もう一つの日ノ本 ― 義を継ぐ者たち ―
戦国の世は、勝者の影にこそ真の義が宿る――。
『もう一つの長篠』、その幕間として描かれるのが本篇「灰の国にて」である。
長篠の戦いで名を馳せた奥平信昌。しかし彼の胸に残ったのは、勝利の誇りではなく、無数の亡骸の記憶だった。
武田を討った後も続く、飢えと悲しみの日々。
人を生かす義とは何か。戦の果てに何を守るのか。
本作は、灰に覆われた国でなお人の道を探す者たちの記録である。
第一部 灰の国にて
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甲斐の山々を越えた西の果て、小幡の里。
長篠の戦いから幾月。あの血風の記憶が、なお人々の夢を汚していた。
焼けた野はまだ黒く、風が吹くたびに灰が舞う。
それでも人々は鍬を振るい、黙々と生きようとしていた。
戦が終われば、また始まる。生きるための戦が――。
奥平信昌は、崩れかけた土塀の上から、沈む陽を見つめていた。
頬を打つ風に、焦げた木と血の匂いが混ざっている。
あの日、長篠の地で見た死の色が、今も瞼の裏から消えぬ。
「殿、また避難民が――」
背後から声をかけたのは、家老の山中宗衛門であった。
顔の半分を火傷に覆われながらも、今もなお主君に忠義を尽くす男だ。
信昌は振り返り、静かにうなずく。
「受け入れよ。だが、飢えをしのぐ穀も限られている。冬までは……もたぬかもしれん。」
宗衛門は、唇をかみ締めるようにして答えた。
「それでも、見捨てることはできませぬ。殿も、それをお望みではないでしょう。」
信昌は目を閉じた。
遠く、かつての主・今川義元の最期を思い出す。
“義は、剣の先ではなく、人の心に宿る”――あの遺言めいた言葉を。
「……そうだな。見捨てることは、俺にはできぬ。」
それが奥平信昌という男の“弱さ”であり、“義”でもあった。
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夜が来た。
冷たい霧が山から降り、小幡の村を包む。
飢えた犬の遠吠えが響く中、信昌は灯火を掲げ、避難民の中を歩いていた。
囲炉裏のそばで、母が子に粥を分け与えている。
その粥は、麦粒が数粒浮くだけのものだった。
「殿さま……ありがとうございます」と、母が涙ぐむ。
信昌は首を振った。
「礼を言うのは、まだ早い。わしらがこの冬を越せてこそ、恩も義も語れる。」
彼の言葉に、宗衛門が静かに笑った。
「相変わらずお優しい。ですが、民はその優しさに救われております。」
「救いか……」
信昌は小さくつぶやいた。
「戦で死んだ者には、もう救いはない。残された者が生きねば、意味がない。」
その声には、どこか痛みが混じっていた。
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翌朝。
山々の向こうから、甲斐の残党が接近しているという報せが届く。
かつて武田の旗を掲げた者たちが、飢えをしのぐために略奪を始めたのだ。
「殿、我らも備えねば!」と宗衛門が叫ぶ。
信昌は静かに頷いた。
「剣を取るのはやむを得ぬ。だが、憎しみのためではなく、生きるために振るえ。」
その声は、戦国の修羅を越えた者の静けさを帯びていた。
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その夜、小幡城の一隅で、若き侍たちが剣を磨いていた。
彼らは皆、遜大という一人の師の弟子でもあった。
戦を嫌いながらも、義のために刃を持つ――その精神を受け継いでいる。
「遜大殿がここにおられたら、なんと言うでしょうね」
若者の一人がつぶやくと、信昌は小さく微笑んだ。
「“人を斬るより、人を活かせ”――きっとそう言うだろう。」
焚火が、彼らの顔を赤く照らした。
炎の揺らめきの中、信昌はかつての友・遜大の背を思い出す。
武に生き、義に殉じたあの男の声が、今も胸の奥で響いている。
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やがて、冬が来た。
雪が降り、飢えた民が次々と倒れる。
しかし、小幡の者たちは誰も諦めなかった。
信昌は自ら山に入り、獣を追った。
血にまみれながらも、村に肉を運ぶ。
その姿を見て、子どもたちは“灰の国の殿”と呼んだ。
ある夜、宗衛門がそっと尋ねた。
「殿……義とは、なんでございましょう。」
信昌は焚火を見つめたまま答えた。
「義とは……己を責め続けることだ。」
宗衛門が目を見張る。
「人を責めず、運を責めず、己を責める。
それでも立ち上がる。
それが、“義”の形なのだと思う。」
外では雪が静かに降り積もっていた。
小幡の里は、白い闇に包まれながらも、確かに生きていた。
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数年後――。
春の風が再び山を渡るころ、小幡の村には緑が戻った。
民の笑い声が絶えず、子どもたちは剣の稽古をしている。
その剣には、誰をも傷つけぬよう祈りが込められていた。
信昌は丘の上で、遠くを見ていた。
あの日の灰は、もう風に散っていた。
「遜大よ……見ておるか。おぬしの“義”は、ここに息づいておるぞ。」
風が頬を撫でた。
それはまるで、かつての友が微笑んでいるかのようであった。
灰の降る小幡の里で、信昌が見出したもの――それは“義は人に宿る”という静かな真理だった。
剣に生き、剣を越えた男・遜大の精神は、信昌の中で生き続ける。
そしてその火は、弟子たちへ、民へ、子どもたちへと受け継がれていく。
『もう一つの長篠』という名の通り、この物語は「もしも」というもう一つの史である。
だが、その“もしも”の中にこそ、我らの心が求める真実が潜んでいるのかもしれない。




