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君が金魚鉢を持つと花火のように“パっ”と開いたその顔が歪む  作者: 豚煮豚


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21 されども



 空隙(くうげき)が存在する。

いくつかの空隙が存在する。

二つとない僕とかけがえのない彼女の隙間は埋まらないのだ。

簡単な感情が埋まっているヒダとは違い、そこにはたしかになにもない。

あえて言うのであれば力があった。同じ極の磁石が近づいたときのようにそこには力があった。引きはなそうとする力だ。近づきたくないという思いだ。

思い出のみが依り木となった今日。

それ以外をもってして僕たちが共存する理由がないという現実的な問題を、朝露の中で血色の良かったあの人がその日の夕焼けの中で白骨死体と化してしまったという非現実的な現実の問題を、砂塵の中で見ている。

ただ見ている。


 目の前にいるのは誰かだった。今までに何度か見たことがあるはずの誰か。でもその顔がどうしても見えない。とても不明瞭でモザイクがかかっているみたいだった。見えなくなった理由は喧嘩だ。感情が高ぶりすぎて瞳がおかしくなっている。

つい激しくなってしまった僕は、口論のように言い合う。

それはエスカレートしていき、やがて言葉にすることもためらわれるような言葉すら使うようになる。どうしてあんなに静かだった僕たちがこれほどまでに揉めてしまっているのか。きっと、お互いに心を隠していただけだった。

この世界では他人に危害を加えることは絶対に許されない。

そんなことをしたら警察に捕まって人生が終わってしまう。

恋人のような近い関係であってもそうだ。

この街では特にそうだ。

きっとそのはずだ。

みんなが自分のことを自分では守らない。

不自然にもこの街の住人は全員が守られている。

守られているから他人のことを信用できずにいる。

信用する意味がないからだ。

だから、他人である彼女に危害を加えないように必死になっていた。

ようやく名実ともに他人になれた瞬間に、恋人のように心をさらけ出せるだなんて皮肉だ。それでも加害という一線は越えたくない。越えないように必死に努力しなければならない。

感情を殺すにはあまりにも脳内物質が活発だった。

もう終わっているのに、終わっていないフリをしている。

この空間は青白く光っていた。

夢の中か、もしくは湯気が立ち込める場所にいるみたいだった。

温泉は温泉でもここは地獄だ。生き返ることなどない地獄。

僕の瞳は怒りなのか悲しみなのかわからないが物事を正確に捉えることができなくなっていた。だから瞳の世界はずっと青白く光っていた。

金魚鉢も“キラキラ”と宝石のように光る。

彼女も“キラキラ”と光っていた。

このときの彼女が一番綺麗だった。

今まで見た中で一番綺麗だった彼女は感情を剥き出しにした姿の彼女だった。

それはとても自然な姿だからだと思う。

自然の美しさにはなんにも勝てない。

それは神様が作った物だからだ。


 どれだけ努力をしたとしても他人と分かり合うことなど不可能だ。

努力をしてもなんにもわからない。

それならばなにもしなければなんにもわからない。

世間体という建前が存在するからわかった気になれるのだ。

どれだけ怒りの感情が沸き上がってきていたとしても親切な相手に対してその怒りをぶちまけることはできない。優しくしてくれた人にキツく当たることは許されない。そんなことはしてはいけないと世間で決まっているからだ。

ならば、努力をしたという嘘を吐くことすら難しいような僕と忙殺されそうな彼女がお互いのことを分かり合っていると勘違いすることなどあり得なかったのだ。

勘違いすることすら、許されていなかったはずだった。

即席の軸に重心を預けられなかった。

重みのない寄り添いを感じた彼女は必要以上に人のことを怖がっている僕に口撃をしてくる。自分の感情の世間的な正当性を訴えてくる。それにともない口汚く罵ってくるのだ。それはこっちも同じだった。そこには嫌味があった。

同じところにいたはずの彼女はこんな僕の事情を理解しているはずなのに。

同じようなところにいた僕はあの彼女の疲労を知っているはずなのに。

社会性の欠如に対して何かを言われると激しくなってしまう。

当たり前のように言い合いに発展した。 


 あまりにも感情的になって本性が出た僕。そのあまりにも醜くて自然な僕には攻撃的な部分があった。戦うことは自然なことだ。本来人間は他人と戦って生き残ってきたのだ。それならば、臆病者にしか見えない僕の中に人を傷つけようとする心があっても不思議ではない。

そんな僕は自分の近くにあったコップをしっかりとその手に掴んだ。

そして、それを怯えている彼女へ投げる。

それは加害行為だった。

もはやこの社会にはもう未練もなにもない。

どうせならば自然な自分でありたい。

社会の外にいる僕は社会の外を歩く。

無駄に社会の内側に入ろうとするからダメだった。

怒っているのにそれを押さえるなんて不自然だ。

それは変化を恐れているだけの僕だ。

能動的になれればもう後はなんでもいい。

本当はそんな世界じゃない。

ここは本当はそんな世界じゃないはずだ。

“バリン”という音が二重になって聞こえてきた。

ぼんやりとしている聴覚にもそれが入ってきた。

僕が投げた物が金魚鉢にぶつかる。

水面が激しく揺れるのが見えた。

丈夫な金魚鉢は落ちることなくその場に留まり続ける。

その花のようになっていた上部が一部だけ割れた。

“パッ”と咲いて花火のようになっていた部分だけが壊れた。

そのガラス片。

床に落ちた物もあれば、金魚鉢の中に入った物もある。

それから逃げるようにして暴れだす金魚。

凶器が入ってきたのだから当然だ。

なぜか、全身の血液が冷たくなるのがわかった。

やはりなんにもわかっていない自分がいた。


 二人は冷静さを取り戻す。

なんとかして仮面を取り戻す。

きっと彼女にとっては大事な金魚の命が危ないとなったからだ。

だから、彼女は僕のことを見て悲痛な叫びでやめるように懇願した。

この社会のことがどうでもよくなっていた僕は世間体で不自然に戻る。

理性で感情を押さえなければならないという不自然さが戻ってきた。

これはある種の本能だ。

本能と本能が自分の中でせめぎあっている。

社会的な動物である人間には社会のことを考える機能が自然に付いている。

動物的な自分はそういう僕との争いを経なければ普通に戻ることができない。ここで言っているのはいわゆる普通というやつだ。

その普通とはなんだ。

普通ではないとは社会的ではないという意味だ。

そういう意味でしかない。


 最後に泣いている彼女だけでも連れ去りたい。

たしかに愛していたはずの彼女はもうここに居ないかもしれない。

それでも一人だけでは帰ることができない。

世間体から来る恋人が欲しいという気持ちと、本能から来る恋人が欲しいという気持ちが混ざりあっている。もう不幸になってほしいから一緒に来てほしい。

秋分になる前に世界が終わりそうになっている。

季節が過ぎていく中で自分の全てが失われそうになっている。

秋はもうすぐ終わって、大地に霜が来る。

その代わりに露はどこかへと往く。

どこか知らない国へと消えていってしまう。

最初から誰の物でもないのだ。

金魚なんて死んでしまってもいい。

とにかく今すぐにでもこの街の空気を体内から吐き切りたい。

二人で一緒に深呼吸をしたあと、体内に入ったこの街の粉を全部嘔吐してしまいたい。胃の中を空っぽにしてしまいたい。

細胞の全てをこの街以外の物にしたい。

あらゆる意味で生まれ変わりたい。

あらゆる意味を含んで死にたいと思っている。

それは死んだ方がいいであろう僕に向けたメッセージだった。

それなのに、死ねないということに気づいて泣いた。


 これからいなくなる彼女。

窓から入る青白い光が後光のように差していた。

今は何時だろう?

もうそれすらわからないほどに世界を見ることができない。

この世界を見ることは実はとても難しい。

この二つの瞳でしか感じることのできない世界。

ここにしかなくて、類似品すら見当たらない物。

対照実験ができない物。

他にはどこにもない物。

誰の物でもないのだ、そもそも全部。

全部が僕以外の誰かが持っている物だ。

それはこの僕ですらそうなのだ。

自分の所有権を持っているのは自分ではない。

でも、それを誰が持っているのかはわからない。

よりよい人生を仮定することすら無駄。

人生とはやはり一つしかない物なのだ。

僕の人生なんて他のどこにもない。

君は憐憫(れいびん)を含んだ瞳で金魚鉢を視界にいれる。

そして、その中に入ってしまったガラス片を取り除く。

素肌のまま、そこに手を突っ込んだ彼女の指先からは血液が滴っていた。

どうしてそこまでして?

兎に角、人の世は住みにくい。

何者かに為り変るという奇異な試みすらも許されていない、死体のような僕と身元不明の彼女。

自分が自分でしかいられないということは、十分にわかった。

自分でいることすらままならないこともわかった。

君は箱に手を添える。

誰にも依られることがなかった、そんな硝子の花火を打ち上げようとする。


 とにかく僕は死にたかった。

『苦痛によって自我を失ったエゴイスト』と化したあのときからずっとそうだった。

火薬の匂いが充満する。

彼女は最後に笑っていた。

花火に寄り添いながら笑っていた。

これはなにかを払うための祭りだ。

きっと、それは彼女にとっては悪霊でしかない僕だ。

僕から離れるために神様に触れようとしているのだ。

その金魚鉢はたしかに御神体だった。

その中に神様はいなかったはずだったのに。

今ではそこに神様がいるように思える。

それは、それだけ僕たちがピュアになったからだ。

自然な生き物になれたからだ。


「金魚を守ってあげてください」


 金魚鉢を持ち上げた彼女。

それによって心は引き裂かれそうになる。

もう終わりだ。

君が金魚鉢を持つと花火のように“パッ”と開いたその顔が歪む。

それはまるで、笑っているように僕には見えた。

笑っていたのはきっと勘違いだ。

だって、こんなところで笑い出すなんてとても不自然な行為だ。

自然な行為じゃない。

壊れるのが怖くて不自然に笑っている。

そんなわけがなかった。

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