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 白露(はくろ)

二十四節気(にじゅうしせっき)の一つで秋の三番目の節気。

季節の節目として用意されている日。

今年でいうのであれば九月七日の今日がその日だ。

残暑とは言い(がた)いほどの鋭い直射日光が降り注ぐ零時(れいじ)の住宅街。

これを夏の終わりの一つの節目とするためのお祭りの準備が神社で為されていた。

恰幅のいい男性たちが集まって話し合いをしている。

彼らはとても大きな声だった。

丹砂(たんさ)のような鳥居の先にある本殿に鎮座している神様。

その神聖な存在が祭りの際に鎮まるお神輿も解放されていた。

それはお社の外にある集会用テントの下で「今か今か」とそのときを待っている。

屋台の骨組みがその近くに停めてある軽トラックには積まれている。

この街に祭りの気配が訪れていたことには気づけなかった。

掲示板には祭りを報せるチラシが張っていた。

電線には提灯を模した明かりがぶら下がりはじめていた。

それなのに、祭りが開催することに気づくことはできなかった。

気づくだけの余裕などなかった。

まるで死に損ないのような僕はいつもと違う箇所を横目に見ながら目的地へ歩く。

出島のように特定の場所にだけ異物感のある建物が鎮かに並んでいる区画。

貧富が線引きされているような街の中で高層階を目指していた。

高いところに居る彼女に会いに行こうとしていた。

惘惘(もうもう)とした心持ちはいつまで経ってもやってこない秋のせいではない。

世界が(かしま)しく騒ぎ立てる環境問題のせいでもない。

二つ(・・)とないものを思う心のせいだった。

ビードロ越しにこの空を見たような、半透明なホースから水。

その場を冷却するために水を巻いている女性。

すぐに水分はどこかへと消える。

“キラキラ”とした雫は秋の正午に蒸発する。

“カラカラ”のアスファルト。

不安定な地盤に置かれた、傾きの激しい天秤。

枕のように柔らかい風の中、丸い球体になろうとしている線香花火。

硝子玉の僕にとっては秋ではなかった。

こんなはずではなかった、こんなはずではない僕だった。


 白秋(はくしゅう)らしい白秋に恋い焦がれるかのような僕。

それはまだ心を許せていない彼女の元へ歩を進めていた。

潔白を証明するためにはそのくらいの方がいい。

純粋な気持ちであるということは向こうにも伝わっているだろう。

紅葉に染まる地面に憧れている僕は季節が成長するのをただ待っている。

やはり秋に焼かれそうになっている。

冬眠状態の熊のように穴の中で“ジっ”と好機を伺っていた。

(はた)から見たら生きているのか死んでいるのかわからない。

人間である以上は動かなければならない。

鈍重(どんじゅう)な者の人生が好転するということ。

そんなことは氷河期のようなインパクトが世界に来ない限りはない。

もはや三十路と呼ばれても反論することができないほどの年齢の僕。

そんな僕を大事に育てた両親は、焦っている。

ろくすっぽ働かず、蒙昧(もうまい)な日々を送っている息子がいることに焦っているのだ。

焦燥は文明の利器によって悪臭とともに伝搬(でんぱん)される。

それが漏れ出さないようにしている僕は爽やかな香りがするデオドラントを撒き散らす。時間が全てを変えた。環境が変化を押し付けてくる。向かわなければならない場所があるのだ。


 それにしても今日は暑い。

もはや意識が混濁(こんだく)している僕。現実と虚構が混ざっていてなにが真実かわからない、ひたすらに日々を送っているだけの僕。そんな人間はとあるマンションの前に到着した。

オートロック機能が付いた、この辺りには良くある築数年ほどの建物。

祭りの話でもしよう。話のタネくらいにはなるだろう。

もし予定が合えば二人で屋台などを巡ることもできるはずだ。

仰々しい見た目をしたオートロックシステムのテンキーに今日は休みの彼女の部屋番号を打ち込み、インターホンを鳴らす。

セキュリティのために様々な機能が付けられているのだろう。

威圧するかのような操作盤にはカメラが付いていて、きっと今も部屋の中から不審な来訪者である僕を安全な場所にいる彼女が見ている。

しばらくすると、小さなスピーカーから「どうぞ」という声が聞こえてきた。

女性にしては低めの声をした彼女に招かれたことでエントランスの扉が開く。

エレベーターに乗って目的の階まで向かった。


 軽い言葉を交わして部屋に入る。

出迎えてくれたのは目に見えて疲労が溜まっている彼女。

この様子だときっと感情の起伏もなだらかになっていることだろう。

それならやはり祭りに誘うのは悪いことではなさそうだ。

ここで感情が死んでしまったら一生の後遺症になる。

後遺症が未だに残っている僕はそれを知っている。

まだ入り慣れていない、他人の部屋の中に入っていく。

この家には物が少ない。娘のことを心配した親からいくらかの仕送りがあるはずだが、彼女はそれを活用することなく腐らせているようだ。

一人暮らしの女性の部屋がこれほどまでに殺風景であるはずがない。

親から愛されていないのだろうか。

だから感情の薄い彼女の部屋は最低限の物しかないのか。

親から愛されていた僕は水を浴び続けたことによって根腐れしてしまった。

自活することができなくなった。

他人に依存をするということは拠り所を見つけるということだ。

しかし安住の地などどこにもない。

それでもそんな場所を探そうとしている。

火鼠(ひねずみ)を探している。


 まずは近況報告をしあう。

とはいっても仕事をしていない僕から話すようなことは一つしかない。

秋分の日がある三連休に実家へ帰るということを報告した。

それで、こちらからできる報告は以上だ。

反対に、多忙な彼女の予定はまだ決まっていない。

仕事が入るかもしれないということで決められていなかったそうだ。

今決まっているのは休みになるということだけ。

どこに行くのかも、なにをするのかも、誰と居るのかも。

なんにも決まっていないのだった。

他人ならばそれでも構わない。

しかし恋人なのに決まっていない。

対等ではない僕は自らの口でそれを切り出すことができなかった。

なぜならば弱みばかりを見せてしまっているからだ。

支えられてしまっているのだ。精神的に。

二人の関係性が進展するかもしれないという思い。

そんな思いを持ちながら祭りに期待を寄せるのは間違いではない。

平和的に物事を動かすために乱雑に用意されたのが祭りなどの儀式だ。

人と神様が繋がろうとしたときにしか見えない、与えられない物。

清濁(せいだく)(あわ)()むことになるのだ、神様とはそういう性質を持っている。

仙丹(せんたん)を作製するための練丹術(れんたんじゅつ)を持たない人間の時間は有限だ。

この世の栄華(えいが)を極めたであろう皇帝たちも丹薬(たんやく)の服用によってその身を亡ぼした。

(ぜい)の極みを尽くした日常生活を送っている現代人たちはまた別の形で不老長生(ふろうちょうせい)を考察する。幸せの果実を貪っている我々も無限に憧れる。やはり個体が個体であるがゆえに湧き上がる情念なのだろう。一つは一つでしかないのだ。

それを大事にすることは過ちなどではない。

死という物はあらゆる動物に共通する恐怖。

それを乗り越えることができれば人間は動物ではなくなる。

不自然な生き物に変化する。


「もしも貴女の方にも予定がないのであれば、一緒にお祭りにでも行きませんか? ここへ来る途中に季節を分けるためのお祭りの準備をしている人たちを見ました。白露ですから、夏祭りではありません。

僕にはこんな機会はもう訪れないとも思えるのです。どれだけ秋の訪れを捉えることが難しかったとしても、暦上はすでに夏は終わっているのですから、きっとお正月の縁日までこのようなお祭りはありません。もしもそのお祭りに行くとしたならば、そこには屋台も並んでいることでしょうから軽食ではありますがお腹を満たすこともできます。夕食が決まっていないのであれば渡りに船です。きっと愉快なこともあるかと思います」

「そういえば今日の夜、お祭りがありましたね。しかし私は、そこには行きません。休みの自由な時間に人混みの中に居たいとは思えませんから」

「そうですか。それならお祭りには僕一人で行きます。もしも欲しい物があれば何でも言ってください。

また会う機会がいつになるのかも曖昧な現状では、それをいつ渡せるのかも模糊(もこ)としていますがね。とにかくお気遣いなど必要はありませんから何か形に残る物が欲しいのであれば僕に言ってください」

「思い付きません。荷物になってしまうので私のことはお考えにならなくても結構です」

「貴女のためであれば荷物も持ちます。それくらいは僕の負担にはなりません」

「それなら、金魚。金魚はどうですか?」

「え? 金魚ですか? 金魚すくいで掬ってくればいいのですか?」

「もしも可能であれば金魚を掬ってきてください。幼少期に私の家には金魚がいました。この話をしている中でそれを懐かしく思ったので、お祭りの際には金魚をよろしくお願いします。もちろん、それは可能であればの話です」

「僕も久しぶりに金魚すくいがしたいな。それならば承知しました。お祭りで金魚を採ってきます。貴女の家に送る前に我が家で金魚鉢を用意しますから、プレゼントするのは遅くなりそうです」

「ありがとうございます。そこまで用意していただけるのはとても有難いです。助かります」

「いえいえ。僕と貴女の間柄じゃないですか」


 思っていたような結論にはならなかった。

共に祭りの雑踏に紛れることはできなかった。

二人で一緒に金魚を掬うことができればそれが一番良かった。

しかし、そうはならなかった。

相手がいることなので仕方がない。それならば一人で行くとしようか。

人混みが苦手な彼女に頼まれた金魚すくいをするために一人で祭りに行くとしよう。場違いである自分を思って虚しくなることがわかっていてもそうしよう。


 窮屈だった。

狭い箱の中で解放されることもなく、無為(むい)にカレンダーを(めく)っていた。

目的や思想などちり紙のようなものだった。

急ごしらえの舞台にしか立たず、無心になることもない毎日。

生存権を与えられているだけの日常。

見えない標識を頼りにしているだけ。

在り来たりな展望と、一般的な感覚と、歪んだ視界。

虚像としての人生だけがそこにはあった。

ひたすらに不幸な誰かがいた。

金魚は“ヒラヒラ”と尾びれ背びれを揺らしながら優雅に“スイスイ”と泳ぐ。

エサが配給されるのを待ちながら。

オブリビオンを恐れながら。



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