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君が金魚鉢を持つと花火のように“パっ”と開いたその顔が歪む  作者: 豚煮豚


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3


 金魚鉢は実家から譲り受けた木の引き出しの上に置いた。

泳いでいる彼が居るのは胸ほどの高さなので目がそれに行きやすい。

金魚になにか期待をしているわけではない。

すぐに離れ離れになるのだから感情移入をする必要すらない。

しかし、装飾として考えれば立派な物だ。

どうせならば見やすい所に置いた方がいいはずだ。

花のように開いた金魚鉢の下にある引き出し。

よくあるような引き出しだが、古くなったことで特別感が出ている。

昔から家にあった物で、塗装もかなり剥げてしまっていた。

特別な思い出はないが、思い出の片隅くらいにはずっとあった物だ。

そんな物の上、窓辺の日光が差し込む場所に金魚は暮らすこととなった。

調べたところ、直射日光の当たる場所だと水温の管理が難しくなるらしい。金魚は水温に敏感でそれによって寿命が変わることもあるそうだ。

すぐに引っ越すことになるのだから今はここでいいだろう。そこにいると紅白の鱗が“キラキラ”と輝いて鮮麗(せんれい)だ。

エサは金魚を飼ったことのある彼女に任せた。

どうせ一時的な付き合いでしかないわけだ。

これからやって来る彼女に買ってきてもらった方が良いだろう。


 緊張している僕は来訪者を待ちわびていた。エサを待っているような感覚。実際にエサが来るのを待っていた。とにかくなにかが来るのを待っていたのだ。なにかが起こってくれるような予感がしていたからそれを待っていた。

それもこれも金魚のおかげだ。

その小さな生き物がいなければどうなっていただろうか?

合理的に考えれば背負う物がない僕が向こうに行った方がいい。

しかしそれだけでは一方的な関係性になってしまう。

意味もないのにバランスを取ろうとしている。

バランスを取ろうとして不気味な関係になっていた。

どう考えても平等な関係になるはずもないのに。

合理性が入り込む隙間しかない。

世間体という合理性だ。

おそらく、世間体を気にする彼女が同じく世間体を気にする僕と付き合っているのはそういう合理性があるからでしかないだろう。

付け入る隙に入り込んでいる。


 予定時刻までの不活発(ふかっぱつ)に変化してしまうこの時。

蚕みたいな色をしたソファに座りながら過ごす。シルクワームのように飛べない家畜。そんな色のソファが似合ってしまう僕。しかし、誰も活発になれない僕など望んでいない。

逃げ出さない家畜は理想的な家畜だ。人間である僕は飛ばなければならなかった。人間であるはずなのに飛び立っていないことに憤りすら感じている人もいるだろう。その視線を和らげるための彼女だった。

給餌(きゅうじ)を待っているだけの僕はこの程度のイベントで思い詰める。

何事もないことを祈りながら、なにかが起こることを祈る。

都合がいいことだけが起こることを祈る。

それは本当に祈りでしかなく、積極性ではない。

具体的な話をすることなく、具体が変化することを望んでいる。

形の話はしたくない。形を直視したくない。未来などどこにもないはず。

窓からは都会とやらが見えている。

謳歌(おうか)することもない、ただ日々を暮らすためだけの街。その都会とやらに来てしまったがゆえの苦痛。もっと両親の近くにいたならば、二人の中にいるのが情報としての僕ではなかったはずだ。こちらから提示できる情報にポジティブな物はなに一つとしてない。

この場所で病むこともなかったはずだ。

今の状況にもっとも相応しい言葉は不適当(・・・)だ。

これはそういった類いの間違い。

最適な人生よりもありきたりを優先してしまったことが主な理由。

“グルグル”している古ぼけた引き出しの上の生き物に自分を重ねていた。

自分よりも上等な、適切な生活がそこにある。

管理されるべきなのに管理されていない僕は金魚よりも下だ。

金魚は人間の管理下にある。


 みすぼらしい防犯機能しかない僕の家のチャイムが鳴った。

そして扉を開けてその人を迎え入れる。

右手にビニール袋を提げた彼女。

そこにはきっと待ち望んでいた物が入っている。

前よりも疲れている様子の彼女は猛暑にやられている。

どうしようもないくらいに疲弊していて、倒れてしまいそうだ。

そういう人生を選んでしまっている彼女。

もっと緩やかな生活が向いているのではないだろうか、本当は。

暑さで汗を垂らしていた彼女は涼しい部屋の中で(くつろ)ぐ。

寛ぐと言っても、明らかに警戒しているような様子が見受けられる。

それとも育ちが良いのか。

姿勢を正した状態で見るでもなく部屋の中を見ていた彼女。

その視界に金魚鉢を入れた。

観察をした後にそれを掬ってきた僕に声を発した。

その声にはノスタルジーな響きがあった。

個人的な懐かしさは母親の声から来る物だと思う。

声の低いところがとても似ていた。


「金魚……ありがとうございます。私のワガママを叶えてくださって」

「こちらこそ、エサを用意してくださってありがとうございます。任せてしまってすみません」

「お気になさらず」

「どうですか? 貴女が飼っていた金魚はこのように紅白の鱗で“ヒラヒラ”と泳いでいましたか? それともまた違う鱗をしていましたか?」

「私が飼っていた金魚は全身が真っ赤で、もう少し小さかったような気がします。あまりにも昔のことなので記憶は定かではありませんが」

「そうですか。ちなみに、金魚鉢はこれでも問題ありませんか? 一番ベーシックな物を選んだつもりなのですが、もしお気に召さないようであればまた新しい物を買いに行こうかと思っています」

「その必要はありません。想像していたよりも立派な物で驚きました。ここまでちゃんとした物ではなくても良かったのに……」

「問題でしたか?」

「いや、嬉しいです。記憶の中にある金魚鉢よりも立派な物だったから驚いただけです。ありがとうございます……しかし、どうやって私の家まで運べば良いのでしょうかね?

