『焔の遺民』
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第一章:王都の残火
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王都の夜。
かつて誇り高く輝いていた白金の塔は、いまや炎に焼かれた傷跡を晒していた。
崩れた石壁、焦げた街路、沈黙する市民たちの影。
戦が終わった後の静けさには、どこか異様な冷たさが漂っていた。
その王都を遠く離れた丘の上。
黒衣を纏う者たちが、焔の名残を見下ろしていた。
「……終わったな」
男の声が、風に溶ける。
彼の名はゼクト=ハーヴィン。
“焔の契約者”と呼ばれた、かつての灰都の民の一人。
その右腕は、人のものではなかった。
焔を強引に取り込んだことで生まれた異形の義手が、微かに赤く脈動している。
彼の背後には、同じく黒衣に身を包んだ者たちが控えていた。
彼らは――焔の遺民。
灰の都が滅びたあの日、生き延びた者たち。
だが彼らは、“焔に選ばれなかった”。
その血は薄く、力は不安定だった。
焔に拒まれた者たちは、都に見捨てられ、地下に追いやられた。
しかし彼らは生き残った。
焔ではなく、“対焔”の術を作り上げ、今に至る。
ゼクトは小さく呟いた。
「明煉が“浄焔”を手にしたか」
傍らの女が、面をつけたまま頷いた。
「確かな情報です。灰の都で眠っていた聖剣が、彼の手によって再び灯りました」
「ならば……我らの“封印の使命”も終わる」
彼の目が細められた。
老いた瞳に宿るのは、怒りではなく、疲労でもなく、ただ――使命の炎。
「焔の継承者が現れたのなら、それが真に正しき焔か……試す時が来たのだ」
沈黙が支配する丘の上に、冷たい風が吹き抜ける。
そして、彼らの黒衣がはためくたびに、いくつもの禍焔の矢が背に光を宿していた。
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同じ夜、王都の外れ。
かつての激戦地の近くに、小さな焚火が灯っていた。
明煉はその火を見つめながら、じっと黙っていた。
「……静かだな」
声をかけたのは、遜大。
太い体に大剣を背負った、明煉の旧友だ。
かつて灰の都で、共に剣を振るった仲間でもある。
「戦が終わったら、もっと騒がしいと思ってたよ。勝利の酒でも振る舞われてさ」
「……勝利じゃない。ただの終わりだ」
明煉は、そうつぶやいた。
彼の手には、銀の剣。
だが今は光っていない。
焔の力は、まだその内部に宿ってはいるものの――明煉の心が、それを受け止めきれていなかった。
「俺が手に入れたのは、“浄焔”……でも、何かが欠けてる気がする」
その言葉に、焔の巫女・柊が歩み寄る。
「それは当然のことよ。焔は、人の心を映す。綺麗なだけの焔など、存在しないわ」
「……綺麗じゃないのか。じゃあ、俺は何のためにこの焔を継いだ?」
明煉の問いに、柊は優しく笑った。
「その答えを探すために、旅をしているのでしょう?」
そして、彼女は一枚の古文書を差し出した。
それは、かつて焔の巫子たちが逃げ延びたという記録。
廃村の名は――カエリの森。
「そこに、“焔の記憶”が眠っているかもしれない。あなたの焔の答えも」
明煉は、焔の静かな鼓動を感じながら、そっと頷いた。
遠く、夜空に揺らめく黒い煙。
その向こうで、黒衣の者たちが目を覚ますことを、彼はまだ知らない。
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つづく▶ 第二章:カエリの森へ
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第二章:カエリの森へ
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辺境地帯「カエリの森」へと続く古道は、朝靄に包まれていた。
明煉たちは、王都を離れ、焔の巫子たちが姿を消したという“廃村”を目指していた。
