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 祭りの中の騒がしさ。

人海の会話の内容は判然(はんぜん)としない。

そこへ飛び込んだ僕は意識の波に流されそうになる。

慣れない空間に興奮しているのか、心拍数が上がっていく。そうだ、人混みとはこういうものだった。かき乱されてしまう場所だった。

電線に吊り下げられた電化の提灯が(ほの)かな光を夜の中に落とす。 

その偽物の弱い発光をかき消すような電球が“ずらり”と列を作っていた。

それは道路の両端を埋め尽くす屋台からの光。

そこに「金魚すくい」という文字がないかを探る。

やらなければいけないことはそれだけだ。それ以外の用事は全て自分のための用事だ。やらなくても構わない。

電球色の激しくも温かい光が空間を包み込み、空想のような景色を見せる。

どこかのスピーカーから流されている祭り囃子。

歩いているだけなのに夢中にあるような錯覚をしてしまう。熱に浮かされ、愉快な気持ちになる。とても絢爛(けんらん)な祭りだった。非日常感から大袈裟なことを思った。

日頃から地味で無味乾燥(むみかんそう)な日を繰り返していた。振り返ってもそこには砂漠しかない。その乾いた砂漠にはオアシスがあるように見えたが本当はミラージュだったのかもしれない。

田舎者の僕にとっては、夏祭りの余熱とも言えるような秋口の形式的なお祭りでさえ眩しかった。目が(くら)んでしまいそうだ。夏の僕はなにをしていたのだったか。

死臭が漂っていたはずの住宅街に生気が戻ってくる。


 金魚すくいだけをすれば良かった。

しかしある種、使命感のような物に駆られてしまい祭りを楽しむこととする。そもそもここに来た理由もそういう強迫観念のような物が理由だった。見てしまった以上は来なければならない。

