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君が金魚鉢を持つと花火のように“パっ”と開いたその顔が歪む  作者: 豚煮豚


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19/22

18


 散歩をしている最中に感じる。

今日の朝はこの季節として順当な気温だった。

どうしようもなく“ネバネバ”していた残暑は終わりを迎える。

しかし、それが終わってやって来た秋もあともうすぐで終わりを迎える。

天気予報がそう言っていたのだから間違いないはずだ。

信頼することができるはずの天気予報がそう言っていた。

タンスから冬物のジャケットを取り出さないといけないようだ。

全てがあっという間に終わっていく。

歳を取った僕も時間の進みを早く感じている。

もう二度と秋を楽しむ期間などやってこないんじゃないかとも思った。

意味のない散歩を済ませて、家に帰ると連絡が来ていた。

さっきまで全く気づいていなかった。

この時間に連絡が来ることはほとんどない。

きっと、出勤している最中だろうか。

まだなにも知らない彼女からだった。

どうやら、今日の夜もここへ来てくれるらしい。

「月を見ながら話をしませんか?」

そんな連絡が来ていた。

心さえも沸き上がった僕はそれに了解の旨を伝える。

まだ月は美しいままだ。

それを考えるとあのときと同じような感動が味わえてもおかしくない。

あの時間を気に入ってくれていたならばなによりだ。

なにより素晴らしい時間だったのだから当然かもしれないが。


 昼間は無意味に過ごした。なにも手に付かなかった。やらなければならないこともなかった。とにかく夜が来るのをひたすらに待っていた。時間が過ぎるのを待っていた。待つのは普通の人よりも得意だ。本当は待つ方が得意なのだ。

少しだけ夏の気配を感じた日中。

そこを抜け、今日も綺麗な月の下にいる。

満月が終わってもなおまだ美しさは保たれている。

中秋の名月自体が満月ではなかったのだからそれは当たり前だ。

そういえば満月は見なかった。

そのことを忘れてしまうくらいに月に取り憑かれていたのだろう。

ひとつ欠けたくらいの月では魅力が下がることもない。

狂気的になってしまいそうな光。

それに照らされていた僕たち。

より自然な方向へと向かっている心。

仕事終わりの彼女は夜にやって来るらしい。

もうすぐ来てくれるらしい。

わざわざ忙しいはずなのに来てくれるのだ。

普通の恋人であればそんなことも当たり前にあるはずだ。

疲れていても、仕事終わりに恋人の家に遊びに行くことくらい。

そんなことくらいなんてことないはずだった。

暇で死にそうな僕の方から向こうに行くということも昔はあった。しかし、次第にそんなことはしなくなっていった。疲労感のない僕がそのままの姿で疲れた彼女に会いに行く。そんな残酷なことはとてもではないができなかったから。できなくなってしまったからダメになったのか。とにかくそれをすることはなくなった。

しかし今ではもう泥の外にいる。

だからこういう時間も許容されている。

動き出そうとしているのだ。

未来はどこまでも明るく、不安定だった僕たちも安定する。

安定した先にあるのは新しい人生だ。

泥を払いながらそこへと向かっている途中だ。


 もうすでに空には綺麗な月があった。

しかし、二人で一緒に感動したかった僕はカーテンを閉める。

部屋には薄暗いオレンジの光。

できる限り、月を見ないようにしていた。

真っ暗な外が珍しいほど照らされている光景。

美しい月光に照らされた街は純粋にも見えた。

しかしながらやはり地上には光が多すぎる。

この街は眩しすぎて不自然だ。

それでも、今はそれすらも美しいとは思っていた。

美しさから目を背けるようにしてなにも見ないようにする。

心が洗われているのかもしれない。

楽しみで仕方がなかった。

中秋の名月のときの二人は完璧だったから。

それと似た物を味わえるというだけで最高だった。

なにも望まなかった彼女と同じだ。

綺麗な月を二人で見ること以外はなにも望んでいなかった。


 来訪者がチャイムを鳴らす。

ちっぽけなその音によって虚ろになっていた僕はよみがえる。

虚ろになっていたのは昔のことを考えていたから。

実家に帰るからそのことを考えていた。

昔は幸せだった。でも、それは他人にお膳立てされた幸せだった。

それはどうしようもない僕の幸せ。

動き出さない僕の幸せだ。

月明かりを求めた彼女。

虫のような動機なのに虫とは思えない姿をしている。

いわゆる虫に変身した僕のことを介護してくれている。

もったいないような存在。

離してはいけないとも離すべきとも思う。

田舎という檻に閉じ込めていいのだろうか。

田舎から出てきた彼女には慣れっこか。

家の中に入ってきて、少しだけ金魚を眺める。

二人の関係が改善されていくと金魚の影は薄くなった。

というよりもお互いに飽きてしまったのだろう。

エサをあげることが日課になった僕は煩わしいとさえ思っていた。

それでも、その美しさは変わらない。

変わらないから、つまらない。

ひたすらに変わらないことがつまらないのだった。

それならば安定した僕たちはつまらないのだろうか。


「金魚は何歳の頃に飼っていたのですか? 覚えてないほど昔の話でしょうか?」

「貴方の言う通り、正確には覚えていません。ですか、小学校低学年の頃だったのは間違いないです。その頃まで買っていた少女漫画を読みながら“チラっ”と金魚が泳ぐ姿を見ていたのを覚えていますから」