先頭を歩くのは柊。彼女の手には古文書があり、森の奥に封じられた焔の痕跡が記されている。
「……この道は、地図には残っていない。灰の都が滅んだ後、巫子たちは意図的にこの地を封じたの」
遜大が周囲を警戒しながら口を開いた。
「静かすぎる。鳥の声も、獣の気配もない」
「このあたり、“息をする森”って呼ばれてたらしいわよ。気候や霧が自らを守るように動くって」
燈火が肩越しに囁く。くのいちとしての直感が働いているのか、目つきが鋭くなっていた。
「まるで、来るなって言ってるようだな」
その言葉に、明煉は剣の柄に手を添えた。まだ焔は沈黙している。それでも、心の奥底にかすかな熱があった。
森が深くなるにつれ、霧は濃くなり、空気は異様なほど静まり返っていた。
その時だった。
――ヒュッ。
矢が空を裂く音。
「伏せろ!」
燈火の叫びと同時に、明煉たちは地に身を伏せた。
頭上を、黒い焔を纏った矢が通過する。
「なっ……今の、焔付きの矢か!?」
柊が叫び、遜大がすぐさま大剣を抜く。
「黒焔……!これは“禍焔”の気配だ!」
霧の奥から、足音。低く、重く、静かな足音。
黒衣の影が一人、また一人と現れる。
その姿は、明らかに人間のものでありながら、どこか“焔”と異質な雰囲気をまとっていた。
やがてその中心から、長身の男が歩み出る。
「……我ら焔の遺民は、継承を許さぬ」
ゼクト=ハーヴィン。その右腕は、焔に呑まれた義手。焔の契約者にして、焔を拒まれた者たちの指導者。
「お前たちは……何者だ!」
明煉が叫ぶ。
ゼクトは静かに名乗った。
「我らは“焔に選ばれなかった者”。だが、選ばれなかったからこそ守れるものがある」
そして、彼は印を組んだ。
「“対浄焔結界”、展開」
空間が歪み、霧が凍るように静止する。
次の瞬間、明煉の剣が――光を失った。
「なっ……!?」
「“光”は万能ではない。お前が手にした浄焔は、あまりにも優しすぎる」
ゼクトの目は、かつて選ばれなかった者の痛みを湛えていた。
「焔は、痛みを知らぬ者に継承できぬ。お前の焔は――まだ、甘い」
その言葉に、明煉は歯を食いしばる。
だが、遜大が叫んだ。
「明煉! お前はお前の焔を信じろ!」
「でも、俺の焔は……!」
「だからこそだ! お前は“誰かを選ばない”焔を持ってる!」
遜大の大剣が禍焔の矢を弾き、燈火が森を駆ける。
柊は霧の外から結界を破るために対術を展開する。
戦いが始まった。
明煉は、沈黙の中に立ち尽くしていた。
その時だった。
「……明煉」
耳の奥に、懐かしい声が届く。
「“選ばれなかった者”の痛みを、あなたは知っているはず」
それは、亡き母の声だった。
彼女が病に伏し、灰の都に見捨てられたあの日。明煉は、なにもできなかった。
「俺は……!」
彼は剣を掲げる。
焔は戻らぬ。だが、剣の先に――一滴、涙が落ちた。
その瞬間。
剣が、再び光を帯びる。
いや、それは光だけではなかった。
「……この焔……!?」
「禍焔と……浄焔……まさか……“共焔”……!?」
ゼクトが目を見開く。
双色の焔が、明煉の剣に宿った。
「光だけじゃない。怒りも、悲しみも、痛みも――全部、俺の焔だ!」
明煉が一歩、踏み出す。
「あなたたちの痛みを否定しない。でも、俺は進む。
選ばれなかった“お前たち”と、選ばれてしまった“俺”が、共に歩む未来を作るために!」
その叫びに、焔がうねる。森の霧を、闇を、心の壁を貫いて――
結界が砕けた。
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つづく▶ 第三章:禍と浄の狭間で
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第三章:禍と浄の狭間で
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結界が崩れた瞬間、森に再び風が戻ってきた。
霧が流れ、木々がざわめき、焔の香りが空を焦がす。
明煉の剣――その刀身には、紅と蒼、二色の焔が重なって揺れていた。
禍焔と浄焔。
本来なら相容れぬはずの焔が、彼の手の中で同時に燃えている。
