『許嫁、死す』
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深雪の城、燃え落ちる天守の奥。
炎と煙が渦を巻く中、遜大たちはついに城の心臓部へと辿り着いた。そこには、厳重に封じられた黒漆の箱が一つ。今川家の家紋が、かすかに浮かび上がるように刻まれていた。
「これが、“戦の設計図”……?」
楓がつぶやく。
遜大が手を伸ばした瞬間――
「遜大!! 伏せろ!」
燈火の叫びと同時に、弓矢が飛来した。咄嗟に飛び込んだ篝火が、矢をはじき落とす。
天守の隅に立っていたのは、黒衣の女――血塗れの面布をかぶった、今川の密偵だった。
「その箱は……誰にも渡さぬ。遺志を継ぐ者として……!」
彼女の声に、遜大がはっと目を見開く。
「その声……“芙蓉”か……?」
黒衣の女は、顔の布を外した。
そこに現れたのは、かつて遜大の許嫁とされた、今川の密偵――**芙蓉**だった。
「なぜ……生きていたんだ……!」
遜大が呆然と立ち尽くす。
「生きていた、のではないわ。死ねなかったの。あなたに捨てられ、家は滅び、私は……戦の道具にされた」
芙蓉の眼差しには、深い哀しみと憎悪が宿っていた。
「……この箱が世に出れば、戦は再び拡がる。あなたの手で開かせるわけにはいかない」
そう言い放ち、芙蓉は短刀を抜き、遜大に迫る。
「待て、芙蓉!! 俺は――!」
「何も変わらなかった! 私は、あの夜、あなたを信じて逃げようとした。なのに……!」
彼女の刃が、遜大の胸元に届く直前――
「だめ!!」
飛び込んだのは、楓だった。
鋭い金属音。
次の瞬間、芙蓉の刃は楓の脇腹を裂き、血が飛び散った。
「か、えで……!!」
遜大が叫び、抱き留めたときには、楓の体はすでに力を失い始めていた。
「どうして……お前が……!」
楓は微笑んだ。
「だって……ぽんたは……もう、“ひとりじゃない”から……」
芙蓉は手を震わせたまま後退り、崩れ落ちる梁の音にかき消されながら、静かに呟いた。
「……ああ……また、奪ってしまった……」
そして、燃え落ちる天井の下、彼女もまた、短刀を自らの胸に突き立てた。
遺言のように、短く言葉を残して。
「――“誰かを愛したこと”が、罪だったのかしらね……」
黒き箱の前で、二人の女が倒れ伏す。
遜大は血に染まった楓の髪を抱きしめ、声もなく、ただその名を呼び続けた。
篝火も燈火も、声を失ったまま、燃える天守を見つめていた。
そして、箱が開かれることなく、夜が明けた。
戦の真実は、まだ闇の中。
だが遜大は知っていた――この日の業火こそ、もう一つの「桶狭間」だったと。
(続く)
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次回も楽しみに