「それはずいぶんと具体的な記憶ですね。何か記憶に残るような理由でもあったのですか?」

「ないと思います。しかし、記憶とは往々にしてそういうところがあるものでしょう? 貴方にもきっとそれに似たような記憶があるはずです。子供の頃ならばなおさらそのはずです」

「それは間違いないですね。僕にも具体的なことこそないものの、どうしてだが記憶していることはあります。そういう物の一つに金魚があったということですか」

「純粋に美しいでしょう? 子供の頃の私というのは退屈をしのぐための手段に乏しかったので、やることがなかった時には金魚を眺めていました。それによって時間を潰していたのです」

「そうでしたか。僕も退屈なときやアンニュイな気分のときには金魚を眺めています……それこそ『これから一人で生きていくかもしれない』となったときには彼ばかり眺めていました」

「そうですか」

「このコと一緒に暮らせていたという事実は僕にとっての救いだったのかもしれません。もし仮に似たようなことがまた起こったときには、似たようなことをすればいいだけですから」

「私もそのような体験をするかもしれません。そのときは私も金魚を眺めましょう」

「しかし、同棲するとなればきっとそんなときには僕が近くにいますから。金魚に救いを求めるのと同様に、僕に救いを求めてもいいんですよ」

「そうでしたね。一人の生活に慣れてしまったせいで、問題を自分だけで解決しようとしてしまいました。そのときにはよろしくお願いします。私の憂鬱な気分を一緒にほぐしてくれたら嬉しいです」

「もちろんですよ」

「人間というのは不思議ですね。ここに来るまでは孤独を恐れていたのに、今では孤独に名残惜しさを感じてしまっています。もちろん、私は貴方と一緒に暮らすことも望んでいますよ」

「その気持ち、少しだけわかるような気がします。とにかく、僕もどこか胸騒ぎがするようなのです。今までの生活が終わってしまうような予感がして少しだけ恐ろしいのです」

「やっぱり、私たちは似た者同士のようですね。だからこそ、こうして月を見ているわけですが」

「そうですね」


 つまらない会話をできるようになった。

呉牛喘月(ごきゅうぜんげつ)だった僕はそれに少し救われる。

月を月として見ることができているのだ。

本当に恋人に戻ることができた。

これから先に進むことも不可能ではないのだ。

いや、不可能ではないどころか、それが自然。

自然と口から発せられるべき言葉がある。

しかしまだ言うべきではない。

問い詰めるような、問い詰められたと感じるようなことをしてはいけない。

積極的になると決めた以上はそのことを肝に銘じなればいけない。

今度は全く逆の理由で関係が破綻したら笑い話にもならない。

それでも、意識としては能動を前提とした方がいい。

後は塩梅の問題だ。ここが一番と言ってもいいほど難しい。

聞きたいけれどまだ聞いてはいけないこと。それは子供、そして結婚の答え。命に関わる話の話。さらには引っ越し、両親、仕事の話。いくらでも聞きたいことはある。しかし、それら全てはまだするべき話ではない。

大丈夫だ。

なぜなら、いつかは必ず言うという確信があるのだから。

このときを逃したところで問題なんてどこにも存在しない。

安心してその時を待てばいい。

きっとなんとかなるはずなのだ。

間違いなく。

いいことしか視界に入っていない。

このままで大丈夫だ。


 月明かりの下で薄氷を挟んで会話をしている僕たち。

内容は溶けてしまうほど脆く記憶には残らない。

日々の中で残らずに消えていくような会話。

薄い氷の向こうにいる彼女。

どちらが氷の上なのか下なのか。

下にいる側は冷たい水の中で苦しいだろう。

上にいる側は壊れそうな氷に怯えているだろう。

しかし、そこにはなんにも問題なんてない。

なせなら、この薄い氷はいずれ壊れてしまうからだ。

どう考えたってそんなに丈夫な氷ではない。

これもいつかは必ず終わりを迎えるような気配がある。

薄い氷が割れたらどうなるのか?

そうなってしまえばお互いが冷水の中で苦しむことになる。

破綻が来てしまえば一緒にいるしかなくなる。

凍えながら身を寄せあうのだ。

暖かくならないまま、二人で死んでしまうのだ。

もしくは凍てつくほどの寒い日が来て、薄い氷が分厚くなるのを祈るか。

分厚い氷の向こうにいる相手は曖昧になるだろう。

それこそ霧がかかったようにして相手が見えるのだろう。

声すら届かなくなってしまうかもしれない。

金魚という生き物のように、考えていることすらわからない。

そんな状態のまま、ガラスの向こうにいる誰かを見つめることになる。

それはつまり、昔に戻るということだ。

不幸になるということだ。

そんな予感が月下に過る。

これは予感というよりも確信だった。


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