ゼクトはそれを見つめ、言葉を失っていた。
「共焔……伝承の中にしかなかったはずの力が、実在するとは……」
その場にいたすべての焔の遺民が、静かに剣を見つめていた。
しかし――それでも、ゼクトは一歩、前に出る。
「力があろうとも、意志が試されぬ限り、焔は真の継承とはならぬ」
異形の義手が赤黒く膨れ、禍焔を噴き上げる。
「来い、継承者よ。我が痛みと怒りを超えてみせよ」
明煉もまた、剣を構え直す。
遜大と燈火は戦線を維持しつつ、柊が背後から援護術式を展開する。
「明煉! 迷うな! お前の焔は、誰かを選ばない焔だろう!」
遜大の叫びが飛ぶ。
ゼクトが突進する。
地を蹴り、焔の拳を叩き込もうとするが――明煉の剣が、それを受け止めた。
「……ぐっ……この力……!」
ゼクトの拳に絡んだ禍焔が、浄焔に飲まれていく。
だが、消えるのではない。変化している。
「何故だ……私の焔が……お前の剣に……」
「俺は、お前を否定しない! お前の焔も、お前の怒りも、全部、この剣で受け止める!」
焔と焔が交差する。
その中心にあるのは、かつて“選ばれなかった者”の痛み。
そして“選ばれてしまった者”の迷い。
二人の剣と拳が何度も交差し、火花を散らすたび――
森の空気が澄んでいく。
ゼクトは、ついに膝をついた。
「……私は……間違っていたのか……?」
明煉は、剣を収めた。
「いいえ。あなたが生き延び、戦い、守ってきたものは、決して間違っていない」
焔の遺民たちが、次々と武器を下ろしていく。
遜大がゆっくりと歩み寄る。
「ゼクト……てめえの拳も立派だったよ。あんたの怒りがなきゃ、誰も焔の矛盾に気づけなかった」
柊が霧の奥を見つめながら呟いた。
「……これで、やっと先に進めるわね」
燈火も頷く。
「私たちは焔を継ぐ者。だけど、選ばれなかった者たちの声を無視して継ぐ力に、何の意味がある?」
ゼクトは、立ち上がる。
「お前たちには、まだ進む道がある。その先にあるものを……見届けさせてくれ」
明煉は、頷いた。
「俺の焔は、共に歩む焔だ。選ばれなかった者と、選ばれてしまった者が……共に進む道を探す焔だ」
その言葉に、ゼクトの目が静かに揺れる。
空を見上げると、霧が晴れ、月光が二人を照らしていた。
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その夜、焔の遺民たちは、戦いを止めた。
そして明煉たちは、再び旅を始める。
目的地は――廃村。
そこには、封じられた巫子の記憶が眠っているという。
しかし、明煉の胸にはもう迷いはなかった。
剣の中で揺れる“共焔”が、彼に進むべき道を照らしていた。
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つづく▶ 第四章:廃村の記憶
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第四章:廃村の記憶
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森の奥深く、幾重にも霧が巻く谷の果て。
そこに、それはあった。
苔に覆われた石塔、崩れた鳥居、風化しかけた巫女の御札。
ここが、かつて焔の巫子たちが身を隠したとされる廃村――ツキハ村。
明煉たちが森を抜けたとき、空は深い藍色に染まり、空気は重く静かだった。
「……ここか。焔の巫子たちが最後に封を結んだ場所」
柊が呟き、古文書の断片を手に歩み出る。
燈火はその背後を警戒しながら、遜大は焔の気配を感じ取ろうと目を閉じる。
「妙だな……誰もいないのに、焔の“気配”だけが生きてやがる……」
「ここは、焔の記憶が刻まれた場所」
柊が静かに言った。
「巫子たちは、焔の暴走を恐れ、自らの力をこの地に封じた。誰にも届かぬように……」
「でも届いた。俺たちが、ここまで来た」
明煉はそう言い、廃村の中央に立つ。
その足元には、風化した石碑があり、そこに焔の紋が刻まれていた。
剣を抜く。
共焔が、淡く揺れる。
次の瞬間――世界が反転した。
