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私が産んでない私の子 ~見知らぬ女が旦那の子を妊娠したと言ってきた~  作者: コイル@オタク同僚発売中


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12/13

こんなの簡単に壊れるんだから

「やばすんぎる」

「すんぎるよ、もう」

「すんぎるすぎて、すんぎるすぎる」

「美穂、言葉が壊れてるわよ」

「なるほど……そういう流れね」


 美穂はフリスクを何粒か口の中に投げ込んでガリガリと噛んだ。

 まわりに雨上がりのようなスッキリとした香りが漂う。

 仕事でちょうど美穂が働いているクリニックに来た。「菜々美さんどうなった?」と軽く聞かれたので「うちで出産まで見る」と言ったら三度見された。

 それはそう。でもうちに来た経緯、今までの流れを話したら「やばすんぎる」を連呼して、ただフリスクを噛んでいる。

 美穂は大学四年間の間ずっと一緒にいた親友で、凌のこともよく知っている。

 美穂はソファーで足を組み、


「……これはほんと私の統計よ、統計で凌さんの話じゃない。私の周りと統計の話をさせて? ……まめな男のほうが浮気するよな」

 私は美穂に向かって苦笑しつつ、

「そのデータは採用するわ。だってまめじゃないと浮気は出来ないもの」

「いやでも凌さんの精子で自然妊娠は……正直雷に打たれるより確率が低いわよ」


 私はその言葉に声をあげて笑ってしまった。

 実は文献を見つけてから私は再度計算したのだ。

 凌の精子の運動率0%。

 それでも万が一、私が見ていない所に動いていた精子が0.1%あったとして。

 凌の精子で自然妊娠する確率は0.000001%以下。

 ちなみに飛行機が墜落して死ぬ確率が0.000009%。

  雷に打たれて死ぬ確率が0.0001%。

 空から雷と飛行機が同時に降ってくるより低い奇跡でしか自然妊娠しない。

 それに美穂は産婦人科医で、大学での専門は男性不妊。

 実は凌が検査した病院は美穂の紹介だったし、美穂は男性不妊に関しては私より詳しい。

 運動率0%で自然妊娠の文献も読んでいたらしいけど「徳川埋蔵金のが見つかるレベルの都市伝説だから無視」と言い切った。

 私は笑いながら、


「江戸末期、幕府は借金まみれだったでしょうが。埋蔵金どこにあるのよ」

「こんなことに真面目に返してくれる詩織だからこそ、DNA検査を待つことにしたのね」


 そう言って美穂はフリスクを口に投げ込んだ。

 私は感情に振り回されるのが何より嫌いだ。

 私の両親は開業医だ。中規模の病院を経営していて、そこを私が継ぐ……小さいころからそれが当たり前だとして育てられた。

 母親が気に入ることをすると褒められて、気に食わないことをすると無視された。

 私は母親が気に入るように勉強して、周りの人たちに「母親が褒められるように」動き続けた。

 やがて気がついた。母の機嫌が一番良くなるのは、母の母……祖母に気に入られるような動きをした時だと。

 結局母親は「私のため」と言いつつ、すべて自分の評価のために私を育てていたのだ。それに気がついて母親に褒められるなら……と頑張ってきた最後の気持ちも折れた。私はずっと母親のパーツのひとつでしか無かったのだ。