一通り屋台の列を堪能し、一度群れの外へと出る。

陳腐(ちんぷ)で高価な焼きそばとかき氷、路傍(ろぼう)に立ったまま喫食。

これはそういう食品だろう。

腹を満たすためでも、栄養を摂取するためでもない。

ましてや美食を(むさぼ)るという目的で作られたものではない。

それらの目的をより安価に満たすことが出来るものなどいくらでもある。

これは思い出を想起する、または、思い出を創造するためにあるものだ。

蝉時雨の中、夕陽に照らされる田んぼ道の先にあった真っ赤な鳥居。

知り合いしかいない神社での縁日を想起させられた僕は今日(こんにち)の自分のエンジンが世間体であることを直視し、もの悲しくなった。

世間体という鎖の先にいる彼女。

好意がないわけではない。

しかし、この関係を構築するためのモチベーションのほとんどは感情ではなく世間の目だ。主に両親の、ひいては地元の目。

そんな恋人(▪▪)のためにわざわざ自分では価値を見出だせない金魚を掬いに来ている。

惨めな現在の中で屋台の焼きそばが意味を持つ。

純真無垢な過去は想起されるべきではない、大人になってしまったから。

縁石に座りながら屋台の飯で思い出を創っている派手目な若者。

彼らにもこれらを喫食(きっしょく)する日がまた来るのだ。


 十分に役割を果たした空の容器。

これのおかげで過去と現在を比較することができた。

それによって現実の僕の位置を再確認することができた。

金魚すくいに行くやる気が戻ってきたようだ。

右手が埋まったままでは不便なので、周囲を見渡す。

すると公園のちょうどいい場所にゴミ箱を見つける。

もはや恒例のようになっている、ゴミ箱周辺に山のように積み重なるゴミ。

それを無視するかのようにして空いたプラスチックの容器を段ボールの簡素なゴミ箱に押し込んだ。そして近くにあった水飲み場に行き、さっと手を洗った。

さて、これで例の生き物を確保して終わりか。

自分以外の人が欲している金魚を掬いあげなければならない。

しばらく紅葉めいた黒山の一部になりながら屋台が連なる歩行者天国の道路を行っていると、無事に「金魚すくい」という文字が目に入った。

今日日(きょうび)金魚すくいなど珍しいらしい。

その文字を見つけるのには思ったよりも時間がかかった。


 ——毎度あり。

老年の店主から青いポイと発泡系の廉価なポリエステルのおわんを渡される。

大人がこんなところでなにをしているのか。しかも一人で。

それを受け取った僕は長方形のバケツの池を泳ぐそれらにポイを差す。

浸潤(しんじゅん)した柔らかい紙は今にも貫通してしまいそうで、本能で逃げる金魚たちの後ろを追っていくだけでも気苦労する。

バケツに差されたホースから流れる微かな水が池に流れを生み出していた。その波は光の中で輝いている。白く輝く月のような電球が水面で揺れていた。

要領の悪い僕は不馴れなせいもあってどの個体を目標にするのか決めなかった。

それのせいで紙は水に溶け、青いフレームだけが置いてきぼりを食らう。

後ろ髪を引かれる気持ちでそのポイを諦めた。

清らかで澄んだ水道水は金魚にとって心地が良いらしく、見下しているような僕の思惑なぞ関係ないかのように自由だった。幸福の中に居るようだった。

しかし、箱からは出られない。四角い箱が彼らの生息地だ。それでもマシだ。これからは今よりも人工的な最低限度の自然の中で生きていくことになる。

金魚鉢の中で生きていくことになる。


 何度かの試行錯誤をしたことで要領を得た。

泰然(たいぜん)としてタイミングが来るのを待つ。

自然な形でポイを動かせる範囲に来た金魚を注視して、適当な個体を選ぶ。

目標を定めてからは“サっ”とポイを差し込む。

水に浸ったそれを意識的に動かし、獲物を追い詰めた。

(あと)はもう掬い上げるだけ。

紙以外の重みを感じるそれを“スっ”と持ち上げた。

恟然(きょうぜん)とした金魚はまな板の上で“ピチピチ”と躍る。

生存本能が人間の手の上で暴れる。

そして安物のおわんへ。

皿に掬い上げたのは更紗(さらしな)模様の縁起の良い金魚。

どこの祭りにも必ず居るような金魚。

スタイリッシュな和金(わきん)で紅白のハッキリとした鱗を持っている。

きっとこれならば浮き沈みの少ない彼女も懐かしんでくれるだろう。

金魚すくいの娯楽の部分だけいただいてしまって申しわけない。

後の面倒事は欲しがっていた彼女に任せればいい。

生き物を飼うなんて責任を伴うような行為はしたくない。そういう物が重たいからこうして自由に生きている。そのような行為をする理由はどこにもない。


 老年の店主が金魚ポリに入れたそれを客である僕に渡した。

金魚を手にした僕はそれを観察する。

狭いポリ袋の中にいるのは幼少期の彼女が飼っていた金魚。

それ自体ではないがそれのような金魚。

上下左右、水の中を行き来している。

どこまでも自由に見える不自由な生き物。

先ほどまではここに居なかった生き物。

それをこんなにも簡単に手にしてしまった。

まだ住処すらないのに。金魚が住む箱すら用意していないのに。

無責任な人間だ、命を預かるというのに。

意志薄弱(いしはくじゃく)なだけだ、反応するかのように生きている。

意志のない反応だけで生きている。

だから今になって前提に悩むのだ。

渡すまでの間、どうやって預かるのかという当たり前の話に躓く。

池に“パっ”と放ってやれば自由を与えられるだろうか。

そんな無責任なことを考えた。


 それからしばらくは冷たい夜道を歩く。

目的を果たしたので喧騒から離れた。

祭りももうそろそろ終わりだ。

そんな中、白熱灯の勁烈(けいれつ)な主張。

シャッターが閉まった夜に浮かんでいる古色蒼然(こしょくそうぜん)とした店。

街の活力が祭りに搾り取られている中、平常運転をしていた。その店先には水槽。右手に窮屈な金魚ポリに入った浮いているような生き物。見えない壁によって身動きが取れない。でも、これがないと留まっていられない。金魚が留まっていたいのかはわからない僕はなにも考えないようにする。

再度、光に目を向ける。

店からあざとささえ感じてしまうシチュエーションだ。

熱気に当てられたままの僕は臆することなくその店内に入る。

誰が見てもその目的は一目瞭然だ。

これならば見知らぬ結界の内側へ入るのをためらう必要はない。

それに、金魚の家を買わないという選択肢はない。

死体をプレゼントするわけにはいかない。


 店内を物色する。

ここには生活雑貨も置いてある。

本来は金物が中心のお店のようだ。

となるとやはり店主に誘われて入ってきたみたいだ。

きっかけとなった店頭の水槽以外にも水槽は置いてある。

店の奥まったところに花のように上部が“パっ”と開いた金魚鉢があった。

それに一目惚れしてしまった。

映画やドラマのような、昭和を思わせるような青いガラスの金魚鉢。

釘付けになる瞳に心は決まった。

祭りの熱気から覚めつつある僕は金魚とそれとに交互に視線をやる。

レトロ趣味というわけではないが、シンプルにこれが一番似合うように思えた。

上からの光で影を落とす棚。

夜と混ざって冷たい雰囲気の照明はそれをより一層魅力的に思わせる。

赤と白と青。

透明な水には純粋な色が似合う。

取り合わせがいい物の方が喜ぶはずだ。

しばらく考えた僕はそれを両手に持った。


 ——これをください。

——あいよ。

簡単なやり取りの後、フリルのような細工が成された金魚鉢を購入した。

店主は店の奥へ消えた。

そして、ちょうど納まる程度の大きさの段ボールと緩衝材を持って帰ってきた。

破れやすいガラス製品。

中に“くしゃくしゃ”に丸めた新聞紙を詰め、緩衝(かんしょう)シートが幾重(いくえ)にも巻かれたそれは黒いスポンジが入った段ボールの箱に納められた。


 帰り道、街灯の下、大きなシャボン玉を見つけた。

祭りで買ったであろう、中身をくり貫いた刀のような形をしたプラスチックのスティックを、鞘に見立てたプラスチックの容器に入っている液体に“ジャブジャブ”と浸す子供。

浴衣を着た幼稚園生くらいの男の子で、家族の前ではしゃいでいた。

この街にも純粋な子供がいたのか。

当たり前のことを再確認した。

真剣そうな顔になり、“ブツブツ”と技名のようなものを呟きながらそのスティックを小さな手のひらで握る。

彼は右手で強く握ったそれをなにかアニメや漫画のキャラクターのように“パっ”と抜刀して、また新しいシャボン玉を生み出した。

虹を含む透明な球体。

破裂して、雫が地面に輪っかを作る。

(たくま)しい男児とは違い、頑なに(つゆ)であろうとする物。

枯燥(こそう)した僕は露の世を生きている。





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