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もう一つの〇〇  作者: マーたん


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60/61

➕②完

完結

長篠決戦


天正三年五月二十一日、長篠の地には炎と血の匂いが立ち込めていた。

織田・徳川連合と、甲斐の武田勢――。二万を超える兵が、馬防柵を挟んで相対する。


奥平信昌は鳥居強右衛門の報せを胸に刻み、必死の面持ちで兵を鼓舞していた。

「ここを守り抜けば、三河は救われる! おのおの、心を一つにせよ!」


その背後には、小幡藩から駆け付けた兵らの姿もあった。小藩ゆえ大軍を擁することはできない。だが彼らの士気は高く、まるで信昌の若き意志に呼応するように奮い立っていた。


一方、戦場を俯瞰する丘の上に、梨鍋遜大の影があった。

彼は織田にも徳川にも仕えぬ孤高の武人であったが、この日だけは歴史の奔流から目を逸らすことができなかった。


「義は戦だけで貫けるものではない。だが、戦の只中でしか見えぬ義もある」

遜大の眼は、炎に包まれた戦場の彼方にある信昌を射抜いていた。



信義と裏切りのはざまで


武田の突撃は苛烈であった。騎馬武者たちが馬防柵を破ろうと雪崩れ込み、鉄砲三千挺の火蓋が切られる。雷鳴のごとき銃声が響き渡り、戦場は阿鼻叫喚の地獄と化した。


信昌は何度も討ち死に覚悟を決めた。だが兵たちが彼を支え、鳥居の魂が背を押していた。

「我らの血を無駄にするな!」


その頃、遜大の前に小幡藩の一武将が駆け寄った。

「遜大殿、この戦をただ見ているおつもりか?」

遜大は無言のまま天を仰ぐ。彼の胸には一つの葛藤が渦巻いていた。


かつて今川に仕えた日々。織田との桶狭間。

そして裏切りの連鎖の中で見失った「義」。

――今、信昌が命を賭して守ろうとするものは、己がかつて失ったはずの光なのかもしれぬ。


「……ならば、この老いぼれ、せめて最後の矢となろう」


遜大は剣を抜き、風にさらされた。



決着


戦は終わりを告げた。武田の猛将・山県昌景、内藤昌豊らが討ち死にし、勝敗は決した。

長篠の戦は織田・徳川の大勝として後世に語り継がれる。


しかし、その戦場の片隅で、遜大は深手を負いながらも生き残っていた。

彼は小幡藩の兵とともに撤退し、信昌の下へと歩み寄る。


「奥平殿……見事な働きであった」

「遜大殿……あなたがいてくださったからこそ、我らは立ち続けられました」


二人は互いに深く頭を下げた。

そこには主従の絆ではなく、義を求め続けた者同士の、清冽な敬意があった。



遜大の晩年


長篠の後、遜大は戦場から遠ざかった。

小幡藩の客将として若き武士を教え、剣と共に「義とは何か」を語り続けた。


弟子のひとりが問うた。

「師よ、義とは結局、戦に勝つことなのでしょうか?」

遜大は静かに笑った。

「勝つことに義はない。義に殉じてこそ、人は勝ちを得るのだ」


やがて病に伏した晩年、遜大は長篠の夜を思い出していた。

銃声と叫声の中、信昌が必死に剣を振るう姿。

己が信じた最後の光を、確かに見たのだと。


その微笑みを最後に、遜大は静かに息を引き取った。

『もう一つの長篠』は、歴史の中で光を浴びることの少なかった小藩や孤高の武士に焦点を当てた物語です。

奥平信昌の忠義と、梨鍋遜大の晩年の義の探求は、戦国の荒波に呑まれながらもなお輝きを放つ人間の姿でした。


勝者と敗者、忠義と裏切り、栄光と孤独。

そのすべてを呑み込みながらも、人は「義とは何か」を問い続ける。

その問いこそが、今を生きる私たちにも響き続けているのかもしれません。

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