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自然のようなものに触れたくて早朝に小さな河川敷で散歩をしていた。
あくまでここにあるのは自然のような物であって自然ではない。
それをわかっていてもこうして緑の側に居たくなる。
昼の刺さるような日差しの下でなく、まだ穏やかな朝を歩く時間に選んだ。
涼を求めていたのだ。
酔ってしまった身体を冷やすという目的。
固まってしまった身体をほぐすという目的。
太陽から逃れるようにしながらもう終わりが近い草花を観賞している。
こういう時間が許されているという点はこの生活の利点だ。
涼しげな朝露の中、“ブラブラ”と目的地もなくほつき歩く。
散歩とはそういうものだろう。
街が変化していることに淡い期待を抱きながら行く当てもなく彷徨う物。
見飽きた世界の中で微量の衝撃が来ることを待ちわびているのだ。
日常的な願望と非日常的な願望が入り交じっている。
どちらの願望も叶いそうにない。
日常は“ボロボロ”だ。非日常はいつまでもやってこない。
淡々と奇妙な時間を消化している。
珍しく日本酒を呑んだこともあり、寝付きが悪かった。
そこから目覚めも悪くなってしまい、随分と早い時間に起きてしまった。
未明の窓の外を静かな金魚とともに眺めながらこうすることを決めた。
体質的にアルコールを呑むと意識が覚醒してしまう僕。
溶けた色と光る星が混ざり合っている静かな空。
一つの絵画を見ている気分。
重陽の節句だからといって浮かれすぎたようだ。
純粋な体調不良が思考を邪魔してくる。しかし、思考を邪魔されることによって発生する問題はやはりない。とはいえ身体の調子が悪いことは事実だ。
やはり陽の極まりは危険だった。
後遺症が残ってしまったが、明日になれば簡単に治る程度の後遺症でしかない。それぐらいならスパイスだ。無味無臭な人生にとってはプラスになってしまう。
すれ違う人たちは心地よさそうな顔をして光を浴びながら河川敷を歩く。夜明けからまた時が経っていない。太陽光は差すようにまだ染まりきっていない青空を照らしている。こんな時間に街を歩いている人は爽やかな人だろう。吐き気すらある僕を除いて全員素晴らしい人のように思える。
社会活動による汚れがリセットされた空は綺麗だった。
一目見ただけで世界が清潔なのが分かる。
全てが整っているように思えた。それならばそれにあやかって心と身体を整えよう。勘違いにはなってしまうが他人から見たときに自分も心地がよさそうな表情をしているといいのだけど。
河川敷を歩いていると自然と川の方へ目が向かう。ゆったりと流れているそれはまだ薄い太陽光を反射する。水の底と同じような色をした流れが“キラキラ”と輝いていた。それだけで十分なほどに心は満たされるのだった。まだ覚醒しきっていない頭にとっては特にそうだ。
そんな川には黒い鱗をした地味な魚が五匹、群れで泳いでいた。
我が家にいる孤独な金魚とは違い、仲間で集まっている。
その鱗の色は自然に溶け込むための物だろう。
身を守るために集まっているのだろう。
普段の僕はその存在に気づいていなかった。
金魚を飼いはじめたからかそれが妙に視界に入ってきた。
金魚鉢の金魚とは比べるまでもなく自由な魚たち。
いや、自由に見える生き物。
生き物の箱。俯瞰してみればそれに違いなどない。
街の河川は整備された人工の自然であり、金魚すくいの四角いプールと同じだ。
もちろん、我が家の金魚鉢とも同じだ。
少し複雑なだけであの魚たちも金魚と同じような箱の中で人間に生かされている。
気まぐれな僕は飼われた生き物の生殺与奪の権を握っている。
簡素な自然には金魚以外の何者も存在する余地がない。
つまりそこにはヒエラルキーが存在しない。
弱肉強食が存在しない。
そうなってしまうと金魚は自立できない。
エサという人工的な自然を待つしかない。
不意に握ってしまったその権利はあまりにも重たい。早くその権利をこれを求めていた彼女に譲ってしまいたい。喜んでいた彼女に命を上げたい。そして、無責任に紅白模様の金魚を眺めたい。鑑賞するだけの存在にしてしまいたい。
あんなに喜んでくれるとは思ってもみなかった。
まだまだ知らない側面だらけだ。というよりも知ろうとしていなかった一面と言った方がいい。そもそも触れようと思っていなかった。触れていなかった。
ただ、金魚鉢はどうやって運ぼう。
突飛すぎる計画は細かいところに穴が空いている。
穴から金魚が逃げ出してしまいそうだ。
自然を目指してもどこにもそんな物はないのだから逃げても助からない。
ポイの上で死にかけていた金魚を思い出した。
それは逃げ出した世界線の僕だ。
箱の中以外に居場所はない。
魚の泳いでいる様を見る時間が好きだ。
ずっと前からそう思っていたように思えるほど身体に染み込んでいる。
もはや趣味といってもいいくらいには気に入っている。
悪い趣味ではないだろう。
ただ、命を飼うというのは悪い趣味だ。
少なくともいい趣味と言うことはできない。