この美しい金魚と一緒に生活することができたなら、私としてはとても心が満たされそうです。そうなればきっと充実した毎日になることでしょう。どうにかしてこのコと、一緒に生活をする方法はないでしょうか? どうにもここから向こうまで運ぶのは難しそうです。冗談のような方法ならいくらでも思い付きそうですがどうでしょう?」

「そういえば、そうでした。たしかに金魚鉢ごとこの小さい命を運ぶのはとても難しそうですね。こうなってしまうと金魚が最初に入っていたポリ袋を捨てないで取っておけばよかったです。申しわけありません。これは失敗しました」

「……そうですか。他に方法はないですかね? 私と金魚が、一緒に生活をする方法」

「貴女が金魚と一緒に生活をする方法……これは今すぐ答えが出るようなことではないかもしれませんね。少しだけ考えさせてください。

なにか妙案が思い付いたらすぐにでも貴女の元へ金魚と金魚鉢を運びに行きますよ。それまでの間は僕の家に置いてもよろしいですか? もちろん責任を持ってしっかりと世話をします。誠心誠意向き合わせていただきますのでご安心を」

「…………それでは、よろしくお願いしますね」

「はい。もちろんです。もう少しこの家で寛いでいかれますよね?」

「そうですね」

「今の僕にとっては貴女が実在理由(じつざいりゆう)なのですからもしも要望があるなら何でも仰ってください。気遣いなんて必要ありません。正直、肝胆相照(かんたんあいて)らす仲とはなっていませんがまずは虚心坦懐(きょしんたんかい)で居られるようにお互いに努力していきましょうか?」

「そうでしょうね。もしも貴方が自分の心の内を全部打ち明けようとしているのであれば、私は大きな勘違い(▪▪▪)をしていたということになりますし、これから仲を深めていきましょうか」

「? それはどういう意味ですか? 勘違いをしていたというのは?」

「ちょっとしたことです。私から話すようなことでもないようなこと……それにしても綺麗な金魚ですね。金魚すくいにいたとは思えないほど綺麗な金魚。似合っていると思いますよ、花のような金魚鉢」

「そうですか……」

「“パっ”と咲いたような、フリルの金魚鉢。素敵だと思いますよ? 私は気に入ってます」

「……ありがとうございます」

「いいと思いますよ。私はいいと思います」


 泥車瓦狗(でいしゃがこう)は会話を進めることができない。

とにかくなににおいても役に立つことがない。

シンプルに「無能」という言葉が似合っている。

意気地無しな僕はここにいるのに相応しくない。

本当の自分で居られる場所ではない、お互いに。

それは、明らかに嘘や隠し事をしている彼女から読み取れる。

勘違い(▪▪▪)」がなにを意味していたのか。

重苦しい空気に適した言葉が見つからない。

手綱を引いているのはどっちだ? 引かなければいけないのは?

真意に気付けていない。

明らかな隠し事を追及することもできず、不和の予感だけが残る。この予感は確かに存在する物だ。放っておくわけにはいかないのになにもできない。

金魚を眺めている彼女の横顔を“チラっ”と盗み見るように観察する僕。

脳内に焼き付けた彼女は空洞を抱えているようだった。

心ここに在らずだった。

見たはずなのに何も視えなかった。

有耶無耶(うやむや)にしたことで愛が散っていくのを感じる。

秘密は単なる気遣いなのだろうか。それとも本質的な問題であるがゆえに口にできなかったのか。言いたいことが言えるような相手になれていないのは知っている。

霧散した愛がこの部屋の中に充満する。

希釈された物が窓から逃げていくように思える。

今も金魚鉢を照らす光を伝って広いところへ逃げようとしている。

それが遠くに行かないように願いながら流れる沈黙に身を委ねた。

未熟であるがあまり、愛の基礎がなっていない。だからこそ愛情が簡単に心から離れてしまうのだ。でも、愛が離れたとしてもこの関係は続けなければいけない。世間体によって限定された人生から逃れることは許されない。この愛を放棄するということは社会性を放棄するということだ。それはつまり完全なる孤独を受け入れるということだ。

一つの影を見つめるだけの孤独を受け入れるということだ。


 無のまま時間が経ち、エサだけを持ってきた彼女は帰宅した。

金魚は今もこの部屋の中にいる。

今もまだ太陽の光を浴びていた。

会話を続けることができなかった。

動くことがなかった車輪はどちらにも責任がある。

設計の根本からして間違っていたようにも思える。

それをわかっているならばどうしてこうなってしまったのだ。

両親のことだけを考えて付き合ってしまったのだ。

壊れる気がしてならない。

砂上(さじょう)楼閣(ろうかく)を見極めるのは難しい。

もしも世間体がなくなった僕は何をすればいい?

ここにいる理由などない。

そんな気さえする。

気のせいではない。


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