「迷い込んだ戦国」
戦国時代——そこは裏切りと陰謀が渦巻く世界。
本作『もう一つの桶狭間』は、歴史に名を残した英雄たちではなく、密かに生きた浪人**梨鍋遜大**の視点で描かれる。
織田家の密偵として働いていた遜大は、知らぬ間に今川へ情報を渡し、裏切り者の烙印を押される。逃亡の果てに彼を待つのは、信長の罠、禁断の恋、そして時空の歪み——。
戦と陰謀、愛と運命に翻弄される遜大の物語、ここに開幕。
永禄三年(1560年) 桶狭間の戦い 前夜
遜大は地面に手をつき、荒い息を整えた。
先ほどまで尾張の海辺を歩いていたはずだった。しかし今、彼が立っているのは、見覚えのない荒野。あたりを見回すと、夜空には無数の星が輝いていたが、何かが違う。空気の匂い、肌を撫でる風、遠くで聞こえる人々の声——すべてが異質だった。
「……俺は、どこにいる?」
呟きながら歩を進めると、ふと丘の上に松明の灯りが見えた。軍勢だ。遜大は瞬時に身を低くし、草むらに身を潜めた。
「おい、支度は整ったか?」
「はい、間者どもはすでに今川勢の動向を探っております。今川義元は油断しておりますゆえ、我らの奇襲に気づくことはありますまい」
その会話を聞いた瞬間、遜大の背筋に冷たいものが走った。
「今川義元……?」
驚きとともに、遜大はその軍勢が何者であるかを理解した。彼らは織田軍、そしてこの会話の内容は桶狭間の戦いの作戦会議だった。
「そんな馬鹿な……俺は、過去に戻ったのか?」
遜大の頭が混乱する。この戦の結末を、彼は知っている。織田信長が奇襲を仕掛け、今川義元を討ち取る戦。戦国史に名を刻む、大逆転の戦い。しかし——
「俺はどうすればいい……?」
この戦に関われば、再び運命に巻き込まれることになる。今度は織田でも今川でもない、第三の存在として。
逃げるのか? それとも、何かを変えるのか?
その時——遜大の背後で草を踏む音がした。
「何者だ!」
鋭い声とともに、数人の兵が遜大の背後から現れた。彼らの槍が、遜大を取り囲む。
(……終わったか?)
だが、遜大は即座に冷静さを取り戻した。もしここで捕まれば、織田に尋問され、最悪の場合は首を刎ねられる。逆に、ここで上手く立ち回れば——
「待て! 拙者は間者ではない!」
遜大は両手を上げ、堂々と名乗った。
「拙者は、**織田信長公の命を受け、敵軍の情報を探る密偵である! これより急ぎ、本陣に報告せねばならぬのだ!」
兵たちは顔を見合わせた。明らかに怪しんでいる。
「証拠はあるのか?」
「……証拠だと?」
遜大は一瞬、言葉に詰まった。しかし、次の瞬間——
「遜大殿か?」
背後から、聞き覚えのある声がした。
遜大が振り向くと、そこに立っていたのは織田家の老臣・梁田政綱だった。
「梁田殿……?」
「これは驚いた。まさか、貴殿がここにいるとは……」
遜大は心の中で安堵した。梁田政綱は信長の重臣であり、元々遜大とも面識があった人物。彼が味方になれば、織田軍の中での立場を確保できる。
「遜大殿、貴殿が何ゆえここにいるのか詳しく聞きたいが、まずは本陣へ案内しよう」
「……かたじけない」
こうして、遜大は織田軍の本陣へと連行されることになった。
だが彼はまだ知らなかった。この先に待ち受けるのは、信長との再会、そしてさらなる陰謀と裏切りの渦であることを——。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『もう一つの桶狭間』は、戦国時代の裏側で生きた一人の浪人・梨鍋遜大の視点から、桶狭間の戦いを描く物語です。信長や義元といった歴史の大人物ではなく、密偵として翻弄される男の運命を追いかけながら、戦乱の中に渦巻く陰謀や禁断の恋を描いていきます。
遜大は戦場を生き抜くことができるのか? それとも、歴史の波に呑まれてしまうのか? 彼の選ぶ未来が、歴史をどう変えていくのか——今後の展開を楽しんでいただければ幸いです。
これからも応援よろしくお願いします!