表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう一つの〇〇  作者: マーたん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/65

『影と策謀 ―佐久間信盛と明智光秀、交わらぬ忠義―』

佐久間信盛――



天正三年、京・本能寺の冬は、例年にないほど冷え込んでいた。


佐久間信盛は、庭に咲き残った白梅をじっと見ていた。

その眼差しには、かつて桶狭間で見た霧の白さが重なっていた。

彼はすでに織田信長に追放され、京郊外での隠居を余儀なくされていた。


「……殿は、相変わらずすべてを呑み込み、そして棄てるか」


声に出さず、唇だけが動いた。


そんなある日、一通の文が届いた。差出人は、明智光秀。

今、信長の政権で重きを成す智将である。


『佐久間殿。かつて殿を支えたその眼で、今の政をどうご覧か。

政治とは、ただ戦に勝つだけではなし得ませぬ。

機会あらば、一献交わしとうございます。』


文面は礼儀正しく、しかしどこか挑むような匂いがあった。

信盛は、ただ一言だけ返した。


『酒などより、影のほうが深く酌み交わせましょう。』



日を改めて、二人は洛外の古寺で対面した。

信盛は灰色の羽織をまとい、光秀は紫の直垂に控えめな裃姿であった。


「して、なぜ私に会おうと?」


信盛の問いに、光秀は一瞬だけ笑みを浮かべる。

だがその目は、冬の夜のように冷えていた。


「殿の下にて忠義を尽くした者が、皆散っていく。

佐久間殿。あなたはそれでも、信長様を憎まぬのか?」


「……憎まぬ。あの御方は、天を目指していた。それだけのことだ」


信盛は茶を一口すすった。

「私は地を這い、殿の背を守った。だが殿は、誰の背も見てなどおらん」


光秀は目を伏せた。


「ならば……あなたは、殿の行く末に疑念を抱かぬのか?

朝廷を軽んじ、仏を焼き払い、民に重税を課す。

あなたの“忠義”とは、そのような暴君にも通じるのか?」


その言葉に、信盛はふと立ち上がり、柱を背にした。


「違う。私は“人”に忠を捧いだのではない。“焔”に捧げたのだ。

織田信長という、混沌に差す光。善悪ではない。歴史を燃やす男に――」


光秀は、握りしめた拳を緩めた。


「……なるほど。ならば私は、“火を鎮める者”となろう。

この国を燃やし尽くされる前に、私はその焔を断たねばならぬ」


信盛の目が一瞬、鋭く細められる。


「その覚悟があるのなら、もう語る言葉はない。

お前の“策謀”は、私の“影”とは交わらぬ」


光秀は静かに立ち上がった。


「交わらずとも、共に信長を見上げた者として、せめて――」


「誤解するな、明智殿。お前は“見上げた”のではない。

“見限った”のだ。それが、お前の忠義の限界よ」


光秀の瞳に、ほんの一瞬、怒りと痛みがよぎる。

だが、すぐに消えた。


「いずれ、歴史が我らを裁くでしょう」


「いや。歴史など、風に書かれた砂文字よ。

殿がすべてを燃やし尽くせば、何も残らぬ」


二人の男は、互いに一礼し、何も言わずに寺を去った。

その背を、冬の風が冷たく吹き抜けていった。



天正十年六月、本能寺の変。

織田信長、討死。


そして同月、山崎の戦にて、明智光秀、敗死。


佐久間信盛は、その報を京の寺で静かに受け取った。

ただ、誰にも聞かれぬ声で、こう呟いた。


「影も、策も、焼けたか。――残ったのは灰と、夢の残り火のみ」


白梅が、再び風に揺れていた。



(了)







『灰の霧に、名もなく ―佐久間信盛・桶狭間回想録―』



天正十年六月。

本能寺は炎に包まれ、天下人・織田信長は討たれた。

その報せを受け、山科の一角に隠棲していた佐久間信盛は、静かに箪笥の引き出しから、古びた黒革の太刀袋を取り出す。


中に納められていたのは――


「……あのときの、焔か」


彼の声は低く、湿っていた。


袋から現れたのは、かつての戦、桶狭間の戦いで佩いていた脇差。

傷が深く、刃の冴えはもはやない。だが、その切先には忘れえぬものが刻まれていた。



――永禄三年五月十九日。


濃霧が尾張の谷を覆っていた。

織田信長は千余の兵を率い、今川義元の大軍二万五千に挑もうとしていた。


「殿、この策は……」


誰もが唇を噛んだ。

だが信長は、笑っていた。まるで祭りの朝のように、目を輝かせていた。


「戦は“数”ではない。“機”を見よ、信盛」


そう言われた佐久間信盛は、黙って頷いた。


彼に与えられたのは、信長本隊の背後を守る影の部隊。

前へは出ぬ。勝ち名乗りも挙げぬ。

だが、もし伏兵があれば、真っ先に命を散らす――その役だった。


「影の盾、か……我が役目らしいな」


そのとき信盛の隣にいた若き兵が、震える手で握る槍を見せた。

「佐久間様……俺たち、本当に、生きて帰れるんでしょうか」


信盛はただ、柄に巻いた赤い布をそっと見せた。

それは、戦のたびに亡き弟の形見として巻いていたもの。


「帰れるさ。お前たちは、守るべき“背”がある限りな」



やがて、霧の中を駆ける敵の一隊を発見。

今川軍の別働隊――信長の後方を突こうと、動き出していた。


「……来たか」


信盛は、静かに声を上げた。


「構えろ! 殿の背を斬らせるな! 一歩も通すな!!」


地鳴りのような鬨の声が、谷に響く。


剣戟。血。叫び。


信盛の脇差は、三人目の敵兵を斬ったところで刃こぼれを起こした。

だが、なお立ち止まらず、体ごとぶつかり、相手を地に伏せた。


敵の鉄砲隊が火蓋を切ったとき、信盛の部下――あの若き兵が、彼の前に立った。


「佐久間様……俺……!」


叫びは、銃声にかき消された。

若者はその場に崩れ落ち、信盛は何も言えず、ただ手を伸ばした。


「……名を、聞いておけばよかったな」


霧は晴れ始めていた。

その向こうで、織田信長が義元の首を挙げたという報せが、こだました。



――信盛は、静かに脇差の鞘を戻した。


あの日、誰も自分たちの戦を語らなかった。

勝ったのは信長であり、名を挙げたのも信長だった。


だが、信盛はそれでよかった。


「名などいらぬ。あの背を、守れたことが……“忠義”という名の、焔だったのだ」


古びた太刀袋を再び納め、信盛はそのまま座り込んだ。

外は、雨。まるであの日の霧のような、湿った空気が広がっていた。


「殿よ……お前が燃やしたこの国の灰の中に、

我ら“影”の名が、一粒でも残っていれば、それでよい」


佐久間信盛――影の忠臣は、静かに目を閉じた。



(了)




次回も楽しみに

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