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視界が白く染まり、空気が変わる。
「ここは……?」
明煉は、村の景色が消えたことに気づく。
代わりに、記憶のような光景が広がっていた。
見慣れない巫女たち。
赤と白の衣をまとい、何かを封じる儀式を行っている。
「焔は、選ぶものではなく、交わるもの……」
「禍焔も浄焔も、もとは一つ……」
「だが、人がそれを恐れ、分けた」
幻の巫子の声が、空間に響く。
「……あなたが“共焔”を得た者ならば、聞いてほしい」
明煉の目の前に、一人の巫女が現れる。
歳は若く、けれど瞳の奥に、数百年を越える記憶を宿していた。
「我ら巫子は、焔を封じたのではない。
“焔を拒む者たち”に、それを託す時を待っていたのです」
「拒む者……遺民たちのことか?」
「ええ。そして、あなたのように“選ばれてしまった者”にも、同じ痛みがあると知っていました」
その言葉に、明煉は口を閉ざす。
巫女の幻影が、手を差し伸べる。
「どうか、“継承”の本当の意味を探してください。
焔は、受け継ぐものではなく、重ねるものなのです」
触れた瞬間――
剣の焔が、深く強く、心の奥で震えた。
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気がつくと、明煉は元の廃村に立っていた。
柊が駆け寄り、燈火と遜大も安堵の表情を浮かべる。
「見えたのね、巫子の記憶が」
明煉は頷く。
「焔は、“重ねる”もの……」
彼の剣は、今や確かに燃えていた。
禍と浄、その二つを抱え、なお迷わぬ焔として。
遜大が口笛を鳴らしながら言った。
「ずいぶんと大人になったじゃねぇか」
「……お前が言うかよ」
燈火はくすっと笑い、柊は静かに目を閉じた。
「この焔ならきっと、未来を照らせるわ」
空を仰げば、森の霧が晴れ、月明かりが村を照らしていた。
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つづく▶ 最終章:希望、まだ消えていなかった
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最終章:希望、まだ消えていなかった
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廃村を後にした明煉たちは、王都へと帰還していた。
焔の遺民たちとの和解を果たし、そして自らの焔の本質を知った今、彼の胸には新たな決意が宿っていた。
「もう、戦うだけの焔は終わりだ」
明煉は、剣の柄をしっかりと握り締めた。
「この焔は、痛みも、迷いも、怒りも、全部抱えて進むもの。
それを知った俺たちだからこそ、新しい未来を作れるはずだ」
燈火が微笑んだ。
「共に歩む仲間がいる限り、怖いものはないよね」
遜大は拳を掲げる。
「選ばれなかった者たちも、選ばれた者たちも、みんなで一つになろうぜ」
そしてゼクトが静かに語る。
「……この先、何があろうと、我らは“焔の遺民”であることを忘れない。
選ばれなかった過去を背負いながらも、選ばれなかったからこそ守るべきものがある」
「選ばれなかった者と選ばれた者――両者が手を取り合う未来。
それこそが、真の継承なのだ」
明煉は空を見上げた。
透き通る星空の中に、遠く焔が揺らめく。
「俺たちは、まだ終わっていない――。
これからが、焔の物語の始まりだ」
その言葉とともに、彼の剣が新たな光を放った。
紅と蒼の二色の焔が、夜空に映えて燃え上がる。
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焔の遺民たちの物語は、ここで幕を閉じる。
だが、彼らの歩みはこれからも続く。
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(完)
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次回も楽しみに




