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もう一つの〇〇  作者: マーたん


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52/65

『落日の忠臣 -佐久間信盛、夢の果てに-』

どうする?

……

本文:


天正八年、秋。

京都・山科の隠れ里。

佐久間信盛は、一人静かに庭の枯山水を見つめていた。


かつて尾張の地で、信長に仕えた重臣。

かつて桶狭間で、命をかけて主の背を守った男。

そして今は、織田信長により「忠節なき者」として――追放された、影の者。


「殿……いや、今や“上様”か」


自嘲するように笑い、湯飲みの縁に指をなぞる。

信盛の髪は白くなり、老いた体はすでに剣を握るには不自由になっていた。


だが、あの夜のことだけは、今も鮮明に覚えている。

桶狭間。信長が義元を討ち取った、あの濃霧の中の勝利。

その背を守るために、自らの部隊がどれほどの犠牲を払ったか――誰も語らぬまま、時は流れた。


「武功は語られず、忠義は笑われる。されど、それが戦か……」



ある日、一通の文が届いた。

送り主は、明智光秀――信長の家臣であり、風聞では近ごろ主君と距離ができているとも噂されていた男。


【佐久間殿。貴殿ほどの者が、草に埋もれているのは国の損失。

今一度、剣を取り、語るべきではありませぬか。】


信盛は、文を前に黙した。

剣は、もう握れぬ。

だが、想いは残っていた。


「……信長様は、今も変わらぬのか。名を求め、覇を求め、ただ前を」


彼には分かっていた。

信長は天を目指していた。

だが、その天は、常人の到達できぬ孤高の領域。

故にこそ、彼を支える“影”が必要だった。

――それが、自分だった。



月が昇る晩秋の夜、信盛は灯明をひとつともした。

手紙を返すことはなかった。

ただ静かに、再び筆を取ることもなく、過去に向けて小さく呟いた。


「殿……貴方がもし、我が忠を忘れても。

我は、ただ一度も貴方を疑わなかった」


枯れた手が、古びた太刀の柄に触れる。

それは、信長の命で与えられたもの。

桶狭間の夜、血に濡れたまま持ち帰った、あの剣だった。



天正十年――

本能寺の変。


織田信長、明智光秀の謀反により、非業の死を遂げる。


佐久間信盛は、その報せを山科の庭で静かに聞いたという。


そしてただ一言、こう呟いた。


「ならば、次に忠を捧ぐ者が現れるだろう。

だが、“影”はもういらぬ時代かもしれぬな」


秋風が吹いた。


彼の忠義は、とうに忘れられていた。

だが、信盛の心には、あの日の濃霧と、あの背を守った記憶が今も消えずに残っていた――。



(了)




次回も楽しみに

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