「血の杯」
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夜の帳が戦場を包む。遠くで火の手が上がり、討ち取られた武者たちの呻き声がかすかに響いていた。織田信長は陣営の中央、豪奢な毛氈の上に座し、手元には異様な器があった。それは、討ち取った敵の頭蓋骨を削り、漆を塗って仕上げた杯だった。
家臣たちは誰も口を開かず、信長が静かに杯を掲げるのを見守っていた。
「……敵の血が流れ、大地が潤う。それを見ずして何が戦か」
信長は笑い、杯に酒を注ぐ。朱色の液体が骨の窪みを伝い、底に満ちると、まるで血のように妖しく輝いた。信長はゆっくりと杯を口に運び、一口、そしてまた一口と飲んだ。
「はは、良い味よ。この骨の持ち主も、まさかこうして俺の手の中で役立つとは思わなかっただろう」
彼は杯を振ると、滴が地面にこぼれた。家臣たちは息を呑むが、誰一人として口を挟むことはなかった。これこそが信長——冷徹なる覇者の姿だった。
そのとき、陣の外で何者かの気配がした。梨鍋遜大は素早く立ち上がり、太刀に手をかける。だが、闇から現れた影を見た瞬間、彼は目を見開いた。
「おぬし……まさか!」
月明かりに照らされたその人物は、かつて遜大が別れを告げた女だった。忍び装束に身を包んだ彼女——綾那。彼の幼馴染であり、今はどこかの勢力に仕えるくのいちだった。
「遜大……久しいな」
彼女の声は冷たく、それでいてどこか懐かしい響きを帯びていた。
「なぜここに?」
「おぬしが危険だと知ってな」
その言葉を終えるか終えないかのうちに、陣の奥から数人の影が躍り出た。刺客だ。彼らは無言で刃を抜き、信長へと殺到する。
だが、綾那は疾風のごとく動いた。一瞬のうちに敵の背後へ回り込み、鋭い短刀で喉を切り裂く。悲鳴すらあげる間もなく、一人、また一人と倒れていく。
遜大もすぐさま刀を抜き、残る刺客を斬り伏せた。血飛沫が宙を舞い、夜風に溶けていく。
静寂が戻ったころ、信長はゆっくりと立ち上がり、残された杯を拾い上げた。
「面白い……まさか、刺客より先に救い手が現れるとはな」
信長は杯を綾那に向け、ニヤリと笑う。
「名は?」
「……綾那」
「ふむ、良い腕だ。ぽんた、お前には惜しい女だな」
遜大は苦笑しながらも、胸の奥に去来する感情を押し殺した。
信長は再び杯を掲げ、酒を一気に飲み干した。
「戦は続くぞ。お前たちも覚悟しておけ」
その言葉とともに、遠くで再び鬨の声が上がった。新たな戦の幕開けを告げるように——。
(続く)
次回を楽しみ