 同時に医者になりたい気持ちがないことに気がつき、大学進学のタイミングで家を出た。

 私は私の意志を、私以外の何かで濁らせたりしない。

 髪の毛を耳にかけて、


「結果だけ見るわ。新品の服だって叩いたら埃は出る」

「所詮布に付いた静電気だからね」


 そう言って美穂はポケットにフリスクを投げ込み、


「んで菜々美さんは千葉で産むの?」

「それを頼みたくて。妊娠中期からの病院変更はリスクだと知ってるけど、ここで生ませて貰えないかな。千葉の病院まで40分かかる」

「ギリいけるけど、うち高いわよ。詩織が出すの?」

「出すよ。だって逃げられたくないもん。私と凌の未来を握ってるたったひとつの証拠よ」


 私がそう言うと美穂は呆れた風船のように息を吐きながら、


「がっつり浮気の証拠出てきても、子どもが白なら結婚継続するの?」

「ここまで大事になった今、どこからそんな証拠が出てくるのよ。監視カメラの映像だって消えてるし物証もない。確証を得る方法が他にないから結果を見るのよ」

「ご飯食べてないのにうんこするみたいな話に聞こえる」

「汚い例えで最低ね」


 笑いながら話していたら、後ろから声をかけられた。


「美穂先生!」

「渡辺さん。検査おつかれさま」

「子宮動脈のPIは基準範囲内だって言われました。今の所抵抗も問題なし」

「教えてくれてありがとう、気を付けて帰ってね」

「はい!」


 そう言って渡辺さんと呼ばれた女性は美穂に笑顔を見せて、ゆっくりと歩いてクリニックを出て行った。

 私は横に立ってその会話を聞いていた。

 今、渡辺さんと呼ばれた女性……一ヶ月前にうちで見ていた斉藤さんだった。

 うちのクリニックでも後半は渡辺という苗字だったが、新しい保険証が間に合わず、最後まで斉藤さんだった。

 彼女は一度目は化学流産、二度目は胎嚢確認後に心拍確認出来ず、三度目は心拍確認後に初期流産……そして四度目の妊娠前に離婚していた。

 大変だと思うけど、現在……たぶん15週以降だろう……妊娠継続していることにどうしようもなく安堵している。

 うちのクリニックは患者と胚培養士は接触しない。だから患者は私たちを知らないが、私たちは患者のその後を気にしている。

 クリニックを変えたらそこまでは追えないけど、それでも自分が関わった患者の結果は、どうしても気になる。

 特に渡辺さんは、一度目から四度目まで、私が受精卵を見ているので……妊娠継続は心底嬉しい。

 ただ……不妊治療中に離婚に至る夫婦はとても多い。

 私もこんな仕事をしているのに、凌と治療スケジュールの話をするのは心底辛かった。

 積極的に治療の話をする……それはすなわち凌を責めているようで、私はそれが一番辛かった。

 裸になって言葉を投げつけて、それでも一緒に生きたいと強く決める必要があり、お互いに強度が高いメンタルが必要となる。

 それを私自身も知っているから患者に寄り添える……そんな傲慢なことは思わない。

 私と世界が同じでたまるか。

 ただ難しい、それだけは分かる。

 努力してその先に、望む世界をその手に入れられると良いと思う。

 私は美穂と話し終えてその場を離れた。






 マンションに向かって歩いていると、どこからか雨がトタンに落ちて響くような音が聞こえてきた。

 でもここはマンションに囲まれた通路で、トタンのようなものは無い。

 不思議に思いながらマンションのほうに歩いて行くと、その音は反射して響いてきているのだと気がついた。

 遠くから流れてきて、マンションの壁に当たり、跳ねて通路を踊るように抜けて行く。

 それがトタンに落ちた雨音のように響いている。

 そして目の前に小さな雨粒……違う……紫色に光る小さなシャボン玉が見えた。

 シャボン玉が音を運んでいる気がして、私はそれを追ってゆっくりと通路を歩くと、角を曲がった先から音が顔を出した。

 シャボン玉に包まれた先にいたのは、楽しそうに歌っている菜々美さんだった。

 そして私を見てふわりと笑顔を見せる。


「おかえりなさい、詩織さん! 待ってたの」

「シャボン玉?」


 菜々美さんは歌って、その間にシャボン玉をして遊んでいた。

 私が聞くと頷いてぷうう……と膨らませて空に舞わせた。

 夕方すぎ、亜麻色の空に残った太陽の光を無理矢理集めるように光ながら昇り、そのシャボン玉はパチンと消えた。

 菜々美さんは夕方に似合わない真緑の棒を見せて、


「そこの小学生たちがくれたの。余ったからあげるって」

 そう言うと、横で遊んでた小学生たちが三人きて、

「お姉さんが歌ってくれたから、お礼にあげたの。すんごい上手にワールドイズマイン歌ってくれた!」

「ワールドイズマイン?」

「ボカロ!」


 そう言って小学生三人は楽しそうに歌い出した。

 全然知らない曲。そう思っていたら、横にいた菜々美さんが小指で子どもたちの声を引っ張り上げて、そのまま腕で掴み、ものすごい早口で歌いはじめた。

 横に小学生三人が立ってコーラスみたいなものを始める。

 歌はサビにさしかかったのか、菜々美さんは周りの空気をすべて吸い込んで、それを自分の中に飲み込んで身体をスピーカーにするように声を響かせた。

 伸ばした指先から、金色に光る髪の毛から、菜々美さん自体が歌のようで、目が離せない。

 すごい。

 すごいけれど……この曲は歌うように作られている曲なのだろうか。

 話し言葉と歌詞が同居するような居心地の悪さと、だからこそ伝えられる情報の多さが若い子を引きつけるんだろう。

 今の子たちはとにかく密度が濃い情報を好む。普通の曲では満足できなくなった結果の産物か。

 菜々美さんは私の分析を一瞬でぶち壊すような高音を響かせた。

 背筋をぞくりと音が走り抜ける。

 伴奏もない、ただの歌声なのに目が離せない。


「……すごいわね」


 歌い終わった菜々美さんに私は普通に拍手をした。

 私が拍手していると菜々美さんが駆け寄ってきて、


「上手ですか?!」


 と目を輝かせて私を見ている。

 それはうまれてはじめて取った100点のテストをお母さんに見せるような表情で。

 私はそれが可愛く思えてしまい、昔読んだ『子どもの褒め方』を思い出しつつ、


「まず声の大きさに驚いたわ。そんなに細いのによく出せるわね。それに声質、甘くて強くて真っ直ぐ。聞いていて気持ち良くなったわ」

「! 嬉しいですっ!」


 そう言って菜々美さんは顔全体が蕩けるような笑顔を見せた。

 子どもを褒めるときは「上手」だけじゃなくて細かく、そしてこっちがどう思ったかを付け加えるって書いてあったからそうしたけど合ってたみたいで良かった。

 菜々美さんは鼻歌を歌いながら左右の小学生に丁寧にお辞儀をしてベンチ周りを片付けはじめた。

 思いがけず歌が聴けて楽しかったけど、どうしてこんなところにいたんだろう。

 私は片付けを手伝いつつ……ひょっとして……と気がついた。


「……菜々美さん、私がいないと部屋にいにくい?」

「これで凌さんを責めないでほしいです。まずそれを前提条件にして。トマト買いに出て戻ったら部屋の鍵が閉まってて。換気扇が回ってたから凌さんはいるみたいだけど……チャイム鳴らす勇気がなくて、ここで座ってたらいつの間にかライブしてた」

「お姉ちゃんまたねー! 明日もいる?」


 菜々美さんとベンチを片付けていたら、さっき一緒に歌っていた小学生の子が菜々美さんの横に来た。

 菜々美さんは、


「たぶんいる!」

「じゃあまた一緒に歌おうね。初音ミクならなんでもいけるの?!」

「任せてよ」

「楽しみ! まったねー! お仕事のお姉さんもおっつかれー!」

 

 そう言って小学生の女の子たちはマンション内に戻って行った。

 お仕事のお姉さん……私かな。私も軽く女の子に向かって頭を下げた。

 うちのマンションは二人暮らし用だけど、同じ敷地内にファミリータイプがあり子どももたくさん住んでいるけど、こんな風に話しかけられたのははじめてだ。なんだか心がくすぐったくて……それでも角が取れるような丸い気持ちになる。 

 私と菜々美さんは部屋に入った。

 そこには凌がいた。


「おかえり」

「ただいま。今日も早いのね」

「詩織と過ごしたくて。その気になったら早く帰れるって今更気がついた」


 そう、と答えながら心のなかで、今まではその気にならなかったのね、思ってしまう自分がいる。

 そしてそんな風に凌の嫌いな所を見つけて、今から責めても良いと決めた自分を少し嫌う。

 私はトマトを冷蔵庫に入れて、キーボックスから自宅のスペアキーを出して、


「家の鍵を一本菜々美さんに渡すわね」


 私がそう言うと凌は私から視線を外して、


「……本当に大丈夫なのか。他人にそんな風に家の鍵を渡して。信用できないだろう」

「我が家の貴重品はすべて金庫に入ってるじゃない。それに盗んでお金になる貴金属も全て。問題ないわ」

「そうじゃなくて」

「他に何が心配なの? ほらみて、菜々美さんはもう部屋に直行して、リビングに数秒しかいない。それでも?」


 凌はふてくされて黙ったまま私を見ない。

 ダメだ。私は凌の頬を両手で包み、私のほうを向かせる。


「ケンカするのも無視するのも逃げるのも簡単だよ。今までは私もここで逃げてた。でももう逃げたくない。凌と夫婦だから」

「……詩織。夫婦したいからこそ早く帰ってきてる。あの女が邪魔なんだよ」

「菜々美さんがきたから、私は逃げるのを辞めたんだよ。凌に向き合おうと決めたの。そう決めて努力するの、してなかったから」

「……なるほど」

「努力しよう。このままケンカするのは簡単だよ。そのまま破壊して離婚するのも簡単だよ。凌は……私が好き?」

「好きだ、世界で一番好きだ」

「あのね、私もなの。だからDNA検査が出るまで壊さない努力をしようよ」

「……分かってる。分かってるよ。はあ、今日はエビフライだ」

「エビフライ大好き。タルタルソースは?」

「もちろん買ってきた」


 そう言って凌は私を抱き寄せて甘くキスをした。

 私はずっと感情で決断が濁ることから逃げて来た。

 これが濁ってないと言えるのだろうか。それでも凌が好きで、結果を知りたい。

 白で黒でグレーで思考が濁ってきて答えが見えなくなっていく。

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