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歴史に名を刻む「長篠の戦い」。
織田信長と徳川家康が、鉄砲三千挺で武田勝頼の騎馬軍団を撃破した戦いとして知られますが――。
その影には、砦を守り、命を賭して耐え抜いた者たちの物語がありました。
本作『もう一つの長篠』では、奥平信昌という若き武将の視点から、この合戦を描き直します。
父祖の忠義、家名を守る誇り、そして裏切りと呼ばれた選択。
また、小幡藩に連なる者たちの静かな決意も、もう一つの「義」として物語に刻み込みました。
戦の栄光の陰で散った名もなき者たち、そして未来を信じた者たちの声なき声に、少しでも耳を傾けていただければ幸いです。
──奥平の旗、烈火を貫く──
風が、鳶色の大地を撫でていた。
天正三年、長篠――その戦の名は、歴史に語り継がれようとも、勝者の側の記録にすぎぬ。
ここにもう一つの「長篠」があった。旗印は「立ち枯れ松に三つ星」。奥平家、信昌――。
「殿、武田の旗が山間より動き出しました!」
狼煙が一筋、奥平の砦を染めるように上がる。鳥居強右衛門が汗を伝い、息を切らしながら駆け上がるその姿は、まるで一陣の風であった。
「武田の動き、読めぬな……が、徳川と織田は必ず来る。ここで耐えきれば、道は拓ける」
奥平信昌はまだ二十歳。だがその双眸は、老将さえたじろぐ鋭さを帯びていた。
──信玄なき今、武田の矢面に立つは勝頼。
その勝頼に、かつて仕えし小幡昌盛らが加わる中、信昌の胸に去来するは父・貞能の苦悩と忠節、そして自らの「裏切り」ともされる決断の重さだった。
「義は、血ではない。義は、民を守るためにある」
お読みいただき、ありがとうございました。
「長篠の戦い」といえば、どうしても織田・徳川・武田という三巨頭の名が前面に出ます。
けれど、その間に挟まれ、忠義と現実の狭間で揺れながら、砦を守った奥平信昌のような若き武将、
そして小幡藩のように地味ながら確かな存在感を放つ地方勢力にも、確かに歴史の光は射していました。
今回は史実に基づきつつも、「もう一つの歴史」があったなら……という仮想の視点から執筆しました。
もしどこか一行でも、あなたの心に残る場面があったなら、それはこの上ない喜びです。
次回作では、奥平信昌のその後、小幡藩の誕生に至る激動の道のり、
あるいは「小幡遜大」ら架空の人物の子孫たちが再び歴史の舞台に立つ姿を描ければと思っております。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




