凌は机の上にあったお茶を思いっきり叩き落として、
「お前のそういうところがイヤなんだよ……! 気を遣った顔して、何でも分かった顔して、何だって私が知っている私が守ってあげる、俺の辛さだって私が全部分かってる、お前は何も何ひとつ分かって無いんだよ、俺の辛さなんてお前は何ひとつ、何も分かって無い、お前はなにひとつ分かって無いんだよ!!」
何一つ分かって無い。
そこまで言われてしまうと、今までの私が全て否定された気がして震える声で、
「……じゃあどうしたら良かったの? 辛そうにしている凌を無視したら良かったの? 精子が無能な旦那なんて捨てたら良かったの? そしたら凌は喜んだの?」
「そんなこと言ってないだろ! 俺にもっと上手に気を遣ってほしかったんだ、俺をもっと大切にっ……俺を……違う、俺は……俺の精子はなんで無能なんだ。なあ……どうして……なあ……どうして……」
そう言って凌はその場に崩れ落ちて、光輝くんを抱っこしている菜々美さんのほうを見て、
「なあ菜々美、ちょっとまってくれよ。どうして俺の子じゃないんだ? なあ、菜々美は俺としかセックスしてない。俺だけが好きだと、私が世界で一番俺を好きだから、私なら妊娠できるって、だからセックスしようって言ったよな、全部中にくれって言ったよな? なああれだけ出して、どうしてダメなんだ。なあ……じゃあちょっとまてよ!! 俺以外の誰と、あの期間にセックスしてたんだよ、なあ!! 俺に抱かれて、俺以外の男ともしてたのか、なあ菜々美、なあ! 誰だよ誰としてたんだ! 誰の子なんだよ?!」
凌はそう言いながら床をズルズルと這っていく。
菜々美さんは光輝くんを抱っこしたまま恐怖で後ずさりをして、そのまま客間に逃げ込んで鍵をかけた。
凌は客間のドアをガンガンと叩きながら、
「なあ、俺と詩織が愛し合ってると知って傷ついただろ?! ショックで聞いてたんだろ?! なあ?! お前何度もドアの前で聞いてたよな? 俺知ってるんだよ! お前は俺に愛されてると思ってたみたいだけど、俺が本当に愛してるのは詩織だけだ。俺が詩織にするセックスをそこで聞いててどうだった? 悲しかっただろ! 俺はお前が傷つきながら聞いてるって気がついてから興奮して興奮して仕方なかったよ! なあ、傷ついたか?!」
そう言って私のほうに戻ってきてDNA鑑定証を見て、
「この紙に誰が父親か書いてないのか? そういう情報は載ってないのか? なあ、俺とあれだけしてて、どうして他の男の子どもを妊娠するんだよ!! なあ、俺の精子に問題が無かったら、俺は最初から詩織を愛せたのに!! どうしてなんだよ!!」
私の前でDNA鑑定書を持って叫ぶ凌は目を血走らせて泣いている。
顔は涙でグチャグチャで、身体中が震えている。
凌はその顔のまま私の方を見て、
「離婚しよう、詩織」
そう全ての言葉を結ぶように言った。そしてそのまま糸が切れたようにズルズルと力なく座り込んだ。私も横に座り、
「離婚しましょう」
と静かに頷いた。
私は凌が机の上から叩き落とした紙の山の中から離婚届けを探して引っ張り出した。
グシャグシャになっているそれを、私は手で必死に伸ばした。
そして床に転がっているペンを引き寄せて凌に見せた。
「私の所はもう記入してあるの。あとは凌が書いて」
私がそう言うと、凌は「!」と目を動かして、
「……白だったぞ」
「そうね、でも黒だわ」
「白っ……白だった、なあ詩織、白だった!! なあ、詩織、白だった!! 俺に能力はなかった、俺は無能なんだよっ……! 無能だって言ってるだろ……」
そう言って凌は叫んだ。
私は静かに、
「凌が……好きだったの。凌がすごく痛いのに手術してくれたから、凌が好きで。だから凌の子どもだったらいいと思った。私じゃなくても凌が救われてくれたらそれでいいとそんな風に思ってたこと、私今まで気がつかなかった。私……絶対に浮気してるって、でも白だってそんなこと分かってたけど、それでも凌が救われたら良かったと思ってたの。でも本当に……ねえ……あなた、菜々美さんが横に部屋に居たから私を抱けたのね……本当に、本当に最低だわ、本当に……もう無理だわ」
そう言うと、止めていた涙が一気にあふれ出した。
それを隠すように床に座り込んで、皺だらけになっている離婚届を手で何度も広げて、
「私、凌の事無能だなんて思ったことないよ。それでもね、やっぱり、ちゃんと向き合えば良かったって、何度も、何度も思ってたんだよ。やり直せるかもしれない、出来るって。今まで私が悪かったかな。そんな風に思ってたのに。最低、最低だわ」
「詩織、ごめん、違う、違うんだ、違う俺が悪い、俺が弱い、俺が……」
そう言って凌は私の前で丸まった。
私は泣きながら凌にペンを渡した。凌は泣きながら床で離婚届を書き始めた。
何度も何度も、
「違う……なあ、それは違う……なあ……違うんだよ……」
と呟きながら。
凌は記入を終えてフラフラと家から出て行った。
私は家の鍵を閉めて玄関に座り込んだ。
なにひとつ知りたくなかったけど、全部知りたかった。
これでいい。これが白だけど真っ黒な、私たちにお似合いの離婚。
玄関に座り込んでいると、目の前に菜々美さんが立っていた。
菜々美さんは腕に泣いたままの光輝くんを抱いていて、目を真っ赤にしてボロボロになって泣いている。
そして私に向かって、
「詩織さんは何も悪く無い!!」
その勢いに私は体勢を戻して立ち上がり、
「……そうね」
菜々美さんはまた一歩私に近づいて、
「なにひとつ、全く何も、全然全然悪くないんだから。謝ったら絶対に駄目。悪くないもん、悪いのは私とあの男なんだから!!」
「わかった、わかったから。ね、光輝が泣いてる、びっくりしてる。わかったから」
私は菜々美さんの腕の中で泣いている光輝を受け取って抱きしめた。
光輝は今まで見たことが無いくらい泣いていて、私は光輝を抱きしめてゆっくりとたくさん抱っこした。
後ろで私の何倍も菜々美さんが号泣しながら「これは私が処理しておきますね任せてください!!」と叫び、凌が持って来たケーキを手で掴んでムシャムシャ食べた。
私は横で光輝を抱っこしながら菜々美さんに向かって、
「この部屋に住民票を移しましょう。光輝と菜々美さんが居ないと寂しいの」
と言った。
菜々美さんはケーキを食べながら涙を更に落として何度も何度も頷いた。