本来ならば共生している生き物を傍目に見ることで癒されるべきなのだろう。
環境を作ることができる人間はそれよりももっと高みを目指した。
高いところに行く意味も考えずに上った。
その先にあったのはあらゆる物が不自然な社会だ。
全てが頑丈にできていて、壊すことができない。
そのくせ、人間が消えたらすぐに崩壊する不自然な自然。
帰り道にコンビニに入った。
鮭と梅のおにぎりを一つずつとこだわりもなく緑茶を買って外に出る。
あんなにいろんな種類が並んでいるペットボトルの緑茶。
どれもこれも同じ味に感じるのは感受性が死んでいるからか。
考え事をしながら袋を右手に提げながらまだ朝でしかない街の様子を眺める。
まだサラリーマンもいないような平日。
その景色は朝でしかなく、まだなにも動きだしていなかった。
動いているのは空気だけ。
こうして朝ごはんのためにありきたりな物を買っていると、自分が社会に参画している人間であると錯覚する。まともな行動原理など存在しないような行為が肯定されるように思える。
もし仮に人間を選別することになったとき。
そのときに間違いなく早い段階で不必要だと判断されるような僕。
そんな人間の行為全般が肯定されると錯覚しそうになる。
あまりにも時間は空いてしまったがおにぎりを食べ終わったら二度寝でもしようか。もう一度現実から夢の世界へ戻ろう。そうすれば等身大の僕に戻れる。
身の丈にあった生活をしなければならない。
幸いなことに眠気はまだ残っている。
それが残っていることによって発生する問題など存在しない。
問題が存在しないことが幸いなことかは考えない。
骨身に染みるほど理解している事実だけを考える。
それはやらなければならないことがないという事実。
なにをするにしてもそれをやる必要がないというのならば全てが無駄だ。
とはいえ、なにもやらないのは無駄な人生だ。
いずれにしても堕落していく気分だ。
その先に人間の本質的な価値があるのならばありがたい。
無いのであれば単なる不時着だ。
家に帰ってきて、真っ先に向かったのは金魚鉢の元。
片手に持っていたコンビニの袋はテーブルに“ポンっ”と置いた。
改めて見るとやっぱりこれ以上ないほどに整っている生き物だ。
さっきまでの魚とは違う、そんな不自然な生き物。きっと品種改良によって生まれた種なんだろう。なぜならば不気味なまでに美しいからだ。
金魚鉢の近くにはビニール袋が置いてある。
中にはなにを考えているのかわからない彼女が買ってきたエサ。
分かり合えていないことだけがハッキリしている関係性だ。
お互いに同じようなことを考えているんだ。
ビニール袋から取り出したそれ。
おそらくそこまで高価ではないそれ。
アクアリウムのような、丁寧な人工の自然の中にいる金魚のパッケージ。
公園にいる僕ら人間を撮ったら同じようなパッケージになる。
金魚に人間を代入するとしたらそのようになるだろう。
詳しい知識などないがこれを食べさせておけば間違いないらしい。
つまらない食生活だ。でも、これだけで生きていけるのは羨ましくもある。生きていくのにかかるコストが少ないのは羨ましい。コストを払うことが生きている価値のような世界にいる。
腹が空いているのかは知らないが金魚にエサをやる。
窓の外から光が差し込む場所。
金魚鉢を悠々と泳ぐ金魚。
尾ひれと背びれが水を掻いて動きを生み出す。
小さな揺れが波紋を生み出す。
出目金のような不細工な金魚にはない甘美さだ。
古くて量産品の引き出しの上に置かれた鉢の中に唯一無二の個体。
どちらもそれしかない物だ。
ここにしか存在しない価値だ。
生き物である以上は、それは個体として存在している。
ということは類似品はあれど同質の品はない。
人間も同じだ。
だからどうした?
ソファに座り、テーブルの袋を探る。
まるで金魚と同期しているような僕は食事をする。
袋から出てきたおにぎりの包装を不器用に剥く。
その包装にある手順通りに海苔を巻いてみても端が破けてしまって不恰好になる。
そのことが妙に気になったのでもう一つのおにぎりも剥くことにした。
今度は上手に海苔を巻くことができた。
そして、その二つのおにぎりをお茶で流し込むように食べた。
小腹を満たすことが目的だった。
慢性的に栄養が足りていない状態が続いている。
これが続くとなにか不具合が発生するのか。
それとも飽食の世界においてはこの方が健康的なのか。
健康になりたい。
少なくとも精神だけは健康でなければならない。
外傷はその程度を把握することが容易だが、内心の傷はその程度を把握することが自分にとっても難しい。そして、他人にはないようにしか見えていない。そんな傷になってしまう。
本当は手足が動かなくなるほどの重体だったとしてもそう見えてしまう。
食事を済ませ、ソファに転がる。
これだけ外を歩いた後にベッドに入るわけにもいかない。
だから、この場所で眠ることにする。
白日の元で徘徊する意味などない。
誰かの視線を気にしなければいけない所に行く必要はない。
それに、まだ頭の痛さも残っている。
具合も悪い。
やることもない